「会いたい人に会いに行く」自分の気持ちを大切に。
こんにちは!フリーライターのはるぼー(@harubo_0214)です。
皆さんは自分の中で人生のテーマはありますか?
僕は「会いたい人に会いに行く」。
これが人生のテーマです。
このテーマには僕の今までの人生の中で助けてくれた人たちに、また会いたいという気持ち、
そして、自分にない価値観の生き方をしている人達や、場所へ自由に会いに行こうとする自分自身の好奇心を大切にしようという想いが込められています。
このnoteでは自分自身の気持ちの備忘録と自己紹介を兼ねて、
この人生のテーマに行き着き、現在フリーランスとして活動している経緯をお話します。
自分の人生なのに、いつも他者に委ねていた。
昔の僕は自分の意思というものがありませんでした。
中学卒業後は親に「就職を見据えて工業高校に入るといいよ。」と言われたから工業高校に入り、
高校卒業後は「この会社なら、名前の知れている企業だから安心だよ。」と言われるがまま就職しました。
振り返ると、自分自身で考えることはせず、いつも他者に自分を委ねていたなと思います。
自分が嫌いだった会社員時代
高校卒業後は工場に就職。
しかし、仕事の覚えが悪く、
「お前は何もできない」
「どうせ何をやっても無駄だ」
などと言われ、会社でパワハラを受け続けました。
徐々に自分に自信が持てなくなり、自分の事がどんどん嫌いになって、毎日泣いていました。
仕事のことを考えるだけで吐き気がする毎日です。
でも、僕はバイトや他の会社で働くといったことは経験がありません。
当時の僕にとっては「働く=その会社」が全てでした。
どんなに辛くても苦しくても、このまま頑張るしかない。どうせ自分にはやりたいことも無い。
そんなことを考えてはずっと頭の中がモヤモヤしていて、常に苦しい気持ちでした。
そんなある時、仕事中に突然涙が溢れてきて止まらなくなりました。
息も苦しくなり、その日は仕事を早退。そのまま一週間ほど会社を休みました。
休んでいる期間はずっと一人で一日中泣いていて、鏡を見た時の自分の目が腫れていたのを見て、さらに気持ちが沈んだのを覚えています。
一週間休んだあと、再び会社に出勤。もちろん気持ちは沈んだままです。
数日は今まで通りでしたが、ほどなくして上司から
「グループ会社へ出向してほしい」との通達を受けました。
その言葉を聞いた時、僕は「ああ、役に立たない社員だから厄介払いで送られるんだ」そう感じました。
当時の僕には意思も自信もありません。言われるがまま、他会社への出向を受け入れました。
しかし、その出向が僕にとって大きな転機となったのです。
転機①他会社への出向で人の温かさを感じ、自分の自信を取り戻す
出向先の会社は今までの工場よりも、大変な職場でした。
機械の動きに合わせ、自分も慌ただしく動き、力仕事もありと以前の仕事が楽に感じるほど。
実際、新しくこの職場に配属される人も一週間と経たずに辞めてしまったり…そのぐらい体力的には辛い職場でした。
しかし、以前の職場と徹底的に違うところがありました。それは人の温かさです。
職場に配属されて最初の一週間は、職場の人たちとも中々打ち解けられませんでした。
しかし、時が経つにつれて職場の人たちと話すようになり、ご飯に連れて行ってもらったり、面白い冗談を言い合える関係になりました。
また、仕事中にも仕事量が多い時は「全員でこの時間までやって終わらせよう!」というチームワークの良さがありました。
以前の職場で不満に感じていた、
・年配の人が、仕事を若手社員に押し付けて帰る
・残業代が欲しいからとダラダラ会社に居座る人がいる
といったことはありません。この職場では仕事自体がどんなに大変でも、人間関係が良ければ乗り切ることができると学びました。
以前の職場ではポンコツと呼ばれていた僕ですが、一から大切な人間関係を築き、大変だと言われていた仕事をやり切ったこと。
これが僕にとって大きな自信となりました。
しかし、その出向期間は半年間で終わりとなり、僕は元の会社に戻ることに。お世話になった人たちとの別れ際はめちゃくちゃ泣きました。
正直、元の会社に戻るということは不安でいっぱいです。
でもここでこれだけ自信をつけられた今なら、きっと大丈夫。自分にそう言い聞かせました。
資格を取得し、転職を試みるも挫折
以前の職場に戻った後はパワハラをしてくる人とは離れられたものの、会社の雰囲気はなんだか暗いまま。
残業も休日出勤も多く、夜勤もあり、身体的にもキツい。
「このまま、この会社に居続けてはいけない。」そう感じた僕は資格を取得しての転職を決意しました。
具体的には会社に出入りしていた保険会社の人から「ファイナンシャル・プランナー」という資格があることを聞き、その資格を取得して関連する会社に転職しようと考えました。
理由は、この資格は税金や不動産、資産運用などの人の人生に関わってくるお金の知識を持っているという証明になり、人の人生を一緒に考えて支えることができるかもしれないと考えたからです。
出向先で人の温かさに触れた僕は「人に寄り添う人になりたい。」そんな気持ちが強くなっていました。
それからは半年後の試験を目指して猛勉強。自分自身を言い訳させないため、会社へ自分の意思を示すため、あえて会社内で昼休みに他の人たちが見ている目の前で勉強をしました。
そして半年後、合格率が30%以下の資格試験に無事合格。誰でも取れるような資格ではないし、きっと良い転職先が見つかるはず…!
しかし、現実はそう甘くはありませんでした。
転職エージェントに相談するも、
「最終学歴が高校卒で、工場の作業員という全くの異業種からの転職は無理でしょう。資格を持っているだけではあまり意味はありません。」
と言われ、打ちひしがれた気持ちになりました。
その転職エージェントからは、「また連絡するので履歴書を送ってください。」と言われ履歴書を送りました。
しかし、一週間、二週間…いくら待っていても連絡はきません。
僕は
「ああ…やっぱり、自分には価値がないんだ。意気揚々と資格勉強してたのがバカみたい。」
とさらに落ち込みました。
もしも、当時の僕がやる気と活気に満ち溢れていたら、他の転職エージェントに頼ったり転職しようと思えばできていたかもしれません。
しかし、当時はまだ在職中です。
会社での残業、休日出勤、夜勤の間の僅かな時間を使っての転職活動は心身ともに疲弊していくばかりでした。
周りの環境ってすごく重要なんです。
今の自分なら、自信も付いたし大丈夫!と思っても周りが暗かったり、疲弊していたりすると、それは知らず知らずのうちに自分にも影響していきます。
僕はすっかり転職する気力は無くなり、沈んでしまいました。
転機②「生きているのは当たり前ではない」。被災地のボランティアで感じたこと
しかし、そんな僕にまたも転機がありました。
それは2017年におよそ一週間、東日本大震災のボランティアに参加したことです。
震災が発生した2011年からは6年経っていましたが、被災地は更地が多く復興の最中。
今まで自分が知ろうとしなかっただけで、現実はまだまだこれから…ということを知りました。
そして、僕にとって1番の転機になったこと…それはやっぱり「人との出会い」でした。
まず、僕と同じようにボランティアに参加している方々の熱量が、普段会社で関わる人達と大違いだったことに驚きました。
会社で関わる全員がそうではないにしろ、愚痴や不満を口にする人が多く、
一緒にいると僕自身も暗い気持ちになることが多かったのです。
しかし、ボランティアに参加する人達は「エネルギー」が違いました。
自分自身の損得を考えずに、人のために活動する人達。
僕もこういう人達と関わっていけたら…そう強く思いました。
そして、もう1つは被災地の方との交流です。
僕はボランティアに参加する前は、
「被災地の人とはどう関わればいいんだろう…」
と少し戸惑っていました。
しかし、実際に一週間ほど一緒に活動する中で、僕のようなよその人でも受け入れてくれた事が凄く嬉しかったです。
そんな被災地の方々とのお話の中で、特に僕の価値観が変わるきっかけとなったお話があります。
それは、
「明日死ぬかもしれない。生きているのは当たり前ではない。」
ということです。
被災地の方々の、目の前で人が流されてしまったり、まだ行方不明になったままの知り合いがいるというお話を聞いた時、
「ああ、自分が生きているのは当たり前じゃないんだ」
と気づきました。
同時にイヤイヤ言いながら会社に行って、人生を悲観している僕は、生きたくても生きられなかった人達に失礼だし、
他でもない自分自身にも失礼だと強く感じました。
「明日死ぬかもしれないなら、今を全力で生きよう。」
これは、ボランティアで出会った恩人からもらった言葉ですが、今も僕の心の根っこにずっと残っていて、今の僕を形作っています。
ボランティアがきっかけで「田舎暮らし」に興味を持つ
ボランティアを通して、「地域の人達と関わる」ことのすばらしさを知った僕は、田舎暮らしってどんな感じなのだろう?と興味を持ち始めました。
被災地のボランティアで出会った恩人は、実際に田舎に暮らしながら一年間の農山村支援を行う別のボランティア活動も行っていたため、僕はその恩人の活動する地域へ5日間ほど「田舎体験」にいきました。
そこでは、地域の人たちとの交流はもちろん、郷土芸能や稲刈りなど様々な体験をしました。
また、特別なことをしなくても自分が行くだけで喜んでくれる人がいるということも知ることができました。
今まで、「会社の中でよく思われなければ価値はない」と思っていた僕にとってこれは衝撃です。
その地域で活動していた僕の恩人は、まるで人と人を繋ぐ「かけ橋」のように感じました。
僕もこんな風に人と人を繋ぐような人になりたい。
そう感じた僕は、自分自身も一年間の農山村支援のボランティア活動に参加することにし、会社を辞めることを決意しました。
葛藤がありながらも会社を退職
会社を辞めることを決意した僕でしたが、懸念していたことが一つありました。それは僕の実家があまり裕福ではないということ。
会社員になってから、仕送りしていた期間もあったため、僕が会社を辞めたら、ひょっとして経済的に大変なことになるんじゃないか…。
そう思うと、中々退職に対して踏み切れない自分がいました。
しかし、そんな時期に出会ったある人の言葉で僕は一歩進むことができました。
その言葉は「自分の意思を言葉でちゃんと伝えてないだけで、伝えれば案外分かってくれるよ。」
という物でした。
確かに今まで僕は自分の意思を持つことが無く、自分で決めることや自分の言葉で伝えることをしてきませんでした。
でも今は明確にやりたいことがある。自分の意思を示すのは今しかない。
力強い言葉に後押しされた僕はそう決意し、実家の家族、そして会社に退職の意思を伝えました。
結果、実家の家族は「やりたいことがあるなら、やってくるといいよ。」と背中を押してくれました。
自分が伝えようとしなかっただけで、言葉に出せば想いは伝わることを感じた瞬間です。
田舎での一年間は自分と向き合う事の連続
会社を辞めたあとは実際に長野県で一年間の村落支援を行うことになった僕ですが、この期間は自分と向き合い続ける一年となりました。
僕は心機一転して、田舎でなにか自分にマッチする新しいことがあれば挑戦してみたいと思っていました。
しかし、派遣された村での村落支援ボランティアの受け入れは僕でちょうど10年目。
実際には役場や住民の方々から求められるボランティアとしての活動や役割が想像以上に既に決まっていて、自分が興味のある新しいことに挑戦しづらい環境でした。
会社を辞めてみたものの、結局は組織や周りの目を気にしてしまい、何もできない自分。
元々は人と人と繋げる人になりたいと思い、この村落支援のボランティアに参加した僕ですが、人のために動きすぎて疲れ果てていました。
「自分は何のために、会社をやめてボランティアをしているのだろう…。」
何度も何度も自分と対話する中で、僕は周りを気にしなければいけない組織に属する事や、自己犠牲をしてまで人に尽くすことは自分の本意ではないと気づくことができました。
これは会社員だけではなく、一年間のボランティアをやったからこそ気づけたことです。
人から言われたことではなく、自分自身で大切だと思う事、伝えたいものは何だろう?自分自身がやりたいことは?
たどり着いた一つの答えは自己実現を通して「感謝」を伝えていくことでした。
自己実現を通して「感謝」を伝えるという意味
「自己実現」という言葉には、「人が自分の能力や個性を実現し、個人としての目標も実現する」という意味があります。
僕は会社員やボランティアのような肩書きで見られるのではなく、あくまでも一人の人間として生きていきたい。
そして、そんな一人の人間としての僕が感じたことをそのまま伝えていきたい。
そう感じた僕は今までの節目節目で感じた、「感謝」を伝えることが自分の自己実現だと感じました。
それは出向先で出会った人だったり、被災地で出会った人だったり、僕の背中を押してくれた人たちから感じた感謝。
そして、先ほどは一年間のボランティアの中で苦悩したことを話しましたが、この一年間は感謝を感じる一年でもありました。
例えば、
実際に地域に入り暮らす中で見守ってくれる人々への感謝。
お米を自分で育ててみて感じた、食べ物や恵みへの感謝。
など、
当たり前のように存在している物事への感謝の気持ちを忘れないこと、
そしてそれを当たり前すぎて気付かない人たちに伝えること。
それが僕の村落支援活動だと答えを出すことができました。
任期の最後に活動の報告会もあり、僕は自分が感じた感謝を村の人たちに伝えました。
そして、僕を気にかけてくれた地域の方の後押しで、自分が悩んでいたことをこの時にちゃんと打ち明けることもできました。
最後まで、「感謝」を感じながら僕は一年間の任期を終えました。
旅する生き方を実現するにはどうすれば?
村落支援ボランティアの一年間の任期が終わった後、好奇心から一ヶ月ぐらい旅をしていました。
ゲストハウスに泊まったり、遠方の友人のところへ田んぼの手伝いにいったり…
今までの人生と照らし合わせても、自分は1つの場所で根を下ろすのは向いてないんじゃないか?そう感じていました。
そんな中、僕は「田舎フリーランス養成講座」というものに興味を持ちました。
簡単に説明すると1ヶ月間、田舎に滞在しながらWebやIT関係のスキルを学べる合宿です。
Webスキルを使って場所を選ばない生き方も試してみたい!
フリーランスという生き方は僕に向いているのだろうか?
やってみないと分からないと思った僕は、この講座の受講を決めました。
「会いたい人に会いに行く」
受講した田舎フリーランス養成講座の1ヶ月のテーマは、
「人生を前に進める1ヶ月」。
その言葉の通り、ただ単に仕事をする方法や技術を学ぶだけでなく、
「自分がどのように生きたいか?」
をじっくりと考え、それを実現するための手段を明確にする講座でもありました。
そんな中、僕が出した人生のテーマは
「会いたい人に会いに行く」
人生にすること。
この目標は今まで僕を助けてくれた人達や、組織ではなく一人の人間としての僕の助けを必要としている人達の力になりたいと思って考えました。
そして、自分の好奇心を大事に、新しい人や場所ともどんどん出会っていきたいという意味も込めています。
大切な人達に自由に会いに行って、一緒になにかできたら、
きっとそれはすごく幸せなことだと感じました。
そしてその目標を実現するには、フリーランスという生き方がピッタリだったのです。
自己実現するにはフリーランスしかない
「会いたい人に会いに行く」ことを実現するにはどうすればいいのか?
そのためには場所や時間に囚われず、自分が努力した結果が目に見えるフリーランスの生き方が自分に合っていました。
僕が今まで経験してきた、工場の作業員や田舎でのボランティアはどちらも組織ありきで、周りの人や組織のためにガマンしてしまう事が多々ありました。
組織に属していれば、確かに組織や社会が守ってくれるでしょう。
でも、そのために本当の自分の気持ちを無理やり押し殺すことに僕はモヤモヤしていました。
一方でフリーランスになると全部個人でやらないといけません。
それでも自分の人生に責任を持って、全て自分で選んで生きていくこの生き方が自分にピッタリだと感じました。
個人だから自分のやりたい!と思った事を阻害する物は何も無いです。
自分でたどり着いた答えだからブレはありません。
この答え
に着くまでに助けてくれた僕の人生に関わった全ての人達にあらためて、
「ありがとう」と感謝を伝えたいです。
過去の自分からの贈り物
こうして今までを振り返ってみると、当時は苦しくて仕方の無かったことだったとしても、自分の人生において無駄だったことなんて一つも無いと感じました。
過去の自分が必死になって選択してきたから、今の自分が形作られている。
まるで過去の自分からの贈り物のように思います。
実際にこのnoteを書いている中で、本当に今までの自分、よく頑張ってきたな!と勇気を貰えました。
「会いたい人に会いに行く」という想いを綴ったこのnote。
きっとこのnoteも未来の自分への贈り物になる、そう信じています。