逆立ちしたってゴジラにはなれない
映画ではよくゴジラは圧倒的な暴力として機能しているけれど、僕はリアルにゴジラにめちゃくちゃにされたい願望がある。僕個人がというよりも、世界全体をめちゃくちゃにしてくれよ、という意味だ。それは破壊願望というより、破壊されたい願望に近い。自分がカオスの中心地になるよりも、カオスに巻き込まれたい。
シンゴジラを僕は大好きで何度も見ている。セリフも覚えるほど見ているけれど、最近見方が変わってきた。最初のうちは、日本がゴジラによってめちゃくちゃにされる、じゃあオタクの力を結集して何とかしてやるんだ!というような映画だと(大雑把に言うと)思っていたけれど、本当は日本を(世界を)めちゃくちゃにしているのはゴジラじゃないんだと気づいた。人間のほうがゴジラよりもよっぽどカオスなんだ。ゴジラはただ歩いているだけ、という台詞もあるように、ゴジラはカオスの外側からやってきた無垢の存在なんだ。僕はそれに憧れた。
もし僕がゴジラになったら、ただただ歩き回りたい。日本だけと言わずに、世界中をあるいて回りたい。決して宇宙には行けなくても、世界中の国から狙われる運命だったとしても、堂々と立ち尽くしたい。間違っているのは人間たちの方なんだ!!なんて思っていたとしても、態度としては示さなくていい、ただそこに堂々と立って、歩いているだけでいい存在に僕は恋をしてしまった。やれ資格だ、やれ勉強だ、やれコネだとかそんなことまでして生きていかなきゃいけなくなった、僕にとっては複雑すぎてこの世界がつらい。だから、僕はただただ立って、歩いて、それだけがしたくなった。でも結局のところ、ゴジラを眺めて破壊されたい願望を持つ人間程度じゃ、逆立ちしたってゴジラにはなれないんだ。