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佐川美術館

前々から行きたいと思っていたけれど、アクセスの悪さからためらっていた佐川美術館。とうとう、の訪問。

電車で琵琶湖の賑やかさ(釣りとか、ウィンドサーフィンとか、湖面を突っ切るボートとか)にときめきながら、1時間に1本しか来ないバスにやきもきしながら、到着。バスで渡る琵琶湖大橋、ひとりわくわくしていたけれど、住んでいる人には当たり前の光景なんだな。ゆたゆたと揺れる湖を観ながら暮らす毎日ってどんな感じなんだろう。不動の山々(時々小さく噴火はする)に囲まれて育った私には見慣れない、しかしながら憧れの土地となりました。

肝心の美術館は、ひとことで言ってしまうと想像以上の素晴らしさでした。エントランスを入った瞬間からスケール感がうわっと広がって、北海道にあるモエレ沼公園を思い出すような直線的に拡がる空間。

企画展は、「神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世の驚異の世界展」。導線も展示もすっきりしていて、空間も比較的余裕があって1点ずつしっかり鑑賞できた。占星術と天文学と科学がごちゃごちゃに混ざり合っていた時代の、混沌としながらもロマンのある地球儀や書物に、今の時代のものもそのうち真実ではなくなるのかな、と物思いに耽ってみたり。
随所で映像に頼りがちな部分があったので、せっかく作品がその場所にあるのだから、もっと、鑑賞者ひとりひとりがそれぞれの見解で展示品を観ることを肯定する環境であって欲しいなと思ったり。

なによりも心奪われたのは、地下の展示空間。樂吉左衞門の作品の展示スペースなのですが、空間に作品を収めるのではなく、作品のために空間があるのような造りになっている。暗闇に浮かぶ器は、まるで宇宙空間に揺蕩っている惑星のよう。ありものに展示品を合わせるのではなくて、作品そのものの美しさを最大限に、あるいはそれ以上に魅力あるものに仕立て上げようとする、気配りと情熱を感じた。

商業的に採算を取ることも、大事なんだけれども、ほんとうにそれが美術館の使命かといったら、きっとそうではなくて、美しきものを、守り、育て、社会の文化的な底上げの一端を担うべきものなのではないかと、そうであるべきだと。贅沢って決して「悪」だけではなくて、ひととして重層的な立場で物事を考えられるようになるために、かなり役に立つもののなのではないかと、帰りの電車でうとうとしながら夢見心地でそんなことを思った午後でした。

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