引き寄せが運命のメッセージだった(完)〜15歳で命が危なかった話〜
またまた前回のお話の続きです
子どもの頃に、ずっと思い描いていた「北海道に引っ越したい」という想いが
忘れた頃に現実となり、そして引っ越したその年に交通事故にあい
それが結果として生まれつきの持病(障害?)を発見するきっかけとなりました。
今回は入院〜回復までを書いていきたいと思います。
1、生まれて初めての入院
高校の冬休みを利用して「念の為」と思って診てもらった、動かなくなった私の首。
それが、「転んだだけで即死」という思いがけない診断結果となり
腹をくくって入院することになりました。
ちょうど20年前の今頃(1月)の話です。
それまでの私は、まぁ身体が強いわけではないけれど、大きな病気もなく
いつも体調が悪いと言っては「大袈裟だ」と言われ
本当に大したことなく治る。みたいな人生を歩んできていました。
今回大きな病院で診てもらったのも、「今回ばかりはいやな予感がする」という思いもあった反面、でもいつものように「大袈裟だ」で終わるという思いもどこかにありました。
それが、すぐに手術をしないと命が危ないと言われて。
親戚みんなに心配される中、私は1月下旬に入院をすることになりました。
当初の入院想定期間は1ヶ月半。
首なのでリハビリというリハビリはありませんが、手術後普通の生活ができるようになるまでは、その位はかかるだろうという期間でした。
生まれて初めての入院。生まれて初めての手術。
普通、こういうのっておばあちゃんになってから経験するんじゃないのかな。
私まだ15さいなのに。
そんな絶望感と、でも生きる為には治さないといけないんだという冷静さが入り混じった中で、入院初日を迎えました。
私が住んでいるのは田舎で、札幌までは日帰りできない程遠い距離です。
(北海道って本当に広いので、、)
入院前日に家を出発し、札幌のホテルで母と一泊、次の日に入院することになりました。
入院なんて初めての事態で、緊張の連続。
初日に医師より、詳しい手術の方法などの話を聞くそうなのですが、
当時の私は未成年だった為、母が全ての説明を受けていました。
※もちろん本人である私も一緒に話を聞くこともできたのですが、私の性格上、初めての手術が怖くならないように、私のいないところで説明をして欲しいと、母がお願いしたそうです。(なので、ちゃんと説明されていたことを後から知りました)
手術は1月31日の予定。この日は確か1月20日とかその位だったと思います。
入院初日からすぐに検査だらけ。
骨なので、MRIやらCTやらいつもと違うレントゲンやら。
スパルタか!って位にずっと検査を受けていました。
一通りの検査を受けた頃、母は帰らなくてはいけない時間になり、
「手術当日に家族で来るからね」
そう言って、母は病院を後にして行きました。
初めて一人病院で食べる夜ご飯。
これから自分の身に何が起こるのか、怖くて怖くて。
張り裂けそうな気持ちになっていました。
そんな中、母が家に着いた頃に電話をかけてみました。
一人札幌に取り残され、自分がこれからどうなるのかもわからず、不安に押しつぶされそうな中かけた電話。
家族の声が温かすぎて、本当に帰りたいと思いました。
もういやだ。私も家に帰る。
20年経った今でも、この時の気持ちは忘れません。
本当に胸が張り裂けそうな程寂しくて、怖くて。
自分が今まで、いかに幸せに育てられてきたのか実感しました。
「すぐ会いに行くからね、がんばるんだよ」と励まされ、
「もうやるしかないんだ。」
と、腹を括って初日を終えたのでした。
2、寝たきりの生活
入院2日目。
何も聞かされていなかった私は、
「今日は器具を装着する為に全身麻酔しますからねー」と看護師さんに言われて、またびっくり。
「全身麻酔、、?」
何もわからず、点滴を入れて処置をされ
麻酔から目覚めたら
頭に変な器具が着いていました。笑
どうやら、首の骨を矯正する為に頭に器具を入れて(生々しい話ですみません、、)、骨を引っ張る為に装着したそうな(°_°)
器具を入れた初日はトイレとか普通に行った記憶があるのですが、
この器具で首をひっぱることで、予想通り骨が少し動いてきたそうで
私は手術が終わるまでの約10日間、寝たきりの生活になりました。
しかも、骨を矯正している為寝返りを打つことも厳禁です。
ずっと天井を向いたまま、10日程過ごさなくてはならないことに。
今振り返っても、こんなに1日を長く感じたと思うことは他にありません。
そんな中、看護師さんが自宅にある漫画を持ってきてくれたり、退屈しないようにと、話をしに来てくれたり。
高校生で一人入院している私に、病院の方々が本当に優しくしてくれて、身体は不自由だけど、「人ってこんなに温かいんだな」と感じながら、手術までの寝たきり生活を過ごしました。
3、手術当日
当初予定していた手術は、海外から器具の到着が間に合わないらしく1日延期になりました。
私は寝たきりで動けない為、看護師さんが家族にもその都度連絡を取ってくださり、本当に手厚く看護していただけたなと思います。
手術当日。
短期間で既に2回目の全身麻酔だった為、「次これね。」と割と余裕な気持ちで受け入れていました。笑
でもその反面。
考えたくないけど、万が一手術に失敗したら、私はもう二度と目が覚めることはないんだな。
そうなったら、どんな感じなんだろう。
自分がいなくなってしまったことに、自分で気づけるんだろうか。
そんなことを冷静に考えていました。
結果、手術は成功。
私は麻酔から覚める途中、両親からの呼びかけに無意識に返事をしたことで
意識が戻り、「あ、手術終わったんだ」と朦朧ながら思っていました。
4、手術後
手術後2、3日は熱もあり、まだ自由に動くには限度がありましたが、寝たきりから解放され、トイレに行く位は自由になっていました。
が、しかし。
人間て、たった10日筋肉を使わなくなるだけで歩けなくなるんです。
最初はトイレにいくだけで小鹿のようにプルプルしてしまい、歩行器を使わないとトイレにも行けない始末。
おまけに、首だけでなく腰も何だか痛い気がする、、、
何だろうと思い母に聞いてみると、
「腰の骨を首に移植してるからね」と一言。
・・・聞いてないし!!
私は手術の詳細を聞いていなかったので、後から全てを聞くことになるのですが。
今回の治療の概要としては
・首の骨を矯正する為に約1週間器具を付ける
→なるべく自然に矯正した後、手術決行
・腰の骨を首に移植し、ボルトで固定
・名医を他の病院から呼び執刀してもらう為、失敗する可能性は限りなく低いこと(札幌って割とレベルが高いそう)
・ただし、成功しても首が動く幅(可動域?)は健常者の半分になること
こんなことを言われていたそうです。
これを事前に聞いた上で挑むのは、まだ子どもだった私には荷が重いだろうと、何も話さないようにしてくれた母。
きっと母も辛かっただろうに、私のことを第一に考えてくれたことに本当に感謝しています。
入院中は色々な方がお見舞いに来てくれました。
札幌旅行も兼ねて、と地元からお見舞いに来てくれた親戚、祖父母。
札幌に引っ越していた地元の同級生数人。
そして、入院初日、手術当日、入院中、退院当日と、その都度来てくれた家族。
私のことを、こんなに心配してくれてる人がいる。
あれから20年経ち、改めて振り返ってみると
私ってこんなに人に守られてるんだな
と、思わずにはいられません。
でも毎日暮らしていると、ついつい忘れがち。
今回この回想記を書くことで、そんなことも思い出させてくれました。
5、退院まで
その後の経過は順調でした。
まだ15歳だったということもあり、劇的に回復。笑
しかも入院している理由が「骨」だったので、身体は元気。
そして整形外科しかない病院の為、総合病院と比べると若い方も多く入院していました。
少しずつ動けるようになり、何となく話をするようになったお姉さん世代の方々と、気づけば夜な夜なトランプをするようになっていました。笑
最初はあんなにどん底に感じていた入院生活も、気づけば都に。笑
札幌の病院でしたが、北海道中から患者さんが集まるような病院だった為
普通に過ごしていたら会わなかったであろう方々と出会えて、入院生活もポジティブに楽しく過ごすことができました。
そして、当初は3月中旬までかかると予想されていた入院生活は、医師のお墨付きも頂き、3月上旬には退院できることに。
両親も、まさかそんなに早く退院できるとは思っていなかったようで
慌てて交通機関のチケットを手配し、迎えに来てくれました。
そして退院の日。
仲良くなった方々と写真を撮り、別れを惜しみ札幌を後にしました。
6、今だから思うこと
最初は本当に辛かった手術と入院。
「何で私だけこんな辛い思いをしないといけないんだろう」って何度も思いました。
当然今でも首と腰に傷があり、これは一生消えることはありません。
でも、私の入院生活は本当に充実していました。
(語弊があるかもしれませんが、、本当に手術後は自分なりに楽しく入院生活を満喫していました)
同じ日々を楽しむという姿勢で過ごすのか、辛いという姿勢で過ごすのか。
きっと若かった私は、単純な性格ということもあり、「楽しいことないかな」というフィルターで日々過ごしていたように感じます。
もしあの時北海道に引っ越していなかったとしたら、交通事故にあうこともなく、首の異常に気づけず、大人になってからもっと大変なことになっていたであろう、ということ。(たらればですが、、)
そんなことを考えると、幼い頃にずっと北海道に引っ越したかった思いは、
生きるためのガイドだったのかもしれません。
あなたはまだ生きなくちゃいけない。
そうやって、ご先祖さまとか守護霊に守られているような感覚になります。
特にスピリチュアルにハマっているとか、信者とかそういう訳ではないんですが、なんだか不思議とそんな感覚になるんです。
私は、幼い頃に思い描いていた「北海道に引っ越したい」という思いを引き寄せたことが、私の運命でもあったんじゃないかなと思っています。
そして20年経った今でも、あの時の壮絶なことなんて半分忘れるくらいに
私は元気です。
「健常者の半分しか首が動かない」なんて言われても、
別に不便ないし。位にしか思っていません。
髪もアップでお団子とか普通にやります。傷がもう自分にとっては普通なので、見えてもあんまり気にしてないです。笑
そんな中で、私が感じたこと。
これが欲しい!あれが欲しい!
って、そのことに執着していると
願いは叶いづらくなるってよく言いますが
自分の人生に必要なことであれば、絶対に手に入る
今ならそう断言できます。
20年も前の記憶をたどっているのに、割と鮮明に思い出せるこの記憶。
この経験から何を得たのか自分でも振り返りたくなり、今回自伝的に書いてみました。
人の悩みはつきません。私もいっつもいろんなことに悩んでいます。
でも。
人生の中で本当に必要なことは絶対に手に入るから、少し力を抜いてみませんか?
力を抜いてみると、きっと見えてくるものがあるはずだから。
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