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伝えたくない

何かを変えたいとき。

時間の使い方を変えるか、付き合う人を変えるか、

それとも場所を変えるか。

そんなことを聞いたことがある。

事実、大学受験の時には、部活や文化祭でサッカーやクラスメイトに向き合っていた膨大な時間のうち、90%をそのまま一人で勉強する時間へと変えた。
大学に入ってからも、意図的ではないにしろ、流れを身を任せずに大学外との人と付き合ったことで風向きが変わったと思っている。

しかし、「場所」については未だに自分の意思で変えたことがない。
転勤族だったので、生まれた場所と育った場所は違うし、進学の際に元々の知り合いがいたことは大学が初めてだった。ずっと地元で暮らしている人に比べたら様々な土地を知っている方だとは思うし、不満はなにもない。

例えば、高知県から大学進学のために上京してきて、この春からは仕送りをされる側ではなくする側になる大学4年生がいるとする。その人にとって東京は挑戦の場所だろうし、そこで人間関係が基本的には完結している。そして田舎に帰ると、そこは自分が生まれ育った場所として温かく受け入れてくれるし、あるいは田舎特有の閉鎖的な人間関係を少し懐かしく感じるかもしれない。

その人と比べると、自分は場所の恩恵をまだ十分に受けてないような気がしてくる。もう少し広くいうと、祖国がいくつかある人や、海外経験が豊富な人など、様々な都市を生まれながらに知っているということは、それ自体に羨ましさを感じる。

もちろん隣の芝生は青く見えるということはよくあることで、今回の話も当てはまるのであろう。それなりの悩みも抱えていると思う。

それも踏まえた上で、場所は偉大な力を持つ。そう言える。

場所は固有の地形の上に成り立っていて、そこに歴史という名の物語が刻まれている。その歴史は人々の日常や決断、思い出が積み重なって独楽のように回り続ける。

場所について誰かに聞くと、象徴となるエピソードとともにその場所について語ってくれることが多い。そのエピソード自体は、別にその場所である必要はないのにも関わらず。

みんな、他愛のないエピソードーただ、それは自分にとっては重要な意味を持つーを特別なものにするために場所の力を借りているのだろうかと思う。

それは、利己的で、意味がないように見える。

でも、きっとそれは違う。
そういった思い出の1つ1つがその場所の歴史を動かしていて、最強のブロックチェーンのようにバラバラに、大切に、保管されている。

だから適切な畏敬の念を持った上で、場所の力を借りるべきだと思う。物理的にも精神的にも原点になってくれる。1人では抱えきれない思いを、肩代わりしてくれる。

いちいち日常の中で苦い思い出や決意を新たにしたことにメモリを使ってしまうと疲れる。それに、日常的に決意を新たにしていると、どんどん決意が使い古されてチープになってしまう。
少なくとも僕はそんなつまらないことはしたくない。

忘れようと思えば思うほど鮮明に思いだす苦い思い出や、誰にも伝えたくない決意は、その場所に持っていてもらうといい。

旅をしている間に、自分にとって特定の意味を持つ都市が増えることをとても楽しみにしている。それに、春から住む場所を変える予定なので、新天地にたくさん手助けをしてもらおうと思う。

おわり

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Haru
サポートしてもらたら、あとで恩返しに行きます。