子は宝③
「しろがねも こがねもたまも なにせむに まされるたから こにしかめやも」
この歌を知ったのはお腹に長男を宿していた時でした。
安定期に入ったとはいえ飛行機に乗るのは怖かったので、新婚旅行は陸路で行ける場所にと京都・奈良の修学旅行コースにしました。
大人になってからの京都は風情を感じられていいものでしたし、行ってみたかった奈良ホテルもクラシックホテルさながらの雰囲気ある建物で楽しめました。
その奈良にある大神神社で引いたおみくじに書かれてあったのが先程の歌でした。
最初読んだ時は平仮名で書かれていましたしいまいちピンとこなかったのですが、姉におみくじの内容を伝えたところ、ピッタリじゃんと言われてわかったのです。この歌は子供について書かれているのだと。
作者は山上憶良。万葉集にのっています。
「銀も 金も玉も なにせむに
まされる宝 子にしかめやも」
訳「銀も金も宝石も、どうして優れた宝であろうか。
いやけっしてそうではない。それらの宝も、子供という宝に及ぼうか、いや及ぶものではない。」
私はこの歌を思い出す度にとても不思議な気持ちになります。
この時お腹にいた子は自閉症という障害を持って産まれてきました。息子は14歳になりましたが、今まで、それはそれはいろんな事がありました。何度も荒波に揉まれて沈みそうになりました。その都度、爪から血を流しつつ何とか陸地に辿り着き、息もからがらなんとかまた人としての道を歩き始めたものです。
その度にふとこの歌を思い出しては自分の心に誓うのです。
そうだな、子は宝なのだからどんな事があっても大事に有り難くおもわなきゃいけない、と。というのでは実はありません!
どうしてこんな大変な目に合わなきゃならないのだろう、どうしてこんな人生を選んだのだろう。そう思った事は数知れずです。本当にもう無理だと思った事は星の数ほどです。そんな時に歌一つで冷静になれるはずがありません。
この歌を思い出す瞬間、あの大神神社の静かな佇まいと共に木々から優しく降り注ぐ光を感じるのです。あれから14年も経つのにまだ鮮明に思い出せます。
そして心がふと軽くなるのを感じます。先程までグラグラしていた自分の足元がピタっとおさまってまた歩き出せそうな気がしてきます。リセット、という感じが近いかな。
そしてそれからやっと歌の内容が心に浸透していくのです。白くて神聖なあの時の空気と共に。
どうしてこんなに大変なのだろうと思う時、言葉では表せない不思議なこの感覚がこの歌と共にやってくるのです。
神様からのメッセージなのか何なのかわかりませんが、私はこの感覚があまりにも次元の違うものという気がしてなりません。うまく言葉にできず歯痒いです。
ただ子供を可愛いと思う時、それは笑顔だったり寝顔だったりその他様々な場面ではありますが、心の底から素直に子は宝だなと思えます。その気持ちがある限りは大丈夫なのかなと思っています。