腎不全ステージⅣのうちの猫のこと。長文のため見出し付けました。
FEC4回目打ち終わりました❗️❗️
でもまず、猫のことを書こうと思いますーーー
そもそもnoteを始めたのは、こんな経験なかなかないんだから記録つけないと!と始めたのに、自分に余裕がないとできないんだなぁと思った。
癌宣告されて手術するまでが一番辛かったけど、その時は書くことでスッキリしていたけど、猫のこととなるとなかなかできないんだなぁー😞
自分のことより、家族のことの方がキツイんだな、と知りました。
春くんは、どんどん衰弱してきていて、お散歩はもちろん行かないし、2階から1階に降りてくることもなくなり、ベッド(調子が悪くなってから人間のベッドの枕元を自分の巣にしてる)と水飲み、トイレの往復のみになった。
26日から輸液を初めて今日で12日目。
輸液してなかったらここまでなかったと思うから、本当よかった。
ただ、4.5日前からカリカリを食べたいような仕草はしても、食べる力がなくなって、私が強制給餌をしている。それても1日量の1/3くらい。
そしてそれも少しずつ嫌がり方が強くなってきたので、どこかで私がやめる決断をしてあげるべきだと思う。
輸液も、一昨日3日前から液の入りが悪くなってきたから、体が受け付けなくなってきたのかな、と思う。前より嫌がるから針が抜けて、2回刺したりすることがあったり、刺せてなくて150mlもこぼしてしまって自己嫌悪のまま仕事に行ったりしている。
輸液は強制給餌よりは辛くないと思うから、まだ続けようとは思うけど、これも私が止める決断をどこかでする必要があるのかなと思う。
8/6今日
輸液のあとに10粒ご飯と吐き気止め薬とサプリメントをあげる。
その後見たら、初めておしっこをベッドでしていた。輸液と強制給餌がストレスでもらしたのか。それともここからずっとトイレできなくなるのか。
私の中で、
・自分から食べられなくなる
・トイレに行けなくなる
ここが私の中でひとつの指標だったので、なかなかショックを受けたけど、あまり頑張らないでいいよ、と後片付けしてあげた。
おむつも買ってある。
でも綺麗にしてあげたあとにトロリッチを3本ペロリと舐めたので少しよかった。
覚悟は、できているほうだと思う。
動物病院にいたり、ペット屋さんでは私の力不足でかなりたくさんの子犬を飼い主さんを見つけてあげる前に看取ってきたし、病院で亡くなるのを見るのは、田舎だったため外飼が多くて交通事故の子が多かった。
でも、春の死が近くなってきたと毎日毎日実感していくのと同時に、17年間あっという間だったと思ったけど、春と過ごしてきた小さな出来事とかを思い出してしまって、「あぁ、もう春とああやって過ごすことはできないのか」と思うとすごく悲しくなった。
春くんとの出会いを書いてスッキリしよーと思う。
ここからは、歴史の授業?!?!?!って思うほど長くて読むべきではないのでよろしくお願いします。
万が一読む場合は暇すぎてどうにかなりそうとかトイレに引きこもる時とかにしてください🙏🏻´-
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🍊2004年夏と秋の間ぐらいに出会う
私が22歳、ペット屋さんで働いている時。
出勤して正面玄関を開けるとダンボールがあった。
よく、熱帯魚がバケツごとおいてあったり、いろいろな生き物がおいてあったので、今回はなんだ?死んでたらやだなぁ、と思いながら、ガムテープでぴったり止めてあったダンボールを嫌々開けた。
そしたら、小さな葛のカゴに入った茶トラの猫が、ミャーミャーとでっかい声で飛び出しながら騒ぎ始めた。
開けるまで静かだったから、多分寝ていたみたい。それを思いだすと、身体が丈夫で私に手間をかけなかった春らしいな、と今思う。
目は開いてなくて、へその緒はカサカサしていた。
目が開くのは早い子は4日ぐらい、遅い子でも2週間ぐらい。春は拾って1週間後ぐらいに目が開いたから、この時はたぶん生後すぐ、1~3日かと思う。
ミャーミャー泣くけどミルクを飲まないので、うんちかおしっこだな、と思ってお尻を刺激(自力ではまだ出来ないから、お母さんが舐めて排泄を促すのでそれをコットンで人間が)してあげるけど全く出ない。
でもミルクを飲まない。でもまだ鳴いている。
ので、これは浣腸だ!と浣腸をしたら、身体の大きさからは想像できないぐらいのうんちが出た!!𐤔 未だに覚えている😆
その後ごくごくミルクを飲んで一安心。
ただ、オーナーが出勤してきて見つかると、
「病気を持ち込んだらどうすんの!どうにかしてきて!!キーーーー」←そもそも動物が好きではないので。
とめちゃくちゃ不機嫌になりキレられるので、スタッフの車の中にとりあえず隠す。(私は貧乏で車がないのでスーパーカブで通勤してた。実家の子が羨ましかった)
春は幸いノミもいなくて、耳ダニもいなそう。目ヤニもゼロで毛艶も捨て猫とは思えないほど綺麗だった。
自分で食べるようになるまでは、3時間おきにミルクとトイレをしないといけないので、オーナーの目を盗んでミルクをあげて、帰る時は私のリュックに入れて、バイクで5キロ15~20分ぐらい旅させてた😆
だから春は音に強い💪
朝8:30~21:00、週一休みで店長をまかされていて常に瀕死だったので、夜中に2時間半ごとに目覚ましをかけて排泄させてミルクをあげるのは本当きつかったけど、
1週間くらいで目が開いて、トイレもしてくれるし、すぐにカリカリを食べ始めた。
1度ダンボールに入れて出かけて帰ってきたら、私の布団の枕元まで移動してスヤスヤ寝ていて、この頃から人の布団が好きだったんだな。
今も、ベッドの枕元に巣を構えていて、そこから動かず過ごしているから。
その辺り、目が開いてまだミルクの時にオーナーに見つかったけど、当時の彼氏が拾ってきて、ミルクを飲まないからとさっき店に連れてきた、と言ったら大丈夫だった。
検便も問題なく終わり、里親を探し始めた。でも、ペット屋さんのため、里親募集は貼り紙をできない。(できなくないけどオーナーが嫌がるのは絶対わかる。しかも里親が店のスタッフとなると、無料で譲って店として責任を負わされる可能性があるのでやはりリスクがある。)
ガラケーで、ネットもわからない時代だったので、見つからないまま4ヶ月になり、そのあたりで買うしかない、と覚悟して名前をつけた。
ペット屋さんでトリミングもしていたので、カルテを名前ごとに整理していて、絶対に似たような名前(ココちゃんとモモちゃんのページは大変なことになっていた)にはしないようにしようと決めていて、誰ともかぶらない名前を考えて、春、にした。
今は人間の子供の名前でも、はる、がつく男の子と女の子も多いけど、その時は流行ってなかったんだから!とよく思う🤨𐤔 なんの意地!
手がかからずすくすく育つ
春は、私のせいなんだけども、後輩のトリミングの練習に使わせたりしたから、女の人がすごく嫌いになってしまって、家に来る友達にめちゃくちゃキレる子に育ってしまった。男の人は好きだった。頭のよいこだから、声のトーンや体格を見て、男の人には勝てない、と瞬時に判断していたように思う。あとしつこい人が猫は嫌いなので、玄関を開けた瞬間な高い声で、カワイー!という女の人はうっとおしいのだと思う。
よかったのは、ペット屋さんで育てたので、犬とも仲良く遊べることと、リュックに詰め込んで通っていたから、乗り物も大好き。
車を私が26歳で買った時に、実家の猫は車=病院、となっていて大変だったので、この子はなるべく乗せてならそう!と、スーパーに行くだけでも連れていったので、犬みたいに窓から顔を出して外を見るような猫に育った。
赤信号の時に、「あー、猫乗せてるー!」と子供に指をさされたりして。
新幹線に乗って静岡の実家に行ったこともある。
実家でお風呂の水を飲もうとして落ちて、母親が裸で春を抱き抱えて居間に走ってきた。今思えば母親の全裸を見たのはそれが最後かな𐤔
お座りはすぐ覚えて、
8歳頃からはスワレ、お手、オカワリ、待て、が出来るようになって、本当に頭の良い子だと思う。
ぶんちゃん(4コ年下のラグドール)は、愛嬌抜群だけど、(・△・)…っとしている。
春はなつっこくないし友達にキレるけど、常に人の顔の表情も見て、親バカだけどとても頭の良い子だと思う。
脱走事件
これも私が悪いのだけど、その当時アパートの1階に住んでいた。アパートの前にたまに野良猫が来ていて、春と目が合うことがあった。
ある日、フゥゥゥ~~~<(`^´)>という声が聞こえて窓の方を見たら、その野良猫がベランダまで侵入してきて、春と網戸越しに睨み合っていた💦💦
私が「コラっ!」と言うと野良猫が逃げたのはよいけど、春がその後を追いかようと、
なんと網戸をぶち破って出ていってしまった。
幸いその後すぐ捕まえられた。
けれど、網戸はもろくなってしまった。
ある日気づいたらそこがまたあいていて、春がいなかった。
焦って、探し回ったのだけれど見つからず、朝も夜も探した。車の下をしゃがんで見るから、膝小僧がアザだらけになってしまった。
それでも見つからないので、1日半過ぎたあたりで、チラシを作成しようとPhotoshopを開いて沈みながら作業していた時のこと。
玄関の方から、コンコンと音が。
この時、既にぶんたがいたので、春が帰ってきた時のために開けておきたいけど、ぶんたが出ると困るから、玄関の防犯ロックを付けて、少しだけ開けていたんだった。
急いで見に行ったら春がいた!
私が泣きながら迎え入れると今でクターと横になった。一応食べないだろうけど、と餌を出したら横になりながらガツガツ食べて、今思うとさすが春!という感じ。
その時に春に顔をうずめたら、落ち葉の匂いがした𐤔 たぶん特に動かず、ずっとどこかの庭の片隅で隠れていたんだろうな。私の声が聞こえても出てこれなかったのかな。
それ以来、ご飯の時はリンリーんとベルを鳴らしてからあげることにしていた。なので、なんでもない時も鳴らすと、2匹ともかけつけてくる。春も食欲なくなってたのに、鳴らしたらわざわざ起きてきていた𐤔
話は当時に戻り、その後、動物病院で検査したけど、猫エイズ等は問題なし。よかった。私が網戸をきちんと補強しなかったために、大変なことになってしまった、何も無くて本当よかった。
今までの通院は2回だけの健康な子
ここまで、病院には、去勢とワクチンと、上記の検査以外では2回しか行かなかった。
1回目はなんかおかしくて連れていったら、久々のため私もここまで暴れると思わず油断していて、動物病院に大迷惑をかけてしまった。鎮静をかけて、採血等をしたけど何も見つからず、すぐに体調はもどった。
たぶんこの時に、カルテに🅱️と書かれたと思う。
私が働いている時は要注意な子は、飼い主様にわからないようにカルテの右端に、噛むを意味するBeitのBと赤字で書いていた。
2回目は、今思えば足の捻挫かと思う。そのせいで2階から降りてこなくなった。
かかりつけが夏休みかなんかでお休みで、近い病院に行ったらめちゃくちゃ若い女医さんで、驚くほど採血が下手で、看護師も保定が下手すぎて、私がめちゃくちゃ頑張った。春も大鳴き。
そのためレントゲンは断念。血液検査の結果は外注でその後届いて問題なし。届いた頃には元気だった。
二度とあの病院は行かない。
その後、ぶんちゃんの検査で定期的に通っていたので(腎臓が生まれつき片方しか機能してない)、その時に春の老後(この時は特に問題なし、元気)についての相談を、信頼している先生なので何度かしてきた。
➡️猫ドックはしない、苦痛がなさそうなら積極的治療はしない、シニア食を与えて様子を見ていこう。ということで先生と話し合った。(大暴れしてから何年も経ってるのに凶暴と覚えているから、やっぱり相当書かれている𐤔)
でも、今まで1度も下痢をしたことがなくて、本当に親孝行🐈。
🍊2020年 春16歳
去年からは、尿量がかなり増えてきた。
元々水をたくさん飲む子だったけど、明らかにおしっこの色が薄いし匂いも少ない。
恐らく腎臓が悪いだろうなと思っていたけど、先生と相談し、病院に連れていき血液検査をするのは相当なストレスになるから、療法食で、ということにしていた。
一応尿検査を持ち込むための容器をもらったけど、病院がやっている日で私が仕事が休みの日に、朝イチのおしっこを取ることがどうしてもできず、検査は出来なかった。
夏あたりから、食欲はあるけど痩せ始めてきた。
それまでは、16歳だよーと訪れた友達に言うと、えー!!とかなり驚かれているぐらい若かったんだけど、夏すぎ頃からは、見た目でおじいちゃんぽい、感じになってきた。
🍊2021年年越ししてから
今年に入って少し吐く回数が増えてきた気がした。もともとよく吐く子だったから目立たなかったけど、回数は確実に増えていたと思う。
たまにご飯を残すようになってきた。
🍊2021年 2月末あたり
ご飯を残すどころか全然食べない時が出てきたので、いろいろ与え始めた。今まで、ホームセンターとかスーパーのご飯やちゅーるとかおやつ、人のご飯は絶対にあげないで育ててきたんだけど、もうここは仕方ない…と、激安のフードをいろいろ試して、銀のスプーン三ツ星グルメ、というご飯をバクバク食べるのを見て切なくなる𐤔
行動も、ほとんど寝たままで、窓際につけたベッドでずっと過ごしていた。でも、夜泣きがひどいので運動させようとお散歩行ったり、風呂の水を飲みに来たり、私のそばで寝たりまだまだ元気ではあった。でも、おそらく腎臓が悪いことはわかっていた。
後悔
思えば、もう少し早い段階で、たくさん食べさせておけばよかった。
いろいろなフードの講習に行ってきたけど、
痩せ型の子の方が太り気味の子より長生きするデータを見てきていたので、太らせるのがすごく嫌だったのでセーブしていたけど、去年からもう少し増やせばよかった。これはかなり後悔。
去年も、転職、新しい仕事に慣れた頃に父親の老人鬱、認知症疑惑。妹と月一実家に帰るようにして。
その後、本職と掛け持ちしていたバイト先が無くなり。その辺で癌が発覚する。
春は手間がかからない子だったから、少し私も春に甘えて自分優先だったな、後悔。
そして
🍊6/23 体調急変
FEC2回目の前日夜中に急変。
嘔吐。2階から降りてこなくなる。猫がいつもと違うとこで寝るのはまず体調が悪い。
🍊6/25 検査結果
血液検査の結果、腎不全ステージⅣ。
覚悟していたから驚かなかったけど、先生に抗がん剤のことを話してしまったのが失敗だった。
私が怪我をしたら困るから、凶暴な春しか知らないから自宅でも大暴れかと思っているのだと思う。
投薬も輸液もしないでという方針だった。この先生はそういう先生だった。(悪い意味ではなく、良い意味です。そういうところも好きで選んでいたんだった。)
最初の頃は、先生には言わずラプロス(猫の腎不全の薬)をあげていた。
先生にはステージⅣの子にあげても…言われていたけど、もし少しでも可能性があるならと。
でも、口内炎により血が出ているのを見た時から、ラプロスはやめた。ラプロスの効果が出るまでは、春は間に合わないと思った。薬は副作用が無いわけではないから。
止血する薬をもらい、今は吐き気とか胃腸の薬とサプリメントのみ。
これから
友達に聞かれて現状を答えると、
もう少し長生きして欲しいとか、頑張って欲しいと言われるけど、私は長生きよりも、苦しまないで穏やかに旅立ってくれたらと思うから、そのために私がどこまでやるか、それをずっと考えている。
本当は仕事に行かずに付いていたいけど、春は一人でいたいみたいだし、家にいたらずっとその事ばかり考えてしまうから、ちょうどよいのかもしれない。
9月末までに使い切らないといけない夏休も3日間とってあるから、呼吸が浅くなってきたり、瞳孔が開きっぱなしになったら、最後の日はずっと付きっきりでいたいなって考えてる。
春がら長くないと思っていたから、そのために、抗がん剤の副作用がしんどくても、死ぬ気で出勤して、有給を使わないで頑張ってきたこともあるんだから。
仕事場も近いから、電動チャリを買ったんだしお昼休みに見に帰ってきてもよいし。
ペットカメラは、つなげていると見てしまってキリがないので今はoff。
(というかカメラだと、ほぼ🐈が寝ているので、亡くなっているのかどっちかわからない)
抗がん剤もしばらくお休みなので(この事は別の日記で)、多少無理しても大丈夫になったから、全てタイミングなのかもしれない。
私は本当は訓練士になりたかったんだけど、挫折した。
でも、実家で育てた猫を私たちの無知により猫エイズに感染させて辛い老後を送らせたことから、私は適正飼育を伝えていき、動物が辛い思いをすることがないようにしたい、という気持ちが強かった。
ペット屋さん、動物病院にいて、育てていくにあたって常に心に留めて欲しいと飼い主様にずっと伝えてきたのは、
病気をした時、亡くなる時に、後悔しないように育ててほしいということ。
人間の食べ物を与えて太らせている飼い主さんは多いけど、きまって、「いつも同じもので可哀想じゃなーい」と言う。
私は口には出さないけど、じゃあそのせいで病気をしても後悔しないんですね。自分のせいだとは思わないんですね。
と思っていて、グッとこらえて、
でも、○○ちゃんは、塩分や太ることが体に悪いとか知らなくて、そのことで大好きな飼い主さんといる時間が減るかもしれない、苦痛を伴うかもしれない、ってわからないんですよ。人間は、リスクを知っていて自分で選んで食事をするけれど、○○ちゃんはわからないから。
だから、少しでも飼い主さんがセーブしてあげれば…
と言ってきたけれど。
人に散々話しておいて、私は後悔しないで看取れるように!と強く思ってきたけれど、
どうにかしてまずは採尿、血液検査をしていて早めにわかっていれば、ラプロスをあげていたら、もう少し一緒にいれたかもしれない。せめて抗がん剤のあとだったかもしれない。
痩せてきたところで、ぽっちゃり気味にもう少し早めにたくさん食べさせておけばよかった。
春は2歳から歯磨きをさせてくれなくなった。
トリミングで小型犬をたくさん見るけど、缶詰を食べている子の歯石の多さにびっくりしていたのでドライフードしかあげなかったけれど、食が細くなった時にいろいろ食べられた方がよかった。
特に缶詰で水分をとることができるから、たまにならあげて慣れさせておけばよかった。
私のせいで、ドライしか食べない子に育ってしまった。
後悔しないで育てるのは大変だな。
とりあえずここからはやれることをして、葛藤がかなりあるけど、無理はあまりさせないで、考えていこう。
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まだ歩いていた頃。かわいい。
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