2024/9/28「ギフトカード」

久しぶりにこちらのサイトから単語を選択。

ギフトカード、便利なものだ。お金を変換することで使い道が限定される分、非効率的だし制限もつくはずなのに、なぜこんなに使い勝手が良いのだろうか。いや、実際のところ使い勝手はあまりよくはないと思う。残高の計算が面倒だったり、財布のスペースを圧迫したりと、使う分にはそこまで都合の良い代物ではないのかもしれない。
むしろギフトカードとは、使い勝手よりも「贈り勝手」の良い代物だ。「ギフト」である以上、そこには「贈り・贈られるものである」という含意がある。自分のためにギフトカードを買う人はいないのだ。

価値としては現金と同じかそれ以下に過ぎないギフトカードが「ギフト」として成立するのは、さらに言えば現金よりも「ギフト」に選ばれやすいのは、贈り手の意図が介在しているからに他ならないと思う。
「このギフトカードを使って本でも買ってください」
「このギフトカードでも使ってスタバでコーヒーでも飲んでください」
といった意図がギフトカードには介在するのだ。
用途を限定することによって、「これに使ってくださいね」という意図が生じるのだ。もちろん、Amazonギフトカードのように、中には幅広い用途に使えるギフトカードももちろんあるのだが、そこには「このギフトカードを使ってAmazonで好きに買い物してくださいね」という意図がある。

ギフトないしプレゼントの本質というのは、贈り贈られる品物自体よりも、結局のところ贈り手の意図にあるのではないかと思う。「何を贈るか」よりも、「どのような意図のもとで贈るか」ということの方がより重要なのではないだろうか。
結局、贈る相手が何を欲しているか、何を喜んでくれるのか、ということがギフトを選ぶうえで最も肝要なのだと思う。「何を当然のことを」と思われるかもしれないが、「こういった場面ではこういうものを贈るのが定番だ」といった通念に縛られてギフトを選んだ経験がある人もいるのではないだろうか。(もちろん、私も含めて)

もちろん、ギフトカードさえ贈っておけば外すことはない、という発想に陥るべきではないとも思う。自戒も込めて。現金よりはギフトカードの方がある種の「ギフト感」があるが、それでも現物を渡すよりは限定が緩く、相手の意思や希望に委ねる部分が大きい。「ここまでは考えたから、あとはそっちでよしなに考えて使ってくれ」というおざなりな雰囲気。相手の希望から大きく外れる可能性は低いが、相手に好印象も与えにくい部分があると思う。

ギフトカードは、よく言えば柔軟な、悪く言えば中途半端なギフトだ。

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