神が生まれた理由を考えてみる
宗教とは、元々人々が群れとなり生きていくためにすり合わせてきた価値観、倫理、道徳観とも言う「オキテ」「ルール」なんじゃないだろうか。なんてことをふと思い、時々考える。
あらかじめ断っておくが、大学まで学んだ一般的な歴史の知識しか持たない、凡人の妄想である。つまりなんのエビデンスもない。
そんな心もとない知識しかない私の浅い考えだが、人は生きるために集団を作り、それを機能させていくために「ルール」を作り、それ守らせ従わせるものこそ神だったんじゃないかなと。それはルールそのもの。
人が生きて行くには助け合いが必要で、人が集まれば暗黙の価値観のすり合わせが起きる。同じものを食べ、同じように働き、同じ日に休み、そして共感という結びつきが生まれる。
これが価値観で、群れが大きくなり複雑化するうちに「ルール」「オキテ」を生み出す。それは集団を統率し、生き抜くためには欠かせない、神の存在。信仰という形でまとめ上げていたのではないだろうか。
だから、そのルールは自然環境や狩猟なのか遊牧なのか農耕なのかにより性質は異なる。
そして、ある集合体ですり合わせてできた「オキテ」が、弱小集合体を吸収するのと合わせてその形を変え、いつしか宗教として大きく広がっていく。大昔は宗教と集合体(民族や国など)は一体だったのだし。そして宗教は集合体の中に生まれた伝道者により独自の動きを始める。
旧約聖書を分析したことも、ましてや最初から最後までちゃんと読んだこともないのでおこがましいのだけど、集団が大きくなり生活が変わるにつれ、神と人の関わりが変化して行く過程が見えたりしないだろうか。妄想しすぎかも知れないが。
しかし、そうなると宗教とは、神とは誰が作ったのだろうか? それは最初の集合体の名前だったり、それを束ねるものの名前だったりしないだろうか。
翻って、日本はどうだろうか。なにせ現人神というのを作り出してしまっている。
日本には自然崇拝だけでなく祖先崇拝が根底にある。そして、小さな集団ごとに崇拝する神がいた。各地にいた「オキテ」(神)でまとまる集団は、いつしか淘汰され、現人神の統べる大和に統合されていった。負けた神は、オキテから引き剥がされ、そしてそこの神は零落していく。そして、敗者が勝者のルールに従うのは当然の流れ。負けた側のオキテは、勝者側のそれに変わった。ただその中に、部分的に、神が切り離されたローカルルールみたいな形で残ったりはしたであろう。
さて、勝ち進んだ側である大和の頂点は、自らを現人神としてしまった。神=ルール=統べる人なわけだ。人が神になれるなんて、それは祖先崇拝、つまり人の崇拝がもともとなければ至らないだろう。
ともあれ日本には俺の決めたことは絶対!という存在が生まれてしまった。
しかし、人を統べる絶対的な神になるには寿命が短すぎる。だから、中国に習い法律を作り、政治機能が発達したのかも。なんて、飛躍しすぎか。
ともあれ、やはり神の存在は集団と共にあり、1つにまとまるための「ルール」「オキテ」、そして人を導く「標べ」。
中国を引き合いに出したので、中国についてもちょっと考えてみる。
太古の中国は神権政治だった。しかし、少なくとも春秋戦国時代の中国は、宗教色が薄いように思う。中国は日本と同じく(むしろ日本が影響を受けた)祖先崇拝があり、祖を重んじる。そして、それは「ヒト」に帰属する。
だから為政者が強く、法の考えが生まれたのかも、と思う。春秋戦国時代、法家の管仲や韓非日は有名だ。
では、古代バビロニアは?
ハムラビ法典を知らない人はいない。この辺りを考えると、まだ考えが浅い。あの王権は神から授けられたもので、政教分離はしていない。はず。(記憶曖昧)
ハムラビ法典は彼の国の人々の聖書のようなものなら理解できる。いわゆる為政者の政治のもとの法律ではなく、神権政治のもとの法律なら、それは彼の国の神(ルール)を明文化したものなのだろう。
まだ妄想は尽きないのだけど、とりとめもなくなってきたので、この辺で締めくくるとする。尻切れとんぼのようでお恥ずかしい。
ちなみにこの研究結果はわりかし腑に落ちる。
未熟ですが書くことは好きです。もっとたくさん書いていけるよう頑張ります。