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メンタル疾患完治は環境が超重要な件

<病み仲間の意義>

私はいろいろメンタル疾患を患ってきました。
その時々に、同じような悩みを抱える人と、コミュニケーションをとる機会がありました。

鬱の時は、同じ鬱仲間と、
・毎日、死にたいだとか、
・誰それがリストカットしただとか、
・今日は誰がオーバードーズ(薬の一気飲み)しただとか、
まるで症状自慢のように、自分の症状を語り合ったものです。

解離性同一性障害の時は、
・自分にはどんな人格があるのか紹介しあったり、
・コミュニケーションをとった仲間の、全然しらない人格から本人に対する問い合わせがあったり、
自分の頭の中を紹介しあったものです。

その時々、病み仲間と話しているときは、不思議な安らぎがありました。
この安らぎが、自分に安定をもたらしている間は、病み仲間とつるむことに意味があります。

人は孤独には耐えられません。
だだっ広い世界で、自分だけがこんな病気になっているんだと考えると、発狂しがちです。

ですから、その孤独をやわらげ、理解者を得ることは、メンタル疾患の序盤、急性期には必要なことです。

<段々、病み仲間コミュニティで閉じていく>

しかし、病み期中盤の、安定期にさしかかると、このコミュニティシステムの弊害が出ます。

変な閉じた仲間意識とでも言いましょうか。
自分たちだけが理解しあえる仲間で、コミュニティ外の人間を排除し始めるのです。

彼らがよく言う言葉が
・所詮、お前は健常者だからな
健常者にわかるわけない
健常者から言われたくない
などと、コミュニティ外の人間を「健常者」と揶揄し、外に理解を求めることを放棄するのです。

こうなると、メンタル疾患の完治は難しいと思ってください。
一度得た、”心地よいコミュニティ”を失いたくないという思いが働くからです。
そうすると、せっかくお医者様が寛解状態だと言ってくれても、それを否定したくなります。
メンタル疾患が治ってしまったら、今までコミュニティでさんざん馬鹿にしてきた”健常者”になっちゃいますからね。
寂しくなってしまうのですよ。

<時期が来たら、コミュニティを離れよう>

落ち着いてきたら、勇気をもって、病み仲間を離れましょう。
人間は、もともと環境に左右される生き物です。
無意識に、周りの人間と同じであろうとします。

ですから、ビジネスの世界では、成功者と仲間になろうとします。
メンタル疾患の世界では、健常者の世界へ出ていくべきです。
いつまでも、病み仲間とぬくぬくしていては、治るものも治りません。

中には、キツイ言葉を吐きかける健常者もいます。
その言葉に耐えられない序盤、急性期は、コミュニティで守られているのが良いと思います。
しかし、いつまでも守られていてはいけません。
事態が進展しないからです。

いてもいい病み仲間があるとすれば、皆で完治を求める、動いている仲間です。
こんな治療をした、こんな効果があったと、完治へ向けて、情報交換ができるようなコミュニティなら価値があります。
そういうコミュニティであれば、仲間が卒業して、健常者として、外へ出ていくことを喜んで見送ってくれます。

いけない病み仲間は、治っていこうとする仲間の足を引っ張る人たちです。
外の健常者はこんなにわかってくれないとゴチる。
そして、我々病み仲間がどれほど心地よいコミュニティであるかを誇る。
挙句の果てには、寛解になりそうになった仲間の足を引っ張るでしょう。
健常者の世界へ出ていくことを拒むでしょう。

あなたが所属する病み仲間は、どちらのタイプでしょうか?

いずれにせよ、病み仲間コミュニティからは、いつかは卒業しなければならないのです。

<メンタル疾患を治すのは自分>

時々、勘違いしている人がいるのですが、メンタル疾患を治すのは自分自身です。
お医者様の仕事ではありません。
精神科医の仕事は、努力してメンタル疾患を治そうとするあなたに、専門家の知恵を貸し、良い方法を助言し、一緒に歩んでいくことです。

本人に、メンタル疾患を治す気がなければ、絶対に治りません。
当たり前です。病気を治すのは、自分ですから。
お医者様のせいにしないでください。

メンタル疾患が寛解するのを拒む理由の一つに、もしも治ったらどうなるか、その未来が怖いということがあります。

せっかく引きこもったメンタル疾患という殻を破ったら、行きつくところは厳しい現実です。

仕事で病んだ人は、パワハラやセクハラなどが横行する職場かもしれません。
夫の離婚や不倫で悩んだ人は、問題が山積している家族かもしれませんね。

可能であれば、問題となった現場を捨てられたら一番早いです。
退職する、離婚する、など。可能であればの話ですが。

そうでなければ、改善するしか手はありません。
必要最小限、戦う必要も出てくるでしょう。
助けてくれる理解者もいてくれると心強いですね。
でも、もし誰もいなくても、ひとりで戦わなければ、現実は動きません。

でもね、あなたの生きている世界は、厳しい現実であって、夢の世界ではないのです。
本当に苦しい時は、心身の疲れをとるために、しばし現実を離れることも必要です。
しかし、十分に癒えたら、また現実で戦わなければ、生きていけないということを忘れないでください。

もう十分に癒えたのに、現実に戻るのが怖くて、夢の世界で、生きる屍になるのはやめましょうね。

メンタル疾患の初期、急性期に必要なのは癒しです。
慰めてくれる優しい言葉。
ゆっくり休める環境。

そして、治るべき時期が来たら、必要なものは変わります。
健常者の世界に、もう一度変えるために必要なのは、覚悟です。
まわりの人間の叱咤激励。
厳しい現実の世界へ、戻る勇気です。

<必要以上に理解を求めないで>

誰もわかってくれない
私の見方は誰もいない

そんな気持ちにさいなまれるメンタル疾患です。
ひとつ覚えておいて欲しいのは、必要以上に、周りの人の理解を求めないことです。

人はひとりひとり価値観が違って当たり前です。
あなたの価値観を100%理解できる人間など、この世にひとりもいません。
そんな人間像を、恋人や親や、旦那さん、奥さんに求めないでください。
不可能ですから。

とてもやさしい伴走者なら、あなたの求める過酷な要求を叶えようと無理をするでしょう。
適当にはねのけてくれる、そんな強さのある伴走者なら良いのですが。
つぶしてしまいますよ。やさしい誰かを。

そして、あなたは叶えられるはずもない、夢のような理想の理解者を求めて苦しむでしょう。
あるはずのない理想の形を求めて。
きっとそれは、砂をかむようなむなしさでしょう。
求めても求めても、得られないものを、ずっと求め続けるでしょう。

ある意味、人間はひとりで生きる側面があります。
だいたい同じような素質をもつ、全くの他人と暮らしているのです。
わかりあえなくて当然。
なんとなくうまくいっていれば、それで上出来なのです。

思い返してみて下さい。
あなたが理解して欲しいと願う、その人のことを、あなた自身はどれだけ理解しているのですか?
その人が何を望み、どうしてあげたら喜ぶのか、完璧に知っていますか?
もし知っている!というなら、それが真実であるか、どうやって確かめますか?
その人の心の中など、見えないのに。
気を使って、合わせてくれているだけかもしれないのに。

必要以上に、”理解されること”を求めないでください。
みんな違って、みんないいのです。
あなたの一番の味方はあなた自身。
あなたがあなたの応援をすればいいんですよ。

一人で生きていく勇気を持てないのに、他人は守れません。
家族も職場も、一人で十分生きていける、自立した人間が集うところです。

誰にもわかってもらえなくて、いいんです。
あなたがあなたの親友であればいいんですよ。

<最後に>

健常者に俺の気持ちがわかってたまるか!
と叫ぶ、あなたの苦しみの原因は、自分が自分を否定していることかもしれません。

健常者の世界へ、本気で帰ってくる気があるのなら、その健常者の言葉を聞かなければなりません。
もちろん、相手が無理難題、不必要なキツイ言葉を吐き出しているのに、無条件に受け入れる必要などありませんよ。

でも、もし、その健常者が、あなたのことを思って、あえて厳しいことを言っている、と感じられるときは、受け入れるべきです。

まずはじっくり、心身を癒すこと。
でも、ある程度癒されたら、現実に戻ってくる勇気を忘れないこと。

それが、メンタル疾患完治には、絶対に必要なことだと私は思います。

これを最後まで読んでくれた、あなたへ。
必ず、メンタル疾患を克服してください。
現実に戻ってくる勇気を忘れないで。

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