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アーミッシュカントリーを訪ねる・彼彼女らの手

アメリカで二つ目の滞在先が、オハイオ州でアーミッシュの方達が暮らしているエリアです。コロンバスからは北東へ2時間半ほどの場所です。

アーミッシュとは、スイス系の移民でキリスト教を共同体の一つです。特徴としては、伝統的な信仰生活を守るために、文明を取り入れることに対して非常に慎重で、今でもなお商用電気を使わずに自給自足に近いような、農耕牧畜を中心産業とした生活をされています。なんと建築も納屋とかは手で作ってしまうらしい。すごいな。

会う人たちからはとても真面目で優しい人柄の人が多い印象を受けました。彼らの仕事、例えば家具や工芸品を見てもすごくずっしりとした厚み(実際生木を使うから重い)があってそして精密でなんだかauthenticな風格を持っている気がします。そんな彼彼女らが住んでいる土地に滞在します。

その土地に近づくにつれて、目にみえる変化が二つあります。

一つ目は、車道の隣に線が引かれており、広めの側道ができていること。これは何かというと、馬車が通る道なのです。

伝統的な暮らしをまもるアーミッシュの方達は商用電気を使いませんので、基本的な移動手段は馬車か自転車です。車で移動している時にも頻繁に馬車とすれ違いますし、馬車も信号待ちをしています。(そしてウインカーまでついている)
景色としては不思議と違和感がありません。バギーと呼ばれていて、ある意味この土地のシンボル的にもなっていて、お土産のステッカーとかはこのバギーのシルエットをしているものも多かったです。

もう一つは、道が大きく起伏していることです。しばらく平坦な道が続いていたのですが、アーミッシュの人たちが住んでいるエリアにはアップダウンが多い。
なぜか聞いてみると、都市開発の手が伸びてくることがないように、敢えて開発のしづらい土地を選んで暮らしているらしいのです。確かに農耕牧畜生活であれば大きな不便はないのかもしれない(いやあるのかもしれないけど)

アーミッシュの人たちはおおよそ同様の服装をしているので、すれ違うと大体わかります。男性は単色のシャツに黒いズボンにサスペンダーにブーツ、そして大きな麦わら帽子、女性は単色のワンピースにエプロンと頭に白いボンネット。これらの服装はおおよそは数百年前から変わっていないとのこと。

少しでも柄のあるものだと、それはアーミッシュの着ているものではなかったり、戒律がアーミッシュよりは緩いメノナイトのものであるとわかります。(メノナイトとアーミッシュは民族の出自は同じ)私たちの目には少し風変わりに見えたりすると思うのですが、むしろ変わっていったのは私たちの方なので、流行などを追うことで、無駄が発生したり、慎み深さや謙虚さを尊ぶ伝統が失われることと比べて、変えないことを彼彼女らは選択しているわけです。

地産の野菜を出してくれているレストランで地鶏のフライドチキンをいただきました。サラダは取り放題形式で、何とも大学の学食のような景色です。なんか懐かしい気分もします。ドレッシングはどれもだいぶ甘め。味付けもなんだか甘めな気がします。チキンはさっぱりしているのに旨味あってとても美味しい、あとアメリカでは鶏の部位によってホワイトかダークか呼称が違うのですね、知らなかった。胸はホワイトでももはダークだとか。確かにホワイトはヘルシーな部位な気がします。

アーミッシュの歴史博物館に到着して、語り部の人からの説明を大きな壁画を前にしてその歴史と神話との関係を聞かせてもらいます。澱みない説明で知らない単語がズララーっと並ぶのでだいぶ聞くのに苦労しましたが、目に飛び込んでくる壁画と今話している話題にスポットライトが当たるので少しずつ理解が進みます。この壁画というのが、ある芸術家がこの街に滞在して、アーミッシュの暮らしとその歴史に感銘を受けて、これらはどのように伝えられているか聞いたところ、全ては口伝で伝えられていることに驚き、ではここに私が住んで、あなたたちの歴史を語る絵をここに作りましょう、ということで絵が作られて、そこが歴史博物館になったとのことです。

ここでアーミッシュとメノナイトの出自も知ることができました。私がこの前の日にお会いしたエリさんの旧友であるシンディさんはメノナイト出身で、昔は鶏卵の採集が日課だった、といった話もされていました。
メノナイトとアーミッシュはアメリカに移民する時に同じ船に乗ってきた同じキリスト教に帰依する同志である二人で、最初こそ共同で開拓を行いますが、やがて信仰上の仲違いが起きて二つの流派に分かれて、それがそれぞれ、アーミッシュとメノタイトに分かれていったという話だったのですね

なるほどな。そういう分裂って色々な場所の歴史にあるけどしっかりどちらもが共存しているのは開拓する土地が広く残されていたアメリカさながらなのかもしれない。土地の限られた日本や、国内の勢力の動きの激しい中国の歴史をみると、血を血で洗っちゃうものな。

もう一つ言及したいのが、彼らの手工業のことです。
家具や工芸品を、滞在したホテルや、親戚の家(アーミッシュ手製の家具屋から買っているらしい)でみたり手に取ったのですが、それらは緻密で、効率的な工業製品とは対極の丁寧な手仕事の様子が見えるのです。
これはなかなか見れない仕事だったと思います。ホテルの廊下や部屋はたっぷりとした空間の余裕があって、ホテルの調度品は誰が作ったものはか分からないのですが、ランプやタンスやベッドなどのしつらいは、どっしりとした重厚さと素朴な手で一つずつ削ったような、丁寧さがありました。
生木を使っているらしいことも理由なのかもしれないな。都市圏で暮らしていると、やっぱり空間が限られてしまったり、引っ越しのことを考えないといけないので、組み合わせやすいサイズや動かしやすい分解を考慮したものに囲まれていると感じられないゆとりがありました。

そんなこんなで、日本では考えられないような余白のあるホテルのキングサイズベッドの真ん中で眠りにつくことができたのでした。

二日目は、『The Farm』つまりそのままの意、農場を訪ねました。
農場といっても、動物園のような場所で、鳥類と草食動物を中心にふれあいができます。特に目玉は、馬車のひくワゴンに乗って動物の住むエリアを回遊するツアーでした。これがまただいぶワイルドで、馬車が各エリアで止まるたびにワゴンは動物たちに囲まれて、我々が備え付けられた餌を握って彼らの鼻先に渡してはむっしゃむしゃと食べてもらう。


日本での動物園の餌やり体験は個人的には「那須どうぶつ王国」のそれが一番彼らと仲良くなれるような気がして好きなのですが(動物園の餌やりを比較したことってあんまりなかったな)ワイルドさでいったらぶっちぎりの一番でした。
これ、手であげて大丈夫な動物ではなくない…?という場面もあったりして、バギーの主人から鼻の上から落とす感じで、と言われてホッとしたりしつつ、動物に包囲されている感覚はおもしろかったです。

そしてそのバギーで興味深かったのが、おそらくメノナイト(アーミッシュの服装だったけれど、多分?)の馬車の手綱を持つ案内をしてくれた男性と、私の隣に座っていた近くの地域で広大な農園をしているらしい男性の会話でした。餌のバケツを空にすべく、手を外に差し出しつつ(左の男性はもはやバケツからそのまま食べさせていた)私を挟んで行われる会話を聞くと、ざっくりいうと、左の男性は広大な土地で農業をしながら、2-300の豚を飼育して、どちらかというと現代的な農業をしているようで、右の案内人は、もう少し小規模な農業をしているらしい。
どのような農業をしているのかは具体的には話されませんでしたが、やっぱりアーミッシュやメノナイトの彼らにとっては、広くて大きくて能率的なこと(もっというと儲かること)は一番大事なことではなくって、手触り感のある仕事が大事なのかもしれないな、ということが伝わりました。

自分もある意味でものづくりにそれなりに関わってきた人間として、少し思うことがありました、確かに早くて便利にすることは大事な仕事だけど、それが優先度の一番であることは、別に自明ではない。
これって別に当たり前のことだけど、あまりに便利な世の中にいるとそれを否定することってすごく難しい、だって黒い板を数タップすると、玄関まであたたかくて美味しいご飯が届く(Uberでーすという声と共に)生活から足を洗うことは現代人にはかなり難しいことだ。だけど彼らは目の前でそれをしているし、現代において、彼らは彼らのスタイルを持って暮らしている。

自分がそうなれるか?っていうと正直今の所の返事は「いいえ」ではあるのだけど、自分がつくるものは、彼らのつくるもののような、余白や丁寧さを持つものにしていきたいなと思ったのでした。

そんなこんなで、惜しみつつこの土地を後にしたのでした、馬車や自転車とすれ違いながら。

ちなみに、この次の日には親戚と惜しむらく別れののちに、シカゴに発って、開拓されてきた 都市を摩天楼から見下ろして、アメリカの流石の幅の広さにくらくらとするのでした。
最初はきっとどこもかしこも更地だったのを、ここまでがらっと開発してしまう。しかも時間的な縮尺は日本をはじめ他の国よりも比較的若いのにやっぱり驚いてしまう。シカゴの話はどこかでまた今度。

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