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言葉の消化の仕方

長く人生を生きれば生きるほど、他人からの言葉は避けられない。

悪意のある言葉も悪意のない言葉も、話題やニュアンス、そして自分がどう受け取ったかによって簡単に歪んでしまう。

そして中には鋭い刃になって深く刺さって、一生消えない傷になってしまうこともある。

他人からの言葉はどうしてこんなにも強烈で、一度貼り付いたらなかなか剥がれないのだろうか。

忘れたつもりになっても、ふとした拍子に思い出すのだろうか。

昔の私は、相手から言葉の槍を刺されたら、「相手が刺してきたんだ、自分は被害者だ」と思っていた。そうやって自分の中で消化不良を起こして、身体の中に蓄積されるばかりの言葉たちをいつまでも消せないでいた。

そんな時、ある人が言った「転ばされたのは誰かのせいでも、起き上がらないのは自分のせい。」という言葉に随分感銘を受けた。

心無い言葉を浴びせられ、その言葉が足かせになり、コンプレックスになり、形を変えて自分を蝕む。

変化した怪物に足元をすくわれて見事に倒れてしまう事もできる。

むしろそれしか方法がないとさえ思っていた。だからこそ、起き上がる選択肢があることに驚いた。

ただ起き上がればいいだけだったのか。
全てを真に受けて倒れる必要は無いのか。

こんなことに気づくのに実に20年もかかるとは。

言葉を受け取った時は、本当にこの言葉は自分に必要なものか判断する力はまだない。

でも少しだけ生きやすくなった気がする。

こんな調子だから、人にかける言葉も慎重になって、大事な人であればあるほど言葉を発するのが怖くなってしまう。

私なんかの言葉で思い悩んでほしくないから。

でも私の言葉が必要かどうかはあなた次第。
いらなければ捨ててしまっていいから。

そう一言加えるだけで、相手の心を軽くすることができるかも。






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