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宇宙に伸ばしていた手

将来の夢がない子どもだった。

小学4年生の頃、親たちの前で「わたしの夢」というテーマでスピーチをする会があった。先生が将来の夢について考えておいてね、とにっこり笑ったときに「あーあ、また出たよ」とげんなりした覚えがある。

小さい頃から幾度となく繰り返されてきた「大きくなったら何になりたい?」「将来の夢は?」という質問が大嫌いだった。周りの子はきちんとその時その時で自分がなりたいものを見つけて答えていたのに、わたしはいつだってうまく答えることができなかった。どんな職業を思い浮かべても「なりたい」という意欲が湧かなかった。今なら適当にあたりさわりのない職業を言っておけばいいと思えるのに、その時は聞かれるたびに真剣に悩んでいた。なかなか答えないわたしに、困ったように笑う大人たちの顔を見るのも嫌だった。

結局、小学4年生の時は母がバドミントンをやっていたことを考えて「バドミントンの選手」を選んでスピーチをした。母は目を真っ赤にして泣いていて、胸がちくちく痛んだ。ごめんねお母さん。わたし、バドミントンの選手になりたいなんて思えていないし、それどころか将来なりたいものなんてないの。ごめんね。

周りの子たちは看護師とかサッカー選手とかについてキラキラした目で話しをしていた。中には弁護士になりたいという子もいて、おおーと教室に歓声が上がった。お母さんたちはやっぱり目を赤くして拍手をしていた。わたしも同じように拍手をしながら不思議に思っていた。

それ、ほんとう?
ほんとうになりたいの?
どうしてそう思えるの?
すぐ変わっちゃうんでしょう?
教えて。


はじめて将来の夢ができたのは中学三年の頃。

その頃わたしは星を見るのが好きだった。なんの影響かは忘れてしまったけれど、とにかく宇宙や星について知りたいという意欲が強かった。図書館で手当たり次第宇宙についての本を借りて、誕生日には親にプラネタリウムをねだった。模試があるたび帰りに科学館に寄ったり、プラネタリウムがあるという理由で進学先の高校を選んだりもした。変な受験生だったと思う。痛かったとも思う。それは自分でもわかっていたから中学のともだちには一切言わなかった。

その時期にとある漫画を読んだ。高校生たちが宇宙飛行士を目指す話。その中で誰かが言っていた、

「誰よりも近くで星が見たいだけなんだ」

という言葉にぱちんと何かが弾けた。
そうか、わたしは宇宙に行きたいんだ。

15歳にしてはじめてできた夢だった。

そこから猛勉強して良い大学に入って更に勉強して……みたいな話ではもちろんない。高校に入学し、数ヶ月経つと自分の頭がそこそこの出来であることを思い知った。宇宙飛行士になるためにはこんなもんでは到底届かないということを。そして、「生きているうちには宇宙旅行もできるようになるよね!」と明るく諦めるところで話は終わる。

はじめてできた夢を、わたしはあっさりと手放した。

それから10年近く経った今(書いていて鳥肌が立ってしまった。10年!?)、わたしは大きな夢を抱えて毎日を過ごしている。もはや野望と言えるかもしれない。まだ到底たどり着けそうにないけど、なんとか諦めないでもがき続けている。もちろん宇宙飛行士ではない。地球の中でやりたいことが見つかった。

「将来の夢はなんですか?」
大人になってから聞かれることなんてほとんどないけれど、今なら悩んだりしない。誰かにとやかく言われたくなくて、滅多に口にはできないけど。その代わりに、大丈夫、ちゃんと見つかるよ、って10歳だった自分に叫んであげたい。

わたしの夢は、ーー。

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