日本人は何をそんなにも恐れているのか
こんにちは、明日12月8日は双子座新月ですね〜
そんな新月を前に先週末を海外で過ごしておりました。新しいインスピレーションを今回もたくさん持ち帰ってきましたが、その中でも「日本は恐れの中にいる」ということを痛感しました。
まずは、入国の際。今年に入ってハワイやマレーシア、シンガポールなど何カ国か出入りをしていますが、ほとんどの国がコロナ前と変わらない手続きに戻りつつあるところ、日本だけがいまだにパイプ椅子を並べ、エプロンと手袋をした職員の方に対応され、あれやこれやと情報を入力する(ムダ)フローをおこなっています。もう濃厚接触者を追うこともやめ、コロナの患者数も仕方ないだろう、というフェーズにいるにもか関わらず、何かの研究かトラッキングでもしているのか?と思うほど、情報を入力させられるのには、正直旅帰りのタイミングでなかなかのげんなり感です。
このときさらに驚くことがあり、外国籍のスタッフの方であっても「コチラヘドウゾ〜」など日本語でお話になっている、ということです(日本語話せる外国人なんだからすごいけど)。しかし、これにはあまりの不自然さを感じて、「そういう指示なんだな・・・」と思わずにはいられませんでした。私の搭乗していた台湾から日本への飛行機のほとんどが台湾をはじめとしたチャイニーズスピーカーの方でしたが、日本語(でっかい声で中国語でアナウンスする人もいたけど)。
パーソナライズされているわけでもなく、日本語。そちらで働かれている方も帰国する日本人が英語が理解できる期待をしていないのかもしれませんが、それにしても不自然。これを空港という玄関口で行う、日本。これは国全体が、英語を話せなくしているというか、、、過剰に日本語を守ろうとしているというのか、、もし後者であれば背景にあるのは、恐れの感情そのものですね(わからないですけど)。
道を車で走っていても、日本(東京)の方の運転は丁寧、控えめ、譲り合い、そのものです。駐車場でも枠をはみ出す車はいませんし、枠の外に停める車もいませんね。もちろん信号も守ります。私が東南アジアにいたせいかもしれませんが、逆に帰国すると「法令遵守」「人に迷惑をかけない」という国民性を強く感じました。安全であるなど良きところでもあるかもしれませんが今回のテーマは恐れなのでそれでいえば、事故等のリスクへの恐れ、駐車場で目立つことへの恐れ、誰かに何かを指摘されることへの恐れを感じます。
さらに私は行政の委託事業の運営会社をしていますが、それも恐れの塊。
大量の書類の提出を求められ、確認して適していない部分を探します。エクセルで書類をきれいに作ることができる事業所が素晴らしいかといえば、絶対的にそうではないと思いますが、それが求められているようでしょうがない。
まず前提が「事業所たちは税金を不正受給しようとしている」と感じます。その事業所に対し、法令は遵守しているか、規定の書類はきちんと毎日必要事項を入れて作成しているか、人員は十分か、税金を不正に請求していないか、確認する行政の担当者の方の目は完全に恐れです。ミスがあってはいけない、不正受給は犯罪だ、取り締まらなければいけない、一語一句、句読点の違いまで確認するその姿勢には脱帽ですが、何が一番大切か、そこを見失っているように思えて仕方がありません。
世の中そんなに悪い人ばかりじゃないですよ、と恐れを拭って差し上げたくなりますね〜。
ものの「本質を見る」というのは誰にでもできることではないですが、目的は何で、何を一番大切にすべきなのか、日常の業務は何のためなのか、もう一度立ち返って考える方が内部にいらっしゃったらな〜と思います。
恐れの反対は、愛です。いつの日か、日本の皆さんが愛をベースに、人を信じ愛して、より良い国になるように取り組める日が来たらいいな、と願ってやみません。