回想編➀5才の記憶と感情
自分の成長欲求に焦点を当てて、つらつら書いていきます。
なぜ今、40歳で、今までと全く関係のない分野、しかもアート関連の方に進みたいと思ったのか。
過去の成長欲求、気持ちより頭で考えしまっていた時の感情等を整理していきたいと思います。
(思い出したらアップしますので、何回の連載になるかは分かりません)
まず、タイトル通り、5歳の時の記憶が一番強烈に覚えています。
当時、年の離れた姉がピアノを習っていて、
5歳からみたら上手。(たぶん)
私もピアノを習いたい、そんな思いが出てきました。
5歳からしたら、他にやってみたいことのロールモデルがあまりないわけなので、自然な流れだったと思います。
そこで母親に「私もピアノを今習ってみたい」と伝えたところ、
「あなたにはまだ早い。小学生になってからね」と返ってきました。
そして、小学1年生になり、ピアノを始めた時には、すでにピアノに対する欲は下がっていたのでした。
ここまでの何が問題だったのか分かりますか?
少したったらピアノに対して冷めちゃった、ただの子供の話に聞こえるかもしれません。
そして母親は決して毒親ではありません。
ある程度、私の最適な時期を見計らってお膳立てをしてくれたのではと思います。なんせ体は弱い方だったので、幼稚園も休みがち、少し体力がでてからと思ってくれたと思います。
しかしながら、私の感情は、やりたいことが否定された初めての瞬間でした。
心から、挑戦してみたい、失敗の恐れ、合う合わないとか理性的なことは全然考えない、シンプルな成長欲求だったのです。
そして、絶対に今やりたい!と駄々をこねる子供でもなかったので、何か心から一つ感情が消えた感覚を今でも覚えています。
まだ何もやっていないのに、「お前には無理」と言われたようで、悲しかったんだと思います。
成長欲求は、人間どのフェーズでも持っています。
社会人の転職はまさにそうで、仕事ができる人がある日突然転職しますとお知らせする現象で説明ができます。
年収や人間関係の悩み等、様々な要因はあれど、
もう今の会社でやり尽くした、自分が成長できる余地はないと判断し、さらに再現性を求めたり、より貢献度が高く自身の成長にも繋がる会社へ転職をします。
話戻りまして、
5歳の体力のない私に母親はなんと返すのが良かったのか。
それは正解はありません。
しかし成長欲求に蓋をしない対応であれば、例えば、
ピアノ自体は触らせる、簡単に弾けるフレーズを弾かせてみる、音階の読み方を姉が教える等、スモールスタートの対応で良かったのだと思います。
それがリトマス試験紙になって、もしかしたら、つまらなそう、で終わってたかもしれません(笑)
なんせ小学1年~5年まで、あまり楽しくなく通っていたんです。
小学1年の時に、満を持してピアノに通わせてくれたのだから、しっかりやらないといけないと、妙な責任感を持ちながら小学5年生までピアノ教室に通っていました。
今思うと、子供らしく、「もう辞めます」と、もっとワガママになっていたらと思いますが、
辞める選択を考えることが出来なかった、あの妙な責任感の正体はなんなのか、これも回想しながら紐といていけたらと思います。