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#11 沈下と浮上の摂理

パラレルをどう表す?

協業をするためのプラットフォーム(仕組み)が立ち上がりはじめ、仕事も増え始めた2014年ごろ、人を増やすためにメンバー募集を行った。今までは、「ママのキャリアを考える会」(前述)で知り合った人や、私の元同僚、その知人を中心に紹介でつながってきていた。このときは、10数名だったメンバーを5名ほど増やす計画で、募集文などを書いて、既存メンバーそれぞれがSNSなどを通じてメンバーを募った。
当初はまだ、「パラレルワーカー」という言葉はなかったので、私たちがしていたようなワークスタイルをどのように表現したらよいのか?正直、的を得た表現ができていなかった。家事・育児・複数の仕事・プライベート、すべてが同時進行で動いている。つまり、ミーティングが早め終わった10分の隙間で味噌汁の下ごしらえと炊飯のセットをして仕事に戻り、保育園のお迎えに行って戻ってきて、味噌を溶きながらチャットを返す、といったことをしていた訳で(笑)これをうまく表現できず、「スキマワーク推奨」といった書き方をしてしまった。これは誤解を生んだ。もちろん長く居続けてくれる人ともつながったが、一部の人は早々に離れていくことになった。

不要は省かずとも遠ざかる

私たちはコミュニティなので、雇用関係も就業規則も評価制度もない。
ただ、仕事という目的だけで繋がっている関係だ。
だから、ある意味、離れようと思えばいつでも離れられ、居続けようと思えばいつまでも居続けられる。仕事がある限りは。
「スキマワーク推奨」の誤解は、はじめは分からず、次々とメンバーを受け入れた。応募してくれた人はどの人もとても意欲的で、仕事に真剣に取り組んでくれそうだった。しかし、しばらく一緒に働いていると、次々とプロジェクトを積極的に受ける人と、どんなに励ましても新しいことに手が出ない人がいた。前者は、「自分のスキルは仕事によって創られることを知っていた」、後者は、「仕事とは今あるスキルを売ることだと考えていた」という違いといったらいいだろうか。後者の人は特に、受け身で仕事をするスタイルが染み付いていた。自分からワークスタイルを組み立てようというよりは、仕事の依頼で自分の生活のスキマを埋めようとしていた。
必要は選ばずとも残る。そして不要は省かずとも遠ざかる。自然の摂理のように、明確に分かれていった。

コミュニティがチャレンジの場に適している理由

コミュニティのよいところはここだ。リスクとなる不要は自然と洗い流される。
コミュニティの企画・運営を長らく仕事としてきた私は、例えば掲示板上の不適切なコメントは支持得ず、やがては自然と目立たなくなることを体感してきたので、それと同じことだと理解した。
通常の組織なら、一度雇用した人を解雇するのは難しい。だから自然と慎重になる。一方私たちのスタイルは、仕事を依頼しなければ自然と関係は遠ざかる、実はこのコミュニティは、やさしい場に見えて、厳しい場なのだ。このことを通し、ナラティブベースがチャレンジする人のための場であることがはっきりわかった。そして、要不要の判断に迷うことであろうことも、沈下と浮上の摂理を信じてためらうことなく実行できる健全な場であることも。

1年かけたメンバー募集の成功と失敗から、なぜ「コミュニティ」である必要があるのか、「コミュニティ」という形態が自分達にとってどういう意味(意義)を持つのか、学んだ年だった。

つづく


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