ミュウツーの逆襲を見て”感情”になってしまった
・先日、『ミュウツーの逆襲』を人生で初めて見ました。
・一言で感想をまとめると、お、おもしれ~~~~~!!!に尽きますが、見ている間かなり様々な感情がせめぎあっていたので、整理するためにこのnoteを書いています。
・前知識が「誰が生んでくれと頼んだ」というセリフだけだったので、思春期を拗らせているのか…?という印象しかなかったのですが、それが申し訳なくなるぐらいよかったです。
・まずミュウツーがめちゃくちゃ賢い。明確に知識や知能が優れているのが随所で分かるようになっており、この生まれた瞬間からめちゃくちゃ賢いという通常の生物ではありえないちぐはぐさが、ミュウツーの思想や行動に説得力を増しているのが本作の一番面白いポイントだと思っています。
・例えば通常の人間であれば、まず赤ちゃんの状態で生まれ、そこから様々な経験を積み、言葉を学び、本を読み、知能が育って初めてアイデンティティの問題に遭遇することになります。
その問題を解決してくれるのはそこに至るまでの”経験”に他ならないのですが、ミュウツーの場合その”経験”が圧倒的に欠落しているんですね。
・コピーされたポケモンは強化されているものの経験まではコピーされません。自らの努力で言葉を話せるようになったニャースのコピーが言葉を話せない場面で気付く方が多いのではないでしょうか。
・要するにミュウツーは「ポケモンでも人間でもない」自分や、この世界に生まれたことへの答えの材料となる”経験”がない状態なのにも関わらず、その問いに到達する知能を持って生まれてしまっているということになります。
・コピーの仲間を作ることや、ミュウを殺して”本物”の存在になろうとする
のも”自らの存在を確立させたい”という願望からの行動ですが、そこで自らの強さを全面に持ち出してくるのも考えさせられる場面で、自分でなにかをした経験がないからこそ生まれ持った「強さ」という個性に固執するし、それしか自分を表すものがないという脆さを感じました。
・また、個人的にはミュウツーが自身の一連の行動に対して「復讐」という単語を選んでいることに知能の高さが伺われて興奮してしまいました。
ミュウツーは自らの問題が、コピーされたポケモンが”生物”としてぶつかるであろう問題のことを一切考えずに”道具”として強さと知能を高めただけのポケモンを作った人間の身勝手さによって起こっている問題であることを理解しているんですよね…。めちゃくちゃ賢いな…。
・それが「ポケモンは道具である」と主張するサカキがボスである赤緑の世界で起こっているというのもさすがで、赤緑の世界観だからこそのテーマだと思っています。
・世界に生きる意味を見出せず、自分の存在もあやふやだったミュウツーにとってサトシの存在――つまり”ポケモンを助ける人間”の存在が救いとなったことは確かで、ミュウツーが人間と共存し「生きていく」という選択を取れたことにも繋がっているのではないでしょうか。
・結局ミュウツーのアイデンティティの問題が作中で解決したのか?という問いには否であると思っているのですが、しかしかなり解決に近づく形での終幕だったと考えていて、「生きている」「生き続ける」というセリフがかなり印象に残っています。
・ポケモンというコンテンツを追い始めたのは本当に最近なので未知のことが多いのですが、ポケモン、噛めば噛むほど味わい深くてとても楽しいですね…。