結婚をしてより強く男女格差を感じた話
結婚というのは愛する人と生涯を支え合えるパートナーになる ということだと思っていたが、
実際は夫婦という組織のサブポジション“2番手”に就くということだった。
何か大きな契約をする時
「では、旦那様こちらにサインお願いします」
必ず男である夫が任される
食事の席でも上座に座るのは男、名刺を渡されるのも男
いくら稼ぎが同じでも、妻の方が年上だろうと、男と女という性別の違いがある以上私は永遠に2番手なのだ。
百瀬朝26歳会社員
同じ会社の後輩岩佐匠との結婚を控えている。
匠から結婚しようと言われた時は本当に嬉しかった
新しい名字は彼の名字か... 岩佐朝なんか語呂が悪いな
結婚するってことは子供産まなきゃなのか...不安だな
これらのことをなんの違和感もなく自然に考えていた
小さな頃から無意識に人は女は弱く男に守られる存在などと意識付いている
結婚をしたら夫婦は同じ姓を名乗るという法律では夫か妻いずれかの姓に統一するとあるのに改姓する約95%は女性だ。
小さい時母や周りの女性に「結婚する前の名字なんだったの?」と聞いていたし女の子はいずれ結婚して名前が変わるそして子供を産み育てるものという潜在意識が根強くある。
実際結婚を周りに報告するとなんの違和感も抱かずに「おめでとう!名字は何になるの?」と聞かれたし匠の家族も匠自身も自分の名字を変える選択肢があることさえ考えてもいなかっただろう。
現代の日本では未だ男女格差を無くそうという動きがある
実際社会に出て確かに女性というだけで理不尽なことがある世の中だが、そこまで強く思ったことがなかった。
実害があまりなかった為意識していなかったのだと思う。
ただ結婚となると26年間共に生きてきた百瀬という名字が消えてしまう
それが私にはとても大きなことだった。
匠にももちろん相談した、否定されたりはしなかったが自分の名字が変わるということを真剣に考えているようには見えなかった。
極め付けは母に「名字を変えたくないんだけど...」と相談した
「女の子が変えるのが一般的だからそうしなさい」と言われ折れる事にした。
匠の両親とは入籍時期のことで意見がすれ違い少しだけ揉めてしまったことがあり母も岩佐家と話し合いになるようなことを避けたかったのだと思う。
結婚後も変わらず旧姓になった百瀬で働いていたが、「百瀬さん、こっちは本社に出すから新姓で書いて、あとこれも勤怠管理に関係してるから新姓でお願い」
結局のところ私はもう岩佐であって百瀬ではない
改姓手続きでもそうだ、
子供の頃からの父がお年玉やお祝い金を貯めてくれていた通帳
「百瀬のまま使うことって..できないですよね」
「はい、この名前の人はもう存在しないので」
26年間生きてきた私“百瀬朝”はもう存在しない
強く突きつけられた。
大好きな父と母可愛がってくれた祖父母
家族という繋がりが切れてしまったような気がした
そして苦手意識のある義父母とその家族と同じ名前になったということが悔しかった。
匠にその気持ちを話しても
「いわさあさ… さあさあしてるね」と語呂の悪くなった名前を面白半分でからかうだけ
この複雑な気持ちは名前が変わらない男には分からないか、と諦めた
そもそも明治時代の家制度の名残りなのだ。
家制度そのものは廃止されたが同じ名字を名乗らなければならないというルールは形を変えた家制度そのものだ
そしてそれを当たり前と意識し違和感を感じない
それが現代の日本だ
多くの家族が無意識のうちに家父長制家族となっている。
男は外で働き、女は家で家事育児をする
よくある話だ。
周りから「ちゃんと家事してる?」「料理できるようになった?」など家事のことは当たり前のように女である私が聞かれる
男は家事をすると手伝ってくれるいい旦那さんになるようだ
友人と遊んでいて夕飯を食べに行くことになった時も
「旦那さん大丈夫?」と聞かれた
女である私が夕飯も用意せず家を空けると男である夫は心配される。
反対に男である夫は飲み会でどれだけ帰りが遅くなっても周りから“奥さん”の一言も出てこないと言っていた。
ある日匠が電話で
「この間嫁が〜」と話していた
結婚前から夫の呼び名の一種にご主人があることに違和感があり、複数ある夫婦の呼び名について調べたことがある。
本来“嫁”というのは、夫の家族の一員になった女性を指す呼び名
私は匠と家族になったが岩佐家の家族になったわけではない。
私にとって結婚とは匠と作った家族の2番手になること
そして百瀬朝が死ぬことだった。
結婚を考えている人はよく考えてみてほしい
夫婦の立場はちゃんと平等か
それは他人から見ても同じか
男性だから、女性だからで片付けられていないか
私のように結婚してからモヤモヤが募っても解決方法が離婚しかない
結婚という制度に嫌気がさしても
夫に問題がない以上離婚という選択肢には至らない。
夫婦別姓が認められればこのモヤモヤも晴れただろう。
しかし現在日本では認められていない
「もし子供が産まれたら両親どちらかとしか同じ名字になれないなんて可哀想」
こんな意見を見たことがある
両親の名字が違う家庭もあるということが普通になればいいだけの話だ
同性婚だって同じだ
男女、男同士、女同士の夫婦
そもそも性別に囚われなければいいだけ
少子化が進むと懸念されているが
男女の夫婦みんながみんな子供を望んでいる訳ではないし、
そもそも少子化は制度や補助がしっかりしないのが問題だと思う。
人間というのはいかに変化を恐れているかがよくわかった。
名前は一生だ
当たり前のように夫の姓を選ぶのではなく、
結婚前に夫の姓になるか妻の姓になるか
一度真剣に話し合ってみて欲しい。
あとがき
この作品は名字が変わることの重大さそして未だ無意識に残る家制度について書きました。
実話を織り交ぜたフィクションです
キャラクターの名前を設定している理由は新姓になり自分の名前に違和感が出てくることを伝えたかった為です。
名字の最後の文字と名前の母音が全て“あ”になるように設定しました。