デヤン・サビチェビッチ、悪魔の左足

衝撃の決勝戦

1993-94年シーズンのヨーロッパチャンピオンズリーグ(UEFAチャンピオンズリーグの前身)決勝。ACミランとヨハン・クライフ率いるバルセロナの顔合わせとなったこの大一番で主役となったのは、当時10番を背負っていたユーゴ出身のデヤン・サビチェビッチだった。巧みなドリブルでピッチを切り裂き、終始バルセロナの守備陣を翻弄。前半22分にダニエレ・マッサーロのゴールをアシストすると、47分には自身も右サイドの深いところからループシュートを放り込み、試合を決定づけた (*1,2)。「悪魔の左足」と称された天才レフティーが、そのポテンシャルを遺憾無く発揮した試合だったと言えるだろう。

ミラノでの活躍

98年に当時ヨーロッパ屈指の強豪だったレッドスターに加入し、チャンピオンズカップ優勝も経験したサビチェビッチ。その後はイタリアのACミランへ移籍し、スーパーカップ優勝をはじめとして多くのタイトル獲得に貢献した。当時のACミランにはデサイーやドナドーニ、ボバンなどの名だたるプレイヤーが所属していたが、チームの10番を背負ったのはサビチェビッチだった。ミランでの通算成績は144試合34ゴールとなっており (*2)、どちらかといえば記録よりも「記憶」に残る選手であったようだ。

プレースタイル

足元にボールが吸い付いているかのような切れ味鋭いドリブルを得意としており、イタリア語でIl Genio(天才)の異名をとった。このプレイ集では彼のボールタッチのうまさ、ディフェンダーとの絶妙な間合いの取り方や豪快なシュートなどを見ることができる。独力で状況を打開できる能力を備えている一方で、球離れの悪さや好不調の波の激しさが目立つ選手でもあった。まさに、「ファンタジスタ」と呼ぶにふさわしいプレイヤーだった。

黄金世代の一人として

80年代から90年代初頭にかけての旧ユーゴスラビア代表には、プロシネチキや”ピクシー”ストイコビッチ、ミヤトビッチやシューケルをはじめとする多くのタレントが前線に揃っていた。FIFAやウイニングイレブンであれば2列目に3枚ないし4枚のスターを揃えたくなるところだが、当時のイビチャ・オシム監督は違った。「エクストラ・キッカー(一人でゲームを支配し、プレースキックを決められる選手)は2人まで」という原則の元、守備を軽んじてチームのバランスを崩すことを良しとしなかったのだ。オシムが好んで起用したのはドラガン・ストイコビッチであり、同じタイプのサビチェビッチはベンチを温めることが多かった(*4)。それほどまでに攻撃陣のタレントは充実していたのだ 。そんなユーゴスラビア代表だが、91年に勃発した内戦によりチームは事実上解体され、多くの選手はそれぞれの国に分かれてプレーすることを余儀なくされた。サビチェビッチは後に代表監督を経験し、現在はモンテネグロサッカー協会の会長を勤めている。(*1)

Fudbalski Savez Crne Gore(モンテネグロサッカー協会) Official Page | Management

追記
今のウイイレには昔の選手が収録されているそうですが、実はサビチェビッチも過去作に登場しています。このころはまだクラシック選手が偽名で表記されているため、「サルテリッチ」という名前になっていますが。

参考

1. デヤン・サビチェビッチ - Wikipedia

2.Dejan Savićević: statistiche e partite | AC Milan

3. 1994 UEFA Champions League Final - Wikipedia

4. 木村元彦 『オシムの言葉』 集英社文庫、2012年



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