断片的な私のタイムライン
親に自分の「時間感覚」について説明してみた。親は私のとまらない愚痴と内省(?)に付き合ってくれており、なぜ同じ後悔を毎日繰り返してしまうのか、私が感じている時間を共有してみようと思った。
点の時間
私は時間を「点」のように感じている。基本的に、時間は「線」として未来に向かってまっすぐ伸びており、過ぎたものは「過去」であるとされていると思う。けれど、私にとって、その出来事が気になるものである限り「過去」ではない。何年も前のことでも数時間前に起こったことのように強烈に感じる。あるいは、昨日のことが何日も前のことのように思える。例えば、誰かにとても傷つくことを言われたとする。その人と仲良くなるか気持ちを消化するまでは、何度もその発言に戻る。対照的に、とても嬉しい出来事にも何度も立ち返る。味がしなくなるまで飴をなめているようなものだ。自分が気にならなくなったとき、それを「過去」と感じられるようになる。ただし、起こったことを正確に覚えているというより、怒りや喜びを新鮮に何度でも味わえるというだけだ。
親には、昨日もう自分を責めるやめようねって言ったのに、なぜ同じことを繰り返すのか?と言われた。そのとき、もう頭の中では自分を責めたことが1週間前くらいになっていて、新鮮な気持ちで自分を責めていたので、また時間軸が歪んでいたなと思った。
困ること
・予約ができない
なぜライブ、旅行といったたぐいのものに縁がないのかと考え続けてきたが、おそらくこの時間感覚のせいだと思う。「予約」がとても難しい。例を挙げるなら、最近、とても行きたかった舞台の抽選に申し込みそびれてしまった。腹の立つことがあり、その感情にとらわれるあまりできなかったのだ。忘れたのではなく、締め切りがあるとわかっていた。でも、「〇日〇時が締め切りだから、落ち込むのはいったんやめてとりあえず申し込もう」ができず、一番気持ちが向いていることにかかりきりだった。
お盆に旅行するにはこの月までには新幹線を予約しないと、とかできない。結局早割を使えたことがない。「未来」は私の時間感覚にとってあるのだろうか?……あるけれど、順番に来るものとはあまり思えない。ものすごく遠い未来を心配するか、目前に迫ったものに焦るかだ。いつも嵐の真ん中にいる思いがする。
・自分の成果が積み上がって感じられない
「ハルカさんは、いろいろやっているけれど、それが自分の中で繋がっていませんね」
大学の時のカウンセラーに言われた。そう、インターンだの研究だの頑張ったはずなのだが、成果として積み上がって感じられない。たぶんインターンなどが終わって満足した時点で「済んだこと」になってるんだろう。
・就活
これは困ることというか困ったことだ。時間軸がかっちりしている人向きだと思う。連続する締め切り、一貫したストーリー、将来のビジョン。
まっすぐな時間軸でない世界から見ること
自分を卑下することが多いけれど、この時間感覚についてはあまり悪いと思っていない。「一貫した」「連続した」時間がやたらと重宝される今の世界で、飛び飛びな時間はけっこう大切なのではないかと思う。18歳になったら高校を卒業し、働くか大学に入り、23歳頃卒業し、就職し、結婚する。多くの人がそう生きるはずだという前提の社会にはうんざりだ。べつにこの時間感覚でいいこともないけれど、そういう生き方だということだ。
ただ、まっすぐな時間を共有していることで成り立つものはあるので、そこを無視はできない。書類は受理されないと困るし仕事には納期がある。そこは試行錯誤している。
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