インナージャーニー
楽しいけれど、面白くない。
現状の生活に不満はないけれど、全力疾走120点が難しい。
検索するとクォーターライフクライシスという名前がついていて、打開方法などがつらつらと書いてある。そのほとんどは結婚やキャリアのことについてであり、あまり今の僕に当てはまる言葉はない。
客観的に見れば楽しそうな出来事もたくさんあるし、実際にその時は本当に楽しい。それに比べて、面白いというのは主観的で自分の気の持ちようなのでコントロールしづらい。
もちろん若い方が目新しいことが多くて没頭しがちであるのに比べたら、今の方が一通り経験した後なので落ち着いていると思う。ただ、それにしては落ち着いていないというか切り替えが出来ていないように感じる。
では、なにか新しい目標を作ったり環境を変えたりしたらいいじゃないかと思う。新しい目標についてはそう思う一方であまりピンと来るものが思いつかない。これは時間が経てばなにか思いつくかもしれないので、いい結果が出てくるまで放っておきたい。新しい目標を無理に探しに行くと飲まれる気がするのだ。
環境を変えることについては、自分でもかなり否定的に思う。サンクコストは捨てて考えるべきだけれど、今のこの状況は過去の自分の考えの積み重ねであり大切なものでもある。そしてなんといってももう一度フラットに考えてもこの人生になる気がしてならない。
今年に入ってからなんとなくそんな思いをゆるっと抱えていた。
特に困ることもないし、漠然とそもそも今までが忙しすぎたのだと思うことで暫定解を出していた。実際、夜の海岸沿いで友人と話した時もそんなことを話していた気がする。
しかしずっとそんなでも文字通り面白くないので、きちんと考えようと思ってゆっくりと歩いて近所のカフェに来た。
一人で空を見てandymoriを聴きながら雑文を書いているまさに今、ふとこんな時間が少なくなっていたなと思った。
少ない荷物でひとり、思いつくままに行動する。広い空の下で遠くを眺める。
最近は家にいる時間が増えた気がするし、予定を立てて動くことも多い気がする。それが悪いわけではないけれど、そればかりだったら気も滅入るだろう。もうかれこれ15年くらい、定期的にひとりで散歩したり適当に時間を過ごしていたのだから、そこに立ち返るべきだったんだと思う。
ひとりでぼーっとして、好きな場所で好きな本を読んで、広い空の下で風に吹かれて。大人になった分、全力疾走だけではなくゆっくりとジョギングすることを楽しんで、たまにはしゃいで。目の前のことに興味を持って、自分から面白いと思うことをするだけで。