経営者に余暇(趣味)は必要か
こんにちは、大久保です。
最近心療内科医の先生が執筆された本を読み、「そういえば、私の趣味ってなんだろう?」と思い思考を巡らせております。経営を始めてから、「学ぶ」ということ以外の(生産的でない)趣味という趣味がないなぁ、と感じています。(一時サーフィンをしに神奈川県に毎月行っている時期もありましたが、生まれて初めてのサーフィンで波に乗ることができてしまい(達成)、半年程度で海に人が増えてきて人の多さにげんなり→終了)となりました)
本によると「空白」の時間が人生の豊かさにつながっていく…ということで著者の先生はゲームをやることがご趣味だそうです。ゲーム、、、子どもの頃は新しいゲームが出ると飛びついて、かじりついたものですが、最近購入したVRの音ゲーもやってはみたけど、結局数ヶ月、部屋の片隅で放置されています。うちには電子ピアノもありますが、かれこれ数ヶ月は触れていない。(これも小学校の頃はずっとピアノを触っていた時もあったような)
ここのところ、何をやっても続かない、趣味という趣味がないことに気がつきました。傾向として、できた→終了となってしまう私の気質もあります。続いていることといえば、世界のさまざまな「最新」を追いかけながら、できるだけ美しくいる、ということくらいでしょうか。
最新を追いかけて新しいビジネスモデルを考えることも趣味といえば趣味かもしれませんが、=実業感もあり、できるけど好きだけではないなぁとも思うのです。起業も楽しいですけど、組織を率いたり一つずつ様々なことを整える作業は、できるけどずーっと一生やりたい続けたいか、と言われると意外にセンシティブな私の特性からすると「うーん、ずっとかー」。
起業からのこの数年を「生産性」だけを突き詰めた今や、自分の好きなことが見えなくなった私。このnoteもなんとなく思いついた時に記していますが、あくまでできることの一つであり、好きだー!というほどではない。いつしか「生産性」をどこまで高めるか、昨日より今日、今日より明日の生産性を高めることに快感を覚える日々。そして生産性がない1日を過ごしてしまった日には、「Oh,shit」と罪悪感を感じ再発防止策を講じる。早朝に起床、朝活でのWork out、学びにお金と時間をかけ、「ながら」という方法で時間のレバレッジをかける。それでも学ぶこと(タスク)は次々訪れる。読まれ待ち本たちはリビングで平積みされ、一人暮らしの家にはパソコンが2台にiPadが1台、時間が少しでもある時は、「何かせねば」とPCを本を常に持ち歩く。(おかげで慢性肩こりとバックが1年程度で買い替え)世界中でどんどん「最新」が生まれ、業務をこなしつつ、情報を拾い集め、新刊を読み、考え、記録し、日々の過ごし方についてさらに「改善」を入れる。
かれこれそんな生活を数年送ると、見えなくなる余暇。ただ、自分の中の「好き」だけはそんな中でも明確に持っています。「海やプール」「美しさ」「より速いこと(もの)」(でた)。そのため自宅は東京湾の見える部屋の高層階に引越し、好きなものだけのクローゼットを作りあげました。セルフブランディングという名の「shopping」がもしかしたら趣味かもしれません。(でも結局ハイブランドでショッピングしながらも、ブランディングの研究や接客態度、購入という経験にお金を払っている感覚は持っています)
得意なことと、できること、好きなことや自分と合っていることが、全て「やりたいこと」ではないのですが、整理してみてみると、「余暇」はなくても「好き」に囲まれて生きてるなぁとしみじみ感謝。余暇はないけど、結構しあわせかもしれない、と思った今日この頃。
皆様も素敵な1日をお過ごしください♡