土曜の夜、地下鉄のホームにて
「ふたつにひとつだよ」
その言葉を聞いたのは駅の改札を入ったところだった。見知らぬ駅で、帰るために電車の検索をしようとするわたしの横で彼は軽やかにホームに降りていく。そっちで合ってるの?と慌ててついていくと、真面目な顔で言い放った。たしかにホームはふたつしかないけれど。でも。戸惑いながら着いたホームで調べてみると、どうやら彼の選択は合っていたらしい。それを伝えるとふふんと得意げだ。
「偶然じゃん。間違っていたらどうするの」
「そうなったら戻ればいいだけだし。でもこういう時のカンって当たるから」
ふたつにひとつだよ、と彼はもう一度言った。ああ、こういうところだよなあと笑いながら思ってしまう。彼のこういうところに、どうしようもなく惹かれてしまう。
ふたつにひとつ。この選択を自信を持って進んでいける人を尊敬している。そしてそういう人はだいたいその選択を間違えたりしない。それが運でしかない選択であっても。
わたしたちはいくつもの選択を繰り返して今ここで生きている。からだがひとつしかないから、何が正解なのかわからないまま選んで、捨てて、捨てて、選んで。選んだ後に「やっぱりあっちの方が良かった」と思うことなんてしょっちゅうある。何度も何度も後悔して、気が付いたら選ぶことに慎重になっていた。別に悪いことではないけれど、それでもスキップをするみたいに軽やかに選択した道を進んでいける人に憧れてしまう。
オムライスかハンバーグか。髪を伸ばすか切るか。あの人に電話をするかしないか。どちらの道を進んでいくのか。いつだって悩んで迷ってばかりで、優柔不断と言われてしまえばそれまでかもしれないけれど。でも何となく、どこか違う気がする。
たぶん怖いのだと思う。選ぶことと言うよりも、選ばなかった方を捨てることが。思い返せば選ぶことも捨てることもせずに中途半端になっているものが随分ある。掴めるだけ掴んで、抱えるだけ抱えて。そんな重たい身体ではどこにも行けやしないと知っているのに。
彼と一緒に電車が来るのを待つ。土曜日の夜、終電も近い地下鉄のホームはどこか浮かれている人が多い。列に並んでいる人たちをぼんやりと眺めていたら「今日家泊まりに来る?」と不意になんでもないように聞かれた。雑踏の中でも彼の声は不思議なくらい耳によく届く。動揺して繋いだ指先に変な力が入ってしまいそうだった。ちらりと横目で彼を見る。涼しげな表情が悔しい。「どうしようかな」そう答えると、ニヤリと彼が笑った。
「ふたつに、ひとつだよ」
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