「闖入者」を読みました。
安部公房「闖入者」を読みました。30年ぶりくらいでしょうか。再読です。
少しネタばれ
ある日、突然、見知らぬ9名の家族が「ぼく」の部屋にやってくる。当たり前のように部屋でくつろぎ、「ぼく」の私物を使い(財布まで!)、その上、お茶を入れろだの、皿を洗えだのと言う。
「ここはぼくの部屋だ」「出て行ってください」
そんな常識は通用しない。「ぼく」の主張はことごとく、9名の民主的(?)な多数決によって否決される。9名の中には、腕力に訴える者もいる。
頼ろうとしても近所の人たちも彼らにうまく丸め込まれているようだ...警察は、弁護士は...と奔走するが...
給料日!
危険を察した「ぼく」は、給料袋(当時は現金支給)を恋人のS子に預けて帰宅するが...
常識って
当たり前と思っているものが、当たり前でなくなった時の錯乱。証明する必要なんてない、誰だって当然だと思っていること。それが実は、とても脆く、危ういものだということを思い知らされる。
「絶対」などというものは、実は、無い。何よりも正しいことのように思える「民主主義」とか「多数決」の持つ怖さ。
「ここはぼくの部屋だ」
そんなこと、議論する余地もない。考えれば、わかるでしょう。ということを、誰もわかってくれない。もっと目立たない程度のことなら、誰にでも起こりうる絶望的な状況に、ついつい引き込まれ、あっという間に読み終えてしまいました。(まあ、短編なので、とても短い作品なのですが。)
赤い繭
安部公房の別の作品「赤い繭」では、ある家に入ろうとして、
「ここは私の家です」と断られて、
誰かのものであるということが、おれのものでない理由だという、訳のわからぬ論理...
という言い回しがあります。
こういう表現に、意味も分からず惹き付けられて、奥が深く、難解なものが多いにも関わらず、安部公房の作品を好きになっていった気がします。もちろん、今でも、わからないことだらけなのですが。
時代の違い
「赤い繭」は1950年、「闖入者」は1951年の発表だそうです。そして、「闖入者」を原型とする戯曲「友達」の発表が1967年だそうです。
1951年といえば、終戦からまだ6年。ドナルド・キーン氏が新潮文庫に書かれた解説にあるように、都会のアパートは、キッチンもトイレも共同という時代です。「友達」の1967年になると、郊外に団地が作られ、各家庭には電話や冷蔵庫もある。戦後と高度成長期。生活様式や人々の関心事が大きく変わった2つの時代に提示された「闖入者」と「友達」。当時の人はどんな風に受け止めたのでしょうか。
2021年だったら?もう、電話はスマホになったし、皿洗いは食洗器が、掃除はロボットがやってくれる時代です。給料袋は?現金で支給しているところは、あまりない時代です。
まさかの
私が、久しぶりにこの作品を読もうと思ったのは、「友達」が、2021年の秋に上演されることを知ったからです。
驚きです。
加藤拓也さんという、若い方が演出されるそうです。いま、安部公房を、ということにも驚きですし、どんな感じに表現されるのか、楽しみにしています。