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ひな壇によせて

例えば、コンサート会場の幕が開いた時、観客席がこんな感じだったら舞台に立つアーティストさんは平常心でパフォーマンスできるんだろうか。

例えば音楽コンクールで指揮者がタクトを振った瞬間に客席側から世界屈指の本物のオーケストラが鳴り響いてきたとしたら自分のパートの旋律を守ることができるんだろうか。

例えば劇団四季の『ライオンキング』のオープニングとともにアフリカのサバンナが現れて草原の向こうからライオンが走ってきたら、それでもプロは意識高く公演を全うするのか。

こんなことを思ったのは、私が夢の中でこんなことに出会ったからです、もう昔のことですが。

当時、星野道夫さんの本「旅をする木」が好きで穴
が開くほど読んでいたので本当に空いたのかもしれない

夢の中で私はシナリオを書きキャストを揃えアラスカの風景の舞台の稽古をしていました。本番となりその幕がわずかに持ち上がった瞬間に刺さるような暴風氷が流れ込んできて舞台設置は吹き飛ばされ獰猛なアザラシが氷の上を滑りながら冷海の中へザッバーンッと突潜入したその飛び散るあおりシブキ、雹(ヒョウ)か霰(あられ)かとにかく氷のしぶきを浴びて目が覚めたのです。
本物はそんなにナマッチョロクナイという教訓を残して。

そこからはじまる景色が
ページをめくるようにはっきりと変化してゆく

「行けるよ。」の一言が魔法のように叶って本当にアラスカに飛ぶことができたのです。その声は澄んでいて、いつまでも耳に残る声、それでもどうやってそこに着地できるのか。「お金と子育てに追われる母さんが、仕事もあるし、そんなとこ行けるわけないじゃん」と頭では思っているけれど、耳としては、叶う音と判断していつまでも響きました。もうそこからは「星野道夫さんのアラスカ」ではなく「私のアラスカ」に変わっていきます。

3月3日は耳の日でもあります。聞こえてくる音には
過去のもの、とりあえず今のもの、少し未来をほのめかしているもの、遠い先を暗示しているもの、いろんな音があると思います。

noteをはじめてもうすぐ2ヶ月になりますが、私はこれまで星野道夫さんの内容を書いたことはなく、
「ルールーの肖像」でただ一度ワードとして文章中に入れたことがありますが、それでも見つけてくださった方がおられて、そこから星野道夫さんの世界に心惹かれたみなさんのnoteに続いていたり。

ほんのわすがな一点から脈々と繋がる今の時代に
私が思うことは一点でも百点でもそれはどちらでも良くて描くイメージの向こうに本当の姿が待っていて、望むなら開いてくれる時代なんだということです。幕が開いて自分は本物を目にしたとき吹き飛ばされるのか、飛び込むのか、逃げ出すのか、立ちつくすのか、それでも今の自分を守れるのか、壊すのか、何を思うのか。

これからまた体験してみたい感覚や、
驚異的な言葉の組み立てに感心する方、
大学生のうちの子供みたいやな、と気になる方、
たくさんのnoteを拝見し、世界に色を感じて刺激を受けて、朝スタートさせてもらってます。
お弁当作りを卒業して、早起きする必要がなくなって寝坊したらいけない、そんな時にnoteをはじめたので、楽しみに朝起きることができ、感謝、みなさんのnoteに感謝、ありがとうございます。

これも昔、劇団四季のライオンキングを見に行ったことがありますが、それこそ最後部席、ひな壇でいう親王の席だったんです。せめてストーリーが追えてキャストの表情が見える位置ならまだしも、音の迫力も届かず出演者の姿が豆粒で、よく見えたのは、舞台裏、高いところなので背景や大道具に隠れて次の出番を待っているのが丸見えで、S席の人と同じ感動を共有するのは難しい、かなり視点が違う、仕方のない可笑しい経験も合わせて

ひな壇によせて今日はこんな思いになりました。
何段にもなって私にしては長文で、自分よりなことにここまでおつきあいただき、最後まで読んでくださってありがとうございました。

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