【いなフリアフター】自分の人生に責任を持つこと
皆さん、こんにちは!はるぼーです!
今回なんですけど、なんとワークキャリアさんから「いなフリアフター」というお祭り騒ぎな企画がありました…!
「いなフリの卒業後に皆さん何してるの?」っていう企画なんですけれども…。
このたびに僕がフリーランスになった経緯も振り返りつつ、執筆しようと思った次第です!
まあ、僕は募集期間には間に合わず、コンペは参加できないのですけどね!
てへぺろ☆(・ω<)
それを抜きで考えても良い機会になるなと思いました!
この記事では、
「いなフリとは何なのか?」ということと、
「いなフリを受講後の僕のフリーランスとしての生活の変化」
について述べています!
もし、いなフリに関係されている方やフリーランスに興味があるよ!という方はご覧になっていただければ幸いです!
それじゃあいってみよう!
【いなフリ 受講編】
▼いなフリとは?
(画像引用:ワークキャリア)
まず、いなフリを知らない人に何なのか説明すると、「田舎フリーランス養成講座」の略称です。
現在はワークキャリアという会社が運営をしています。
じゃあ、その講座で何をするのか?というと約1ヶ月という期間で地域のコワーキングスペースを主にコミュニティに住み込み、合宿形式でWebスキルや自分の今後の人生の方向性をみんなで一緒に考えていくというのがこの講座の主な内容になります。
特徴としては受講生一人一人にメンターと呼ばれる、相談に乗ったり導いてくれる存在がついてくれることが挙げられます。
このような Web スキルを学ぶ講座というのは本来はスキルだけ学ぶのが一般的なんですけど、いなフリはスキルだけではなく、
「今後の自分の方向性」や「どんな生き方をしたいのか?」というのも、メンターさんが一緒になって考えてくれるんですね!
(画像引用:ワークキャリア)
どうしても自分だけじゃ見えなかった物もメンターさんと一緒に考えることで自分なりの新しい道が発見できるのが強みだと思います。
そして、主にこのいなフリに関わるのは以下の方々となります!
・受講生
その名の通り受講生。一人一人悩みを抱えていたり、目標を持って参加する。
・講師、メンター
Webスキルの講座を行ったり、受講生を一人一人導いていく立場。
スキルと人間力が求められる。
・運営スタッフ
いなフリ中の受講生の生活面でのサポートがメイン。
いなフリ期間前にも各受講生と連絡をしたり、なくてはならない存在。
・統括
いなフリという事業をその名の通り統括する人。各講師メンターとの連携や大元の運営の方々とのやり取り、受講生にも目を配らないといけない。
・料理人
1ヶ月間いなフリ関係者の方々の晩御飯を作ってくれる人。
美味しいご飯でみんなを元気にしてくれる存在。
・フリーランスコミュニティの方々
いなフリに直接関わっている訳ではないけどフリーランスコミュニティに属している人々。
交流で新しい発見はたくさん。
もちろん受講生も僕だけではないので同じタイミングで受講した同期と呼べる存在が何人もいます。
ちなみに僕らの期は2019年の6月に行われた千葉県の富津市金谷のいなフリ。
金谷22期となります。もう2年半以上も経つんですね…早い!
▼なぜ参加したのか?〜自由な生き方を知りたい〜
ではなぜ僕がいなフリに参加したのか?それはズバリ「自由な生き方を知りたい」と思ったのがきっかけとなります。
ではなぜその考えに至ったのか…。
そもそも、僕はいなフリ自体を2019年の受講よりも1年前に既に知っていたんです。
というのも縁あって高知にある NPO 法人ヒトマキさんに一週間ほど見学していた際、ヒトマキのハヤシさんという方がいなフリの卒業生でした。
この時には他にいなフリで運営に携わってるハリーさん。
講師を経験されていたあんちゃさんとも出会い、これがいなフリを知るきっかけとなります。
ただ、その時の僕は会社を辞めたてで農村支援活動をこれから行おうとしているタイミングでした。
そのためフリーランスの事を聞いても、
「フリーランス…なるほどな!そういう自分の生き方があるんだ!それで生きてるなんてすごいなぁ…」
と、その時は他人ごとと言うか…自分とは関係ないことだと思ってたんですね。
ところがそこから1年間、農村支援活動を行っていたのですが、そこで感じたのは新しいことをしようとするとあまりうまく立ち回れないと言いますか。
農村支援活動員という名目で地域に入ったと言うと、地域の中では既にもう役割が決まっていて、「自分がこういうことしたい」とかこういう「生き方がしたい」と思ってもうまくそれを周りの人に伝えることができなかったんです。
そして結果的に「僕は新しいことをしたい!」と思って会社を辞めて農村支援活動に行ったものの、結局そこでも自分を出せずに、周りの人も気にしながらという生活を送ってしまって…。
得るものは多い一年でしたが、悩むことが多い一年でもありました。本音を言うとやっぱり、組織の中で動くということに対してすごく疲れてしまったんです。
任期が1年だったので終わった後に「これからどうしようかな?」と考えた時、いなフリのページをネットで見つけました。
で、「こんなのあったなあ…フリーランス気になるし、いっちょ行ってみっか!」
と、そこから申し込んで受講に至ったというわけですね!昔から勢いだけはありました。
▼受講中の様子は?〜人生を前に進める1ヶ月〜
受講中の1ヶ月について語っていきます!
いなフリは各回ごとにテーマが決まっていて、僕ら金谷22期のテーマは「人生を前に進める1か月」というのがテーマでした。
結果的に自分の人生に1ヶ月とことん向き合って、本当に前に進められたなと思います。
僕の期は同期が10人だったんですけれども、まあ1人1人本当に優しくて、個性もあって、めちゃくちゃ明るくて…本当に雰囲気が良かったなって思います!笑
本当に皆さんに感謝です。毎日楽しかったし、毎日温かい気持ちになったし、嫌いな人はいなかった!
運営陣もそうです。
そんな僕に向き合ってくれたメンターについて書こうと思います。僕のメンターはすぎちゃんという方でした。
ライターの方で元公務員、仕事のライターのほかに投資もやっているそうで二刀流という印象を持ってます。
すぎちゃんは普段はすごい穏やかというか、掴みどころがない性格で、一見凄いのか凄くないのか分からない雰囲気。(失礼)
と書こうとしたら、過去の自分はすぎちゃんを以下のように評していました。
心が清らかですね。(遠い目)
しかし、すぎちゃんの「人を見る目」は確かでした。
いなフリは最初のうちは一通りのWebスキルを学びます。
・ライター
・ブログ
・プログラミング
・デザイン
など。
ただ、僕は事前課題もやらず、「自分が向いてることは分からん!」という状態でした。
具体的にこれをしたい!という目標もなかったし、「フリーランスが気になって来た。」という状態だったので…。
今思うと問題児ですね。
そんな中でもメンターのすぎちゃんは動じることなく、
「はるぼーはライターの提案も通ってるし、ライターで続けてみよう!」と言ってくれました。
僕はその言葉を信じて1ヶ月がんばることに。
その結果、ライターとしての1ヶ月の納品金額は49,030円。
目標の50,000円にはあと少し及ばなかったものの、決して悪くない結果だったと思います。
すぎちゃんには本当に感謝ですね…!
最後の最後に「また、どこかで一緒に仕事したいね!」って言ってくれたことを今も覚えています。
僕は今はライターではなくて映像制作がメインになっていますが、是非またどこかでお仕事したいなと今でも思っています!ありがとう!
あと、とにかく覚えているのは、もう一か月でめちゃくちゃ飯を食った記憶しかないですね。
食べすぎては毎日、眠い眠いと言っていたので、講師陣からは「自己管理がなってない。」とお叱りを受けることもしばしば。
いなフリは料理人という役職の方が毎回、晩御飯を作ってくれるんですけど、僕らの期はフリーランス料理人のなおちゃんという方でした。
まぁこれが美味しくて毎回爆食でしたね。僕はこの1ヶ月で「太ったんじゃない?」って言われました。
あとは会場の近くにお肉屋さんがあったのですが、そこのおじさんともすごい仲良くなって。
毎日のようにコロッケ買いに行ってました。夕飯の前におやつのコロッケ。友達からもお菓子は恵まれる。
前述のメンター、すぎちゃんが生姜焼きと麻婆豆腐を作ってくれたこともありました。
そしてこの金谷はすごい有名なアジフライのお店があって、めちゃくちゃ美味しいんですよ!
もうデブになる要素しかない。
顔がパンパンになった僕がみんなからたくさん写真を撮られて、そのいなフリの LINE のグループのアイコンにされてしまったり、アルバムが僕の写真多めになったりとすごい印象に残ってますね。
僕は金谷22期のマスコットであると自負しています。
肝心の講座の様子はと言うと毎日午前中に様々な講座があります。
前述のようにライティングや営業、ブログ、デザイン、サイト制作などですね。
午前に講座を行い、午後は課題があるのでそれをやったり、自分の仕事を進める。
夕方にはメンターと進捗の共有をするのが一日の流れです。
僕はいなフリの期間をライターとして進めるのは決めたものの、
・そもそも文章はどのように書けばいいのか
・お客さんとどうコミュニケーションをとればいいのか
・仕事のスケジュールはどう整えればいいのか
などなど全然わからないので、メンター講師陣に頼りつつ、仲間たちと励まし合いながら
本当に毎晩、夜遅くまで作業してたことが印象に残っています。
一か月よく頑張ったな、と今振り返っても思います。
この時の頑張りが今、一人になっても頑張れる土台になったんじゃないかなと思ってます!
▼その他に印象に残っているエピソードは?
ここからは はるぼーの中で、印象に残っているパッと思いついたエピソードをいくつか紹介します!
・イカさんの雄叫び
金谷22期ではメンターの一人にイカさんという方がいました。この方を一言で表すなら” 悟り”。
常に裸足で歩き回っていたり、断食や瞑想を行っていたりと自分と向き合う最良の方法を常に模索している方です。
で、このイカさんの雄叫びがなぜ印象に残ったかをお話しします。
いなフリの企画で”1万字チャレンジ”という1日のうちに1万字の文章を仕事でもブログでもなんでもいいので書くスパルタな企画があるんです。
その企画が終わった時には、一万文字を達成できた人もそうでない人も、めちゃくちゃ文章を書いて疲れていました。
それで最後に頑張ったみんなに運営からご褒美がある、と言うのが恒例なんですけど、
その終わった瞬間にイカさんが「ヒャッホオオオウゥゥ!!」とけたたましい雄叫びをあげまして…!とってもびっくりしました。
それを見て、後に仲間と「さっきのイカさん、やばかったな…!」と驚いた気持ちを共有しあったことがすごい印象に残ってます。
こんなところで書いて申し訳ありません…。
でも、今一番にパッと思いついたエピソードはこれでした笑。
・同期の こうたの涙
次は、いなフリの同期の仲間のこと。
いなフリでは最終日に事業計画発表会と言うのがありまして。今は名称変わっちゃってるんですけど。
1ヶ月の講座を経て、自分が今後これからどうしていくかを発表する機会があるんですね。
その時に同期のこうたが涙を流しまして。
彼はめちゃくちゃバスケが好きなんです。ただ、いなフリ中にバスケットボールとの向き合い方にすごい悩んでいて。
でも、バスケとの向き合い方をいなフリの中で出会った人々との触れ合いを通して、自分なりに考えられるようになったというのがとても印象に残っています。
それで、こういう受講生の悩みというのを、運営側はすごい察知してくれるんです。
金谷22期のいなフリの統括は なつかさん という方なんですけど、いなフリ中は毎日、「日報を書いた?」とか聞いたり、統括ということで受講生に喝を入れる立場でした。
受講生とどのくらいの距離感で接すればいいのか?と なつかさん自身も悩んでいたと思います。
しかし、こうたの「バスケットボールと向き合いたい」という気持ちを汲み取って、「この人とこの人でちょっと話してもらおう」とか色々考えて引き合わせてくれたり。
(いなフリ修了時のこうたとなつかさん)
それで実際に こうたも自分の中で答えを見つけられたようだったので。本当に受講生のことを想ってくれる統括だなと感じました。
・はるぼー部屋から出られない事件
僕はいなフリ中は…というか今もなんですけど、めっちゃ朝が弱くてですね…。
講座の出席も毎回ギリギリだったんですよ。
というのも僕が期間中に泊まっていたのは、講座会場の2階のシェアハウス。
1分以内に出動できるという状況だったので高を括っていたわけです。
ところがある日、僕の部屋のドアが壊れてまして…いつものように朝にドアノブを捻っても動かない…。ドアが開かない!
咄嗟にいなフリのグループLINEで助けを求めました。
講座がAM9:00からだからそれまでに朝の日報を送らなければならないのに、8:54にLINEを送っています。
なんという体たらく。
まあ、もう時間が時間で会場がすぐ下なんでみんないるわけです。笑い声が下から聞こえてきて同期が駆けつけてくれて、ドアを外側から開けてくれたっていう…そんなドタバタエピソードがありました。
みんな優しい笑
・体調崩した時の皆の優しさ
優しさでもう一つ。やっぱりこの1ヶ月って限られた時間の中でどうしても頑張って無理しちゃうんですよね。
夜遅くまで起きて作業する、ヤバい!納期間に合わない!と頑張りすぎて体調を崩してしまいました。
そんな時に同期がすごく心配してくれて。「はるぼー大丈夫?」ってスーパーでゼリーとか果物とか買ってきてくれて…すごい印象に残ってます。
僕はこの後に いなフリの運営スタッフやメンター講師としてまた関わらせていただいたんですけど、この時の「優しさを受けた」経験が、また自分が いなフリの受講生と関わる立場になった時に活かされたと感じます。
▼いなフリで学んだことは?~自分の人生に責任を持つこと~
僕がいなフリで学んだこと。
それは「自分の人生に自分で責任を持つこと」です。
僕は いなフリに参加する前、会社員と農村支援活動を行ってきましたが、周りの人を気にしたり、組織ありきで自分を抑える働き方に違和感を感じました。
そんな状態だったので、その中で上手くいかないことがあったら、
”会社のせい”
”組織のせい”
ってめちゃくちゃ他人のせいにしていました。
今思うと、そんな心の持ちようだとそりゃあ、人生上手く行くわけないよねと。
「自分で何かしよう、変えよう。」
「自分だったらこうしよう。」
と自分で考える事を放棄していたと感じます。
そして、いなフリの中でだんだんと
「お客さんの目に留まるにはどうしよう?」
「こうしたら客さんに喜んでもらえるな」
「これからの人生はこうしよう!」
と自分で考えるようになりました。
加えて、フリーランスは会社員と違って、健康保険も全部自分で払ったり、確定申告で税金の計算も、営業も自分でしたり…。
全ての責任が自分自身に向くんです。
けれど、そのぶん
「自分でやりたいことや自分で挑戦したいことを決めて実行する。」
「自分の好きな人とお仕事する。」
と自分自身を大切にする選択肢を取ることができるようになりました。
"自分の身に起こることは全て自分の責任"。
自分の人生に責任を持つというのが、このいなフリで一番に学んだことです。
【いなフリ アフター編】
ここからは私、はるぼーのいなフリ卒業後にどんな活動をしていたのか?
いなフリアフターを紹介します!
▼金谷編~いなフリの運営に関わらせてもらう~
いなフリ終了後は2019年6月~2020年10月までそのまま会場の金谷に住み、
その間にいなフリの講師、メンター。
そして運営スタッフを経験させてもらいました。
・金谷26期でメンターに
まず、いなフリの講師、メンター。これは2020年3月の いなフリ金谷26期で担当させてもらいました。
初めてのメンターということで、受講生の話を聞いて導いたり、講師としてWebスキルを教えたり…。
初めてのことだらけでめちゃくちゃ緊張したし、めちゃくちゃ悩みました。
でも、フリーランスになって日が浅いからこそ、受講生に近い立場で伝えられることもありました。
私自身も人に教えることで成長を感じる1ヵ月でしたね。
仕事も自分の中だけで完結するというのは、自分で全部コントロールできるし楽なんですけど…。
でも、それでできることも感じることも一人だけのことなので。
“人に教える”ということと、他のいなフリの運営のメンバーと一緒に、いなフリという事業を成功させること。
たくさんの人と一緒に成し遂げる活動の尊さを本当に感じました。
一緒にいなフリを行った方々とはまた一緒にお仕事ができればなと思いますし、僕が当時メンターだった時の受講生だった皆さんも定期的に連絡をくれたり、会いに来てくれたり…とても嬉しく思っています。
本当にありがとうございます!
・金谷27期で運営スタッフに
そして運営スタッフを行ったのは2020年4月の いなフリ金谷27期です。運営スタッフは受講生の皆さんのサポートがメインの役職でした。
この頃は某コロ助が巷で騒がれ始めた時期。どのような形でいなフリを実行しようか?と今までにない対応が必要になったり、大変な時期でした。
ただ、運営スタッフは講師、メンターとはまた一つ違って、受講生とさらに一歩近い立場だなと感じました。
中でも一番の思い出は、いなフリで初めてのオンライン受講生だった おっちぃさん。
受講の講座をカメラでオンラインに流したり、離れていても現地の仲間と交流したり、活動できるようにサポートできたというのが本当に心に残っています。
最後の事業計画発表で おっちぃさんが「離れていたけど、自分も仲間に入れてもらえて嬉しかった」と言ってくださった時に、
僕はこの1ヶ月、運営スタッフとしてやらせて頂いて本当に良かったと心から感じました。
金谷でのこれらの経験の際にお声がけ、いただいた皆さん。
まるもスタッフに誘っていただいた、いなフリ創設者の池ちゃん。
金谷26期の統括の ちまるさん。
金谷27期の統括の まるをさん。
あらためて、ありがとうございました!
▼愛媛県八幡浜市~ここから再スタート~
2020年10月には、およそ1年半いた金谷を離れて、愛媛県八幡浜市に移住しました。
なぜここに移住したか?
というとすでにこの時にすでにこの地へ移住していた友人、それこそいなフリの卒業生のラバさんという方がいまして、遊びに行ったのがきっかけです。
その時に八幡浜にある”コダテル”というスペースを見学しまして。
その地域とのつながりのあり方だったり子ども達にプログラミングを教えている環境というのを見て、近くで勉強したいなと思ったのがきっかけです。
もう一つ、ぶっちゃけた話をすると1年半も金谷にいる中でだんだんとモヤモヤしてきて自分の中でちゃんと成長できてるのかな?って感じるようになっていたこともありました。
その際に高さんという いなフリに親身に関わってくださっているメンタリングや心の向き合い方をメインにサポートしている方がいるんですけれども、その方から頂いた言葉で僕は背中を押していただきました。
「はるぼーは組織として働く中で、すごく心が傷ついた状態でフリーランスになったけれど、もうこの1年半で自分の力で立ち上がって起きれるようになった。
だから、もう自分の足で走り出したい時期なんじゃないかな。」
この言葉が自分の中ですごく腑に落ちて、
「ああ、そうか…自分は次のステップに進みたいんだ。」
と確認することができました。
そこからは八幡浜に移住し、コダテルというスペースにお世話になっています。
こちらに移住してからはもうすぐで1年になります。今の僕は動画の作成をメインにお仕事をしていまして、最近は地域の方から商品の PR の動画を頼まれたり。
あとは地域の子ども達への教育にも関心を持っています。
実際に最近もコダテルにて、「子ども向け動画クリエイターコース」という新しい教育プログラムもこの度に開設したり。
自分なりのやれることを模索しながら、また新しく実現していく段階です。
フリーランスになりたての頃は、クライアントさんのお仕事を淡々とこなしていくことばかりやっていました。
しかし、金谷で いなフリを卒業して、運営にも関わらせてていただいて。
そして、八幡浜のコダテルという今いる場所では地域との繋がり方を教えてもらって。
今では子ども達に動画の作り方を教えるサービスを立ち上げる、という新しい段階に進むことができています。
本当に短期的なものでは見えてこなかったものが、いなフリを受講した後の2年半で自分の方向性が定まって、道が見えてきたなと…。
本当に痛いほど感じています。
もしかしたら、いなフリの受講中の方や、卒業した後にまだ道が見えないという方もいるかもしれません。
だけど、そんな時でも自分の感覚と、出会った人の中でピンときた人を信じてください。
僕は、そのやり方で自ずと道は見えてきたなと感じています。
あらためて、いなフリで僕に関わってくれた方々。成長させてくれた方々。
そして今後も見守ってくれる方々。仲良くしてくれる方々。
本当にありがとうございます!皆さんとの出会いの一つ一つが僕の宝物です。
いなフリという事業に出会えて、金谷22期のみんなと一緒に頑張るところから始まって。
これからも自分の人生を精一杯、楽しんでいこうと思います。
今後ともよろしくお願いいたします!
▼いなフリやワークキャリアに興味を持った方はこちら!
・ワークキャリア公式サイト