主観と客観、と、別の視点

自分のやりたいことだとかどういう印象を持たれたいかとかを考えていてふと、前からなんとなーく気になっていたことを思い出した。

それは、「自分の持っているセルフイメージ」と「他者から見た私のイメージ」以上に、「家族が言う私のイメージ」と「他人から言われる私のイメージ」に違いが大きい、ということ。

家族はかなり忌憚のない意見を言ってくれるひとたちなので、たぶん、こっちが本当の「外から見える私」で、外で出会うひとたちは多かれ少なかれ気を遣ってポジティブな言葉を選んでくれてるんだろう、とは思う。あと、私の態度・言動が家の内と外で違う、ということもあるだろう。

それを差し引いても、違い過ぎる。

そう、態度とか言動の話だけならまだわかるのだけど、外見への評価まで開きがあるのは不思議である。我が家の中では、私は色黒で体格は典型的な中肉中背、どっちかっていうとやや重め、という評価である。これが家を出ると、どちらかというと色白で痩せ型、という評価に逆転する。別に家族が度を越して辛口だとも思わないし、友人知人がこぞって心にもないお世辞を言っているようにも感じない。不自然なほどに顔を白く塗っているわけでもないし、細く見えるテクニックを駆使しているわけでもない。けれど、なぜだか、評価がずれる。

仕事についての評価もあまりにも違い過ぎて、もうこれはどうにかしようとしてもしかたないな、と半ばあきらめている。我が家において私は永遠に末っ子、というのはあるし、それに輪をかけてよくわからない仕事をどこにも所属せずにやっていて家庭を持つ気配もないという、なんていうか、理解とか想像とかの範疇外に私がいるんだろう。機嫌が悪いときはこのことについて頭に来ちゃうこともなきにしもあらずっていうか結構あるんだけど、冷静に考えれば、わかってくれという方が無理やん、というニュートラルな気持ちが蘇る。

コロナ禍で家族と過ごす時間と外で働く時間の比率が逆転しているのだけど、明日はひさびさにオンラインとオフラインで打ち合わせが続く。お仕事モードでぱりっとして働いて、ちゃんと働いてる実感を得てこようと思う。在宅でも仕事はそれなりにしているけど、たらたらしようと思えばできてしまう環境下で働いてると「ちゃんと」はしてない感じがする。「ちゃんと」している自分、が外の世界にはいる気がするので、それを味わってきたいと思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?