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ひねくれてきた感覚について

かなり遅めの反抗期なのか?と思うこの頃。
ちなみに、本来の反抗期の時期はといえば、とりあえず反抗的になっておこうと思いながら、あえてそんな感じの態度を取る事がありました。

さて、40を過ぎたこの頃、無謀だな…と思いながらもあえてこちらの要望などを伝えることをする、という行動的な生活を心がけている。

私の場合、抱え込み過ぎて心身症になることが多かったこともあり、40を過ぎた今、もう抱え込み過ぎたら危険⚠️という領域にきた。
そこで、抱えることをやめた。
もう何も抱えない事にしている。
この事で、今後どういったことが起きるのか、楽しみである。
楽しみにするしかない。

それと、特集されたり活躍している人達の記事を読むのをやめることが増えた。
以前は私もこんな風になりたいな…みたいな気持ちを持って読んでいたが、多くの場合、生まれ持った人生の基盤が違い過ぎるためなんの参考にもならないのだった。

また、以前に読んだ記事の人と私も同様のことをしてきたが、結果が違い過ぎたため、どうでも良くなったのだった。
そして、人は人、という本当の意味を知ったのだった。

若いうちは決めつけないでいろいろ見たり聞いたり実感しながら学ぶ、という姿勢できたが、ここに来てもうそれはいいやとなった次第である。
必要最小限のことをやれば良い、省エネモードに入ったのだ。

これを記録した事も大きい。
何事もほどほどで充分なのだ。
無理の効かなくなった今こそ、適当にやっていく時。
今でしょ!ということです。

何事も真に受けず、上手く受け流しつつ、なるべく無理のないやり方でこなしていくこととする。
受け取る情報も出す情報も然り。

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