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Bの抵抗

アウシュビッツは、存在した。

2019年2月12日、僕はポーランドのクラクフという都市からアウシュビッツ強制収容所を訪れた。一面に雪が積もり、風が強い日だった。

この目で見るまで、アウシュビッツ強制収容所が現実に存在していることを、上手に認識できていなかった。
もちろん、世界史選択でなかった僕でも学校で一通り習ったし、ある程度の教養として人並みには知識を持っている。

頭で理解していることと、体験・事実として知っていることは異なる。僕は、アウシュビッツ強制収容所について知らない。知ることはできない。僕にとって、アウシュビッツは距離も時間も離れすぎていた。

それでも、アウシュビッツ強制収容所は存在する。大量殺戮が行われた事実は存在し続ける。その大きな存在について、どうしたらいいのか。

訪問前夜に予習としてみたドキュメンタリーにはこうあった。

「涙を流すより、考えてほしい」

だから僕は考える。今の僕に考えられる範囲で。

まず、きっと誰一人としてこの惨事について全責任を取ることのできる人はいない。全責任を取るべき人や、実際に責任を取った人はいると思う。
しかし、その人たちが責任を取りきれるのか。

それは、一般的な話として、物事の原因の一部は、システムや社会環境、文化などの不可抗力が占めていることが殆どであると考えるからだ。
システムや文化、歴史は人々が作り上げている。それなのになぜ、不可抗力なのか。

それは、形成過程が複雑で、作り上げるというよりは出来上がってしまったという表現の方が近いからではないか。文化は文化を産む。その時の社会背景という比喩としての風向きから、物理的な意味としての風向きが簡単に物事の成り行きを変えてしまうこともある。
これはどうしようもなかったという言い訳ではなくて、責任が全員にあるということだと思う。個人の選択や判断が積み重なって風は生まれる。

過去には栄光や後悔があり、未来には希望や絶望がある。一方で、現在には正解も過ちもなく、選択しかない。

力のない僕にできることは、意思を持ち続けること。そして、自分の意思が何に由来するものなのか、それは誰にどう影響するのかを想像し続けて、考え続けて、選択をしていく。

それをするためには、今までのことについて学ぶ必要がある。それもかなり莫大な量のことについて。
しかし、責任のある選択をするためには、学ぶことは義務だと思った。

二度とこの歴史は繰り返してはいけない。
そうやって、多くのドキュメンタリーは締めくくられる。

では、僕に同じような状況が訪れたら、どうだっただろうか。僕はアウシュビッツについて知らないので、適切なシュミレーションはできない。
その上で、絶望的に自信がない。
実際に、アウシュビッツが教えてくれたのは、僕らと同じ人間がやってのけたことだということだった。きっと当時のドイツ軍には歴史に精通し、僕の何十倍も頭が回る人がいたことだと思う。それでも起こってしまった。

大小に関わらず、人は憎しみを持つ。それは復讐に繋がるような積極的なものかもしれないし、人に言われるまで気づかない潜在的なものもあるかもしれない。
それに加えて、人は他人の痛みを感じることができない。共感をすることはできる。しかし、どんな二者間でも、他人を完全に知ることはできない。

その憎しみは、人を突き動かす。
そして、自分の行動の結果を、他人の体に入って感じることはできない。

そんな弱さは誰にでもある。受け入れなければならない。

僕たちは歴史を学ぶ以上に、なにをしたらいいのか。

それは、考えること。言葉にすること。行動すること。
だからといって、講演会をする必要はないし、学生団体を立ち上げなくてもいい。その対象は、もっと日常に根ざしたものについて。


自分の弱さに対して、小さな抵抗を積み重ねていくこと。それは反転したBの文字のように。

積極的な行動だけではない。社会的弱者にオーバーリアクションをしない、周りに流された愛想笑いをしない、価値観を押し付けないなど、引き算としての行動もあるかもしれない。

とにかく、どんな形であったとしても小さな抵抗を続けるべきだと思う。
自分の影踏みをしているみたいに見えるかもしれないけれど。

おわり


あとがき

人や組織は難しい。人の数だけ主観があり、100%は理解できないのだから。

悲しいことに、きっと日本に帰ったらこの感情は薄まってしまう。だからこの文章を少し経った時に見返せるといい。その時には今より豊富な知識からもう少し多くのことを語りたい。


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Haru
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