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ヒロインとつまんない女

つまんない、あんたって本当つまんないね。

スクリーンの向こうでヤスコがツナキに言う度に、その言葉が刺さった。血を流しながら夜の街を走るヤスコはつまらなくなんかなくて、本当に美しかった。

疲れないようにしてるんでしょう。

その通りだ、何も言葉が出ない。疲れないように、傷つかないように、笑っている。

『生きてるだけで、愛。』という映画をわたしは完全に、つまんないと言われる男ツナキの視点から見ていた。

面白味がないことが、最大のコンプレックスだと思って生きてきた。もちろんコンプレックスの塊みたいなものだから他にも自分の嫌いなところはたくさんある。でも、1番嫌いなところは“つまんない”ところ。

わたしだったら夜の街で唐突に走りたくなっても人目が気になってスカートにヒールじゃ走り出せない。一度家に帰ってしっかりランニングウェアに着替え、ランニングシューズを履いてから走り出す。全てが予定調和。自分で自分が退屈になる。

ありがたいことに、ともだちは多い方だと思う。色々なコミュニティに属してそれなりにみんなでワイワイやって楽しんでいる。でも、いてもいなくても同じなんじゃないかと思うことがままある。

「ハルカって優しいよね」

何度となく言われてきたその言葉はわたしの中で“つまんない”と同義になっている。優しくて、優しいだけで害のない女。本当につまんない。生きやすいように周りに合わせて空っぽなフリをして笑っていたら本当に空っぽになってしまった。いや、もしかしたら最初から空っぽだったのかも。

かつて親友だったあの子は、ヒロインだった。

可愛いくて、わがままで、驚くほど簡単に怒ったり泣いたりする。秩序なんてまるでない。その感情の起伏を1番近くで見ていたわたしは振り回されながらも羨ましく思っていた。彼女は優しくなんかなかった。でもつまらなくなかった。周りに迷惑をかけて、色々なことに病むほど悩んで、嘘をつきながら恋をしていた。その生き辛ささえ羨ましかった。隣にいるわたしがうまく笑えなくなってしまうくらいにエネルギーを使って生きていた。

そんなあの子は間違いなくヒロインで、優しいだけのわたしはただの親友A。4年間一緒にいて、それだけが痛いほどにわかった。
そしてわたしはあの子の親友をやめた。

ツナキはいいなあ。わたしと別れられて。

映画の中でヤスコはそんな風に言った。もしかしたらヒロインだった彼女も同じように思っていたのかな、なんて。

誰かになりたい、だなんて思うのはずいぶん昔にやめた。まるで意味がなかったから。でも変わりたいとはずっと前から思っている。退屈な日常を変えられる強さを。服を脱ぎながら夜の街を走り抜くことができる鮮やかさを。つまらないままでなんかいたくないし、ドキドキしていたい。その上で優しい自分を愛せたなら。

いつかヒロインだったあの子の目を見て笑えるようにもなるだろうか。


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