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まっすぐでない世界②:完璧の目指し方を変える

まっすぐでない世界


 
 親に宛てて書くつもりで始めた「まっすぐでない世界」。親に対するLINEだけではもったいないような気がして、noteでも書くことにした。
「まっすぐでない」ということばには、前に書いたような「時間感覚」や素直に受け取れないまたは受け取りすぎることから、「まっすぐでない」世界を生きている、という意味を込めた。また、大好きな『脇道にそれる』という本も意識した。「脇道にそれる」ことは「まっすぐ」に進まない、ということだ。あと、何かと「まっすぐ」を求める世界への反発でもある(が、迎合しようともしている)。

完璧を目指すが、目指し方を変える


 今回のテーマは「完璧」だ。しつこいが、引き続きチケットのことにこだわっています。(「まっすぐ」にならないのは、一つのことにこだわるあまり脇道にいくからだともいえる)。
 もしかして、私は「落ち着いた状態で、情報をきちんと集めて、的確に」チケットを取らないといけない、と思っていたのでは? よく、「一度に全部やろうとしてはだめ。少しずつやるのがコツ」と言われないだろうか。例えば、試験勉強を一夜漬けでするよりは5分でも毎日勉強した方がいい、みたいな。私は「完璧に準備してからでないとやってはいけない」とどこかで思っている。または「一つ一つを完璧にやらなくては」と思い込んでいる。でも、そうすると進まない!!仕事でも完璧を目指すあまり時間がかかっている。
 そこでふと思ったのだが、完璧を目指すのではなく、「最終的に完璧」にすることを目指して、その時やるべきことだけを見極めればいいのでは?一つ一つがやや雑に思えても、最後に完璧にすればいいのだ。
 大学生で就活をしていた頃、クラスメイトに「まあ、最後に辻褄が合えばいいよ」と言われた。就活も修論も全部完璧にやらなければと思っていた私は、そこでちょっと気が抜けた。やることが多すぎる現代人には、最初や過程が多少めちゃくちゃでも、「辻褄合わせ」をできることってけっこう強いサバイバルスキルなんじゃないか。それなら、完璧でなくても始められる。完璧を求めて何もできないなら、始めた方がいい。
……とここまで読んで、そんなの当たり前だと思うかもしれない。でも「真っすぐでない」私には、その一歩がけっこう難しいのだ。「ちょっとやってみる」のハードルの高さ。「やってみれば簡単だよ」と飛び込んだ人はいうが、その人には飛び込み台からのジャンプでも、私には清水寺くらいのジャンプ…..。何を大げさな、てか面倒くさい奴だな、と自分でも書いていて思ったが、このような面倒くさい人間なのだ。その代わり、同じ問題をずっと考えていて、日々入ってくる情報を繋げて編集できる。しつこい人間だから一度気になったら離さない。


1冊でいいから


 ハードルを下げる最近の取り組みとして、「その月にやるべきこと」「その週にやるべきこと」「その日にやるべきこと」と細分化してやることを明確にしてみた。どうせ忘れるが潜在意識に残ってくれればいい。そうするとちょっとハードルが下がる気がする。前に、部屋が片付けられないから年末に頑張る、とラジオに投稿したら、パーソナリティに「年末にまとめると大変だから、本1冊でいいから今日片付けよう」と言われた。結局その日も年末も片付けなかった(あげく引っ越した)のだが、その人の言う通りだった。1冊でいいから今日片付けよう。完璧にするのは最後。

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