コロナ禍の人との繋がりって。
もう何度目かわからない緊急事態宣言の延長。
もはや緊急事態が日常となってしまっていて、コロナが流行る前の"普通の生活"をもはや思い出せなくなっていた。
2年前に韓国で買った服に袖を通した時、韓国旅行での思い出が蘇って来た。
新大久保に行くのと同じ感覚で、パッと飛行機を予約して、やっすいゲストハウスに泊まって、好きな街をぶらついて、服を爆買いして、現地で仲良くなった人と遊んで。
それが私の生き甲斐であり、ストレス発散方法だった。
韓国をはじめとする海外を旅行するのはもちろん、国内を旅行するのも大好きだった。
土地勘もないところを目的もなくぶらぶら歩いてみたり、現地名物をお腹いっぱい食べたり、知らないことを知るって刺激だった。特に趣味がない私だけど、唯一心が動かされる瞬間だった。
その唯一の楽しみを奪ったコロナ。自分にはどうもできないことに対して怒りの感情を抱くのは時間の無駄だとはわかっているけれども、間違いなく私の生活から彩りを奪っていったコロナ。
大好きな旅行が出来なくて、さらにはただの外出でさえ制限をかけられる生活に鬱々していたけれど、ひとつだけ良かったことがある。
それは、「人との繋がり方」が見えるようになったこと。
私は3月末まで大学生をしていたが、コロナ流行前は大学に行けば誰かしらに会える生活を送っていた。ありがたいことに、いろんな人と仲良くさせてもらっていて、気づいたらこの大学生活で幅広い人脈を作っていた。
でもコロナになってから、1人暮らしだったため家族にも友達にも誰とも会えず、孤独感を感じて本当に辛かった時期があった。電話をしても、ZOOM飲み会をしても、空間に一人でいることには変わらないから空虚感でいっぱいだった。
そんなネガティブな気持ちを払拭したのは自粛が緩み、少人数で久しぶりに友人たちと集まった時だった。
対面で会えなかった時間が長かったとしても、いつも通りくだらない話で爆笑して、心の距離と関係性は変わらずそのままだったのが本当に嬉しかった。ありがたかった。
また、(誤解を恐れずに書くと)関わる人の取捨選択もできるようになったのも良かった。
外出が制限されてることもあり、人と会うには約束をしなければ会えなくなった。約束をしてまで会いたい人なのか、実は今まで無理をして遊んでいた人だったのか、コロナ流行以前は見えなかった自分の本心をはっきり見えるようになった。
いろんな人の話、考えに触れてみたい!と思って人脈を広げていた私だが、コロナになって自分と対話すること時間が増えたことで、「広げることも大事だが、深めることはもっと大事」であることに気づけた。
"人"が好きな私だからこそ、改めて考え直せて良かった時期でもあったなあ、と去年のことを回顧してみた今日この頃だった。
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