愛情は人間だけのものですか。
こんにちは、ニャットです!
皆さん、動物は人間の言葉を理解し、人間の愛情を感じられると思いますか。
私が小学生のとき、犬が大好きなので、母親が小さいワンちゃんを買ってくれました。当時あの子犬を見かけたら、可愛くてかわいくて、抱きしめて、ずっと一緒に遊んでいました。ところが、ある日なぜか理由はわかりませんが、その犬にかまれました。それ以来、犬はもとより、ほかの動物も嫌いになってしまいました。動物は食べることと寝ることしか考えていなくて、私の愛情は全く理解できないとずっと思っていました。
高校生のときに、好きな女の子から、自分が飼っている犬を飼ってくださいと頼まれました。彼女は、父親の仕事の都合で、海外で生活することになり、犬を飼い続けられなくなったと話しました。でも、動物が嫌いで、その犬もあまりかわいくなかったので、よい返事をしませんでした。何回も頼まれたので、仕方なく引き受けることにしました。
ミニという名前のその犬を飼うことになったのですが、その世話はほとんど母に任せていました。でも、私が家に帰るたびに、ミニは家の前に立って、なんだか私を待っているような気がしてきました。ミニはいつも私のところへ来て、私の手をなめていました。寝るところは私の部屋の前でした。私に呼ばれたときはすぐに出てきました。私の命令は時々わかって、私が言ったとおりに行動していました。ミニは、新しい飼い主の私に、愛情をいっぱい表現しているように思えてきました。
ある日学校から帰ってきたら、ミニの姿が見えませんでした。すすり泣いている妹の顔を見ると、よくないことがあったのだと気づきました。ミニがいつものように、家の前で私を待っているところを、誰かに連れて行かれてしまったのです。
いくら探しても、見つからず、悲しくてたまりませんでした。日本の皆さんは驚くかもしれませんが、ベトナムでは、ペットの犬が盗まれるのは珍しくないのです。私は、ペットを盗まれない日本のほうが不思議なのです。
驚いたことに、三日後、薄汚れ傷だらけになったミニが戻ってきたのです。ほかの犬に噛まれたりしながら、私の家を探しあてたのです。もう、うれしくて涙が流れてきました。抱き上げると、ミニは私の涙をぺろぺろなめました。
それからしばらくして、友達の飼っているネコや犬を見かけると、私から話しかけている自分に気づきました。嫌いだったはずの動物とコミュニケーションをとろうとしていたのです。
ある日、外国人に会いました。そのひとは、ベトナム語はもちろん英語もほとんどしゃべりません。でも優しそうな笑顔で私に話しかけてきたのです。私はベトナム語と英語でいろいろ話をして、その人は日本人だとわかりました。
以前の私であったなら、それほど積極的に話しをしなかったでしょう。言葉がわからなくても気持ちはわかることは、毎日私とコミュニケーションをとろうとした犬のミニが教えてくれたのです。
やさしい日本人と、おたがいに言葉がわからなくても親しくなれたことが、私が日本語の勉強を始める動機のひとつでした。15年前のミニとの出会いをきっかけに、自分が変わったことで人生までも変わってきたのです。
みなさん、動物か、初めて会った人か、外国人か、そんなことは気にしないで、自分から積極的にコミュニケーションをとりましょう。そうすれば、いつもとはちがう新しい自分を発見できると思いませんか。
残念ですが、写真にはミニがいません。もう死んでしまいましたので、現在の3匹ワンちゃんです。