ひとりきりの修学旅行
むっちゃん、元気にしていますか?
私がひとりで修学旅行にいったこと、これまでうまく話のネタにはなりました。
むっちゃんとは正直気が合わないところもあったけど、一緒に修学旅行にいっていたら少しは楽しい思い出もできたんじゃないかな、と今では思っています。
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むっちゃんと出会ったのは、小学1年生のとき。彼女は紺色で横型のランドセルを背負っていた。
今のように多様性が叫ばれる時代でもなく、ちょっと変わった子というのが第一印象。
私のランドセルはもちろん赤。おばあちゃんが用意してくれたものだった。
当時のクラスメイト、というか学年メイトは他にあきちゃんと、はーちゃんのみ。私を含め学年4人。私が育ったのは、大阪で唯一の村、いわゆる過疎地だった。
低学年の頃、私の一番の仲良しは、幼稚園から一緒のはーちゃんだった。はーちゃんは控えめだけど頭が良い、優しい女の子。
でも3年生の終わりにはむっちゃんも含めみんな村外に引っ越してしまい、私だけが残った。
そこに4年生から転校してきたのが、ちーちゃんである。
ちーちゃんは、勉強はあまり得意ではなさそうだったけど、とにかく明るく元気な女の子だった。子どもの頃に大やけどをしたそうで、半身にやけど痕があり、それをある種のトレードマークのように振る舞っていたことが印象的だった。ちーちゃんとはそこそこ仲良くなったけれど、5年生の終わりにどこかに引っ越してしまい、私はまたひとりになった。
なぜか人の出入りが激しい過疎地。便利な都会に移住というケースもあれば、一時的な過疎地への居住はもしかすると何らかの事情があったのかもしれない。
そして戻ってきたのがむっちゃんだった。
6年生になったむっちゃんは3年生の頃とあまり変わりなく、左利きで、丸っこい字を書き、ピンクより青や水色が好きな女の子だった。
6年生の一大イベントといえば、修学旅行。
行き先は神戸で、一泊二日で南京町や須磨水族園を巡るというコース。
村には電車がなく、私にとってはほぼ初めての、電車に乗って遠くに行く、というイベントで、とてもワクワクしていた。
けれど、出発の数日前に、むっちゃんが修学旅行にいかないということを聞いた。
むっちゃんとは特別親しい仲でもなかったので、残念というより、修学旅行にいけへん子なんかおるんや、なんで?と不思議な気持ちだった。
当時聞いた理由は、神戸なんか近すぎて面白くないから行けへん。というもの。
ど田舎の小学校で予算も限られていただろうし、近いのはまあ致し方ないと思うけど。
私は結局、先生3人に引率されて修学旅行にいくことになった。
校長先生、担任の先生、それから本来は保健の先生が来るところを、私は保健の先生が嫌いだったので、5年生のときに担任だったD先生にお願いして一緒に来てもらうことになった。
神戸市内をタクシーで移動したり、先生がノリノリで街の人に「私達どんな関係だと思いますか?実は修学旅行なんでーす!」と言ったりしたことは、きっと普通の修学旅行とは違ったと思う。
予定通り南京町で食べ歩きしたり、水族館でカメにエサをあげたり、まあそれくらいしか覚えていないけど、とにかくD先生と一緒だったので楽しい修学旅行になった。D先生、その節はありがとうございました。
その後、全校行事の作文朗読会があった。
私は修学旅行の思い出について書いたのだが、むっちゃんは事もあろうに、
『いかなかった修学旅行』という作文を朗読したのだった。
むっちゃんの作文朗読について、私の中では本当にあったちょっと怖い話として記憶されていたのだが、今こうして思い返してみると、むっちゃん、ほんまは修学旅行にいきたかったんちゃうかな?という気もしてきた。
作文の内容は修学旅行縛りでもなかったし、他にいくらでも楽しいことを書けばよかったのに、修学旅行にいかなくてよかったという内容をわざわざ朗読するとは、よほど固執していたということではなかろうか。
親の影響で、修学旅行にいかないという判断をして、作文にも書いたのかもしれないし、そうではないかもしれない。少なくともむっちゃんの親が修学旅行の内容にクレームをつけて行き先を変えるように学校に交渉したけど叶わなかったというようなことは当時聞いた。今でいうモンペ(モンスターペアレンツ)だと思うし、転校で積立金がなかったとか、なにか事情があったのかもしれない。むっちゃんはその後またどこかに引っ越して、中学校以降は離れてしまったので、真相は知る由もないけれど。
こうして私は村の中学にぼっち進学したので、今現在つながっている幼なじみといえる友達がいないのである。
むっちゃん、そしてここに出てきた幼なじみのみんな、元気にしていますか?
私はぼちぼち元気です。
私達はもういい大人なので、今なら過去のしがらみなんかもなく、はじめましてのような感覚で話せるかもしれないし、多様性を認め合えるかもしれない。
むっちゃんのランドセルは時代を先取りしていたことを認めざるを得ないし、事実私の娘は水色のランドセルで今年から小学校に通っているのだから。