幸せの増やし方
こんばんは、Harukaです。
今日は自分の幸せには広がりの限界がある、というお話をしていこうと思います。
人間はまず動物的な部分として自身の3大欲求が行動の原理となります。人間としての理性が確立されると、自分以外の家族や恋人を自分のことやそれ以上に大切に思うことがあります。そして家族や恋人が、その人の行動原理になり得るということです。お誕生日にケーキを買って帰ったり、お手伝いをした時に、自分の子どもや家族の幸せそうな顔を見ると自分がケーキを食べたわけではないのに、ケーキを食べた以上に幸せな気持ちになるということです。
日本人には特に多いですがこれが快感となり行き過ぎてしまうと、自己犠牲に陥ってしまうことがあります。「私はいいからあなたが食べて」自分の3大欲求すら理性で押さえ込む、というものです。このような兆候がある方は、「自分ってなんなんだろう」という漠然とした疑問をお持ちの方が多いです。自分の得意なことや好きなことすらも見えなくなってしまうケースもあります。
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私は子どもを産んだことはありませんが、「会社」という子どもを1人産みました。この子は私を1人の時は想像もつかないほど幸せにしてくれることとなるのですが、この幸せがまたケタ違いなのです。
自分、家族、会社、従業員、利用してくれる子どもたち、そのご家族、取引先、関わるすべての人の幸せを自分の幸せと同様に全力で考え行動を続けているのですが、行動以上に私を幸せにしてくれるのです。私利私欲の創業であればこんなに幸せを感じられることもなかったと感じています。
行き着くところ幸せとは、人との心のつながりが感じられた時に感じるものだと私は思っています。いくら自分のために良いものを買ったところで得られる幸せは、1。ただそれを誰かと一緒に食べ感情を共有することで、1が2になり、2が3になるというものです。
同じように創業という行動を、自分のためだけなら1。それを家族のためにすると×3、従業員の皆様のためにすると×17、利用してくれる子どもたちのためにすると×約50、そのご家族のためも含むと、50人の子どもに対して×2としても×100、というように、この創業という行動一つが、何百倍の幸せとなって返ってくるというお話しです。
この幸せの循環を得ると、自分のためだけには生きられなくなるのです。人を巻き込めればそれだけ幸せの循環が大きく広がるからです。
そしてこの味をしめた私は、その循環をさらに地域に、日本中に、そして世界中へ広げていきたいと思っています。
私利私欲の中で、争い、比較し、取り合うような恐れで溢れた世界から、愛の大きな循環に人々が安心して身を委ねられるような世界にすることが、どうやら私の今世の使命のようです。