結膜下出血の思い出とファイザーのコロナワクチンの件
先日、コロナワクチン接種の後に結膜下出血したとつぶやいてから、もう少しまとめておこうかなと思い立った。
私は反ワクチン派でもないし、ワクチンを肯定するわけでもないことを先に伝えておく。
コロナウイルスが世界中で猛威を奮っていた頃、特に強制されたわけでもなく周りの人が次々と接種している様子を見て、少し遅めに接種することにした。
2020年10月15日頃が最初の接種。
翌月上旬に朝起きて鏡を見たところ、白目が真っ赤っかだった。
充血ではなく出血。
調べたら結膜下出血というものらしい。
人生で初めての結膜下出血だった。
その時は『加齢によるものだろうか?』くらいに思っていた。
2週間くらいで出血跡は引いた。
その後、11月下旬に2回目を予約して接種。
私は1回目も2回目も、接種後に全く体調に変化がなかった。
ちょっとだるいかも……程度の変化が1日あったかどうか、だった。
そして翌年の1月中旬頃にまた結膜下出血が出た。
そして、ワクチン接種の影響かもな……と何となく思ったのだった。
そもそもインフルエンザになったこともないし、おたふく風邪もほぼなんの症状も出ずに普通の軽い風邪くらいで終了。
水疱瘡も軽い水膨れがほんの少しだけできてそのまま何事も無かったかのように終了。
胎児の時から持っている尋常性疣贅ウイルスの影響なのか、ウイルス系には強い体質のようだと感じている。
私は右の小鼻の下に胎児の頃からイボがあり、時々、この世に生まれてから皮膚科で液体窒素で焼いてもらっていた。
大人になると免疫が強くなって改善するらしいが、最近まで体調によっては数年に1度、イボが出てきていた。
現在はほぼ完治(?)しており、ここ最近は出てきていないし出てくる様子もなくなって落ち着いている。
子供の頃は気になって仕方なかったイボだったが、こいつのお陰である意味助かっていたのかもしれない。
ともあれ、私は結膜下出血を経て、もうワクチンはやめとこー、となった。
この日以来、結膜下出血にはなっていない。
あくまで私個人の見解だが、人の生き死にはある程度、意味があってタイミングなども決まっているのではないだろうかと思う節がある。
事故、自死、病死、もろもろはその人それぞれに決まっていたりするという話もあるし。
野口英世さんは今よりもっと原始的だった時代にその身を投じて感染症の研究をされていたわけで、51歳という若さで自らも感染症にかかって亡くなられている。
短めの生涯だったが、さまざまな研究をされて業績も上げられており、医師、細菌学者冥利に尽きる生涯であったと感じる。
(歴史が好きではなかった私が数少ない中で読んだ伝記のひとつ)
つまるところ、死ぬ時は死ぬ。
ということ。
そして、それぞれに意味があるということ。
他人にはわからなくても、本人には意味があるのだ。
コロナワクチン陰謀論で家庭が崩壊したり、友達がいなくなったり、破産したりしている人がいると情報番組で目にする機会が増えた。
ワクチン接種した人がみんなやばい事になったら、残された1部の元気な人達はさぞ苦労しそうだ。
どういう意図があっての陰謀なのかわからないけれど、さっさと死んでしまった人の方が楽な気がしているのは私だけなのだろうか。
不安を煽って高額商品を買わせる手口は悪徳商法や悪徳宗教と同じ(謎のツボを買わせるやつとか)。
まずは自分が不安なのだな、と自覚すること。
そして、その高額商品を買って、破産して1人で生き残るのと、皆で仲良く死んでしまうのとどっちが幸せか気づくことが第一歩なのかもしれないのね(ちょっと盛ってます)。
私は皆で仲良くやばい目に遭って死ぬのも悪くないかなと思ったのです。
突然死とか、あっという間で老後の心配とかしなくていいし、むしろラッキーなのでは?
なんてちょっと楽観的な気持ちがあるのも事実です。
ワクチン接種してない仲の良い友人も何人かいて、その人たちと早めにお別れになったら寂しいな……とは思ってます。
せっかくつみたてNISAとかiDeCoとか始めて、若いうちから節約して老後資金を貯めても、使う前に死んでしまったら親族いなくて国に返還されちゃうかもな……とかそういうところに切なさを感じたり。
とりあえず、なるようにしかならないので、今日という日を生きていくのです。
早めに終活始めておこうかな。
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