見出し画像

すずちゃん ep.3

 ――あなたのことが好きです。
 起き上がってからもまだぼうっとしていた。だんだん覚醒してくると、夢見ていたシーンがありありと甦ってきた。わたしは夢の中で、告白していた。誰に、だなんてそんな野暮な。恥ずかしさがこみ上げてくる。映画に行けるだけで、こうまで舞い上がっていたとは。
 時間はたっぷりあったけど、支度を開始する。外は生憎の雨だった。空にはほんのり明るみが差しているから、しばらくしたら晴れてくれるかもしれない。太陽が顔を覗かせることを願う。
 映画の思い出を辿る。わたしはジブリ作品が好きで、新作が公開されるたびに映画館に足を運んでいる。その中でもいろんな意味で深く印象に残ったのは、『千と千尋の神隠し』だろう。まだ小学生だったから、親に連れられて、弟と一緒に観に行った。子どもの分からなさというものは恐ろしくって、作品内でなんらかの意味合いがあって描かれている場面も、すべて日常生活の延長線上だと考えてしまう。お話の世界で完結していると、ともすれば割り切れないのだ。
『千と~』では、序盤で欲望に忠実な千尋の両親は豚に変わる。ファンタジー作品であるから、驚きはあっても、物語に起承転結の「起」をもたらす一場面に過ぎないのだ。それでも、わたしはショックだった。あんな風に好きなものばかりにがっついていたら、わたしも豚に変えられてしまうのだろうか。映画館を出てからしばらく、食欲が湧いてこなかった。
 ただ、子どもはかわいいもので、一晩ぐっすり眠ったら嫌なことはすぐに遠くなる。翌朝からしっかり食べた。
 映画の思い出を辿りながら、気づいたら待ち合わせの場所まで来ていた。約束の時間より五分早い――だけど、絵羽くんはもう改札前の柱に寄りかかって、待っていた。たくさんの人が行き交う池袋駅の地下のコンコースで、自前のカバーをかけた文庫本に目を落としている彼はその空間の違和感で、そこだけ浮かび上がっているみたいに見えた。
 近づいていってすぐ前で立ち止まると、パッと顔を上げた。
「こんにちは」
「こんにちは。お待たせしました」
「いや、まだ四ページしか読めてないから」
 喋りながら、二人歩き出す。
「四ページって、見開き?」
「いいや」
「それなら、あんまり待たせなかったね」
「大きい映画館に観に行くの、かなり久しぶりかも。いつも、大学の近くで、少し前の作品を二本立てで観てるから」
「ああ、そうなんだ。あそこ、まだ行ったことないんだよね。よく前を通るんだけど」
 今日の絵羽くんはチェック柄のシャツにジャケットを羽織っている、いつもの絵羽くんだった。控えめな服装が彼には一番似合っていると思うから、その方が嬉しい。わたしもいつもと同じを心がけたつもりなのだけど、化粧が濃くなっていないかとか、彼と向き合っている傍から気がかりになる。そういう心配の種は尽きないもの。
 映画館はそれほど混んでいなかった。加えて、「ボヴァリー夫人」を見る人は輪をかけて少なく、客席には空席が目立った。米国のけっこう有名な女優が出演しているというのに、こんなものなのか。
 しかし、映画はすごくよかった。原作に忠実だし、俳優たちの演技も胸を打った。ほんの事故みたいな経緯で観に来ることになった映画だが、こうして大きなスクリーンで鑑賞できて満足。
 その感想は絵羽くんも同じだったようで、映画館を出た後、近くの喫茶店でコーヒーを飲みつつ、互いの思うところを語り合った。何気ない日常の一場面だと、人は言うかもしれない。だけどわたしにとって、彼と二人でいる時間は特別で、ほかのどんなときよりも幸せを感じられる瞬間だった。
 日暮れどきになって、最初に待ち合わせした改札前で別れてから、わたしは胸の奥で呟いた。これは、デートと言ってもいいのかな。
 誰かを好きになる感情の、その只中にいる。


 そこから一気に交際へ、とトントン拍子に運んでくれたら、どんなにかわたしは果報者か知れない。初めて内からの衝動に背中を押され、慣れないことをしている自覚はあったので、それから半ば途方に暮れてしまった。どうしたら交際に至る雰囲気を醸し出せるのかしら。このままでは、ただ同期としての仲が深まったに過ぎない。
 とりあえず、またなにか口実を見つけて、二人でお出かけできないかと考えた。日々の授業やアルバイトの忙しさに追われ、なかなか妙案は思い浮かばなかった。たぶん、こういうことは考え出したらもういけないのだ。映画のときみたく、アクションを起こしてからその綻びを繕っていけば、案外なんとかなる。そんな風に悟ってみても、やはり一歩踏み込むのは勇気が要る。少なくとも今は約束されているなんでもない日常を失いたくないから。
 十一月の頭、大学の文化祭が開催された。全国的にも名の知れた、規模の大きい大学だけあって、想像した以上の慌しさで、とにかくたくさんの人に揉まれた。子どもからお年寄りまで、ほんとうによくこれだけ足を運んでくれるものだと思う。
 児童文学研究会が文化祭においてなにをするのかと明かすと、メインとなるのは夏休みにかけて製作した冊子の販売だ。舞台設定を共有したアンソロジーと子ども向け作品集は、文芸パートが手がけたもの。わたしと絵羽くんは、アンソロジーに短編を寄稿している。それから、評論集。今年は荻原規子の「勾玉」シリーズを扱っている。『空色勾玉』『白鳥異伝』『薄紅天女』という、日本神話をモチーフにした三部作で、わたしも中学時代に繰り返し読んだ大好きなシリーズだ。参加したい気持ちもなくはなかったけれど、アンソロジーの執筆と並行してやれないだろうと諦めた。ただ、一人のファンとして、評論集の完成を楽しみにしていた。こちらにはおすずたち、評論パートの人たちが携わっている。
 ほかに詩パートの詩集もある。また、これらの冊子の表紙や挿絵を手がけてくれたのが絵パートの人たち。自分の書いたものに挿絵をつけてもらえるなんて、夢みたいだった。こうして、それぞれの持ち味を生かしてできた冊子たちを、自分たちが売り子になって販売する。
 それからもう一つ、小さい子どものために絵本や紙芝居の読み聞かせを行う。もともと、読み聞かせパートの活動が毎週土曜日にあって、最寄りの区立図書館にパート員たちが赴いていた。文化祭にも近隣から思っている以上にたくさんの子供連れが来てくれるため、普段のメンバーだけでは手が足りない。それで、文化祭で読み聞かせデビューをする人が少なくないのだ。わたしもその一人。
 幼い時分に読み聞かせられた経験はおそらくあるだろうけど、記憶として残っているわけはなく。まして、読み聞かせる経験は皆無だった。声の出し方、間の取り方、絵本の持ち方――と、手とり足とり教えてもらい、当日は冷や汗をかくくらい緊張した。子どもは素直過ぎるから、面白くなかったり下手くそだったりすると、すぐにあらぬ方を向いてしまう。これは鍛えられそうだなと、しみじみ感じた。
 文化祭の二日目のお昼過ぎ、冊子販売も読み聞かせもシフトに入っていない時間帯がおすずと被り、二人でお祭りを満喫しようとなった。
「どこに行く? なにか食べようか」
「わたし、着物を着たいの。ここで着つけてもらえるみたいよ」
 おすずがパンフレットの「きもの文化研究会」を指し示して、そう提案した。なんでも、無料で着物を着られて、一時間半、好きに出歩いていいという。素敵な試みだ。わたしは即座に頷いた。「いいね、行きましょう」
 キャンパス内は大変な賑わいで、わたしたちは自然、手を繋いで歩き出した。はぐれないように。人と人の間を縫うみたいに歩く。高校の頃も文化祭はけっこうな人出で面食らったものだけど、これに比べたらたいしたことなかった。普段閉じられている「学校」という空間に興味を抱いている人たちが多い、というわけなのだろうか。
 しかし、この喧騒は嫌いじゃない。いつも何気ない日常を送っている場所が非日常と化している状況に、わたしの心は弾んでいた。それが掌越しに伝わったのではないだろうけれど、道の途中でおすずが一度振り返って、「ほんとに、お祭りって感じよね」と美しい微苦笑を浮かべた。
 目的の部屋まで辿り着き、しばらく列に並んで待ってから、ようやく着つけてもらえた。「きもの文化研究会」の女性サークル員が感嘆するような手際のよさで華やかな柄の着物を纏わせてくれ、二人揃って教室から出ると、まるでタイムスリップでもしてきた思いがした。当然だけど、周囲の視線を集める。
 わたしは田舎の百姓の娘、くらいの見映えだったと思うが、傍らのおすずは鮮やかな桜の花を散らした白い着物がとても似合った。スタイルがよくて出るところが出ているから、些細な動作にまで色気が滲み出ている。長い髪を自分でまとめると、もう完璧だった。一緒に歩くのが嫌になってしまう。
「すずちゃん、かわいらしい。朝ドラのヒロインみたい」
 だのにおすずは、褒めてくれる。
「おすずこそ、ほんとうに似合ってるよ……色っぽくて」
「ありがとう。ねえ、抹茶でも飲まない。ここに来る途中で喫茶コーナー見つけたのよ」
 言うが早いか、おすずはもう一歩踏み出している。わたしは足元がおぼつかないほどだったけど、必死で彼女について行った。これだとわたしがおすずに侍っているみたいだ――悪くないかもしれない。
 賑わいは相変わらずだったけれど、着物で歩いていると道を開けてもらえるような気がした。もしかしたら、おすずが発する姫の貫禄に、みんな自ずと道を譲ってあげたくなってしまったのかもしれない。わたしはじろじろ見られるのが耐えられなくて、行きとは別な理由でおすずの手を掴んでいた。
 ふらりと一つの棟に入り、入口すぐの辺りで確かに喫茶コーナーはあった。目敏く、よく見つけていたものだ。言っていたとおり温かい抹茶を頼んで、空いている席に座って喉を潤した。改めて落ち着いて自分の着物を見返すと、おすずのそれに負けないくらい、綺麗な模様で嬉しくなった。全体的に控えめな黄色で、左の胸の方に菊があしらわれている。見た目ががらりと変わると、心まで華やいでくる。
「気に入ったみたいね」
 わたしがしげしげと観察しているものだから、おすずはわたしの思いを察知したらしい。
「うん、素敵ね。着物姿になると、こう、背筋が自然とまっすぐになるね」
「そうね。それだけ、日頃は背を丸めて生きてるのだって、分かってしまうけど」
 思えば、おすずはいつも背凭れに身を委ねないで、すらりとしているイメージがある。だから、今聞いた彼女の言葉は少し意外な感がした。
 外の通りを大勢の人々が流れてゆく。顔ぶれや表情は十人十色で、まるで水族館みたいだ。ぼんやりと見つめていると、自分がどうして今ここにいるのか曖昧になる。このままときが止まればいいのに。当たり前に社会へ出て、当たり前に仕事に追われる将来なんていらない。ここに在ることが永遠だったらいい。
「……おすずは、この本、読み終わるの惜しいな、みたいな気持ちになったことある?」
 そんなことを考えていたからか、気づいたらそんな問いを投げかけていた。おすずはちょっと瞬きをしてから、「あまりにも面白い作品で、ってこと?」と質問の意を確かめた。
「そう。あまりにも面白くて、その世界に没入してしまって、このまま読んでたら終わってしまう、そんなの嫌だ、みたいな」
 訥々と説明してゆく。
「あるよ」おすずは顔を綻ばせた。「何回か」
「なんて作品?」
「そうね――ブロンテの『嵐が丘』とか。ふとした折に読み返すのだけど、初めて手に取ったときはもう夢中になった。あとは、オースティンの『高慢と偏見』……子供の頃なら、バーネットの『小公女』、そんなところかしら」
 一つひとつタイトルを挙げてゆくうちに、おすずの瞳は輝きを帯びていった。きっと自分にとって大切な作品で、いつでも読んでいたときに帰れるのだろう。
「すずちゃんは?」
「わたしは、吉屋信子の『花物語』か、有吉佐和子の『芝桜』」
「『芝桜』ってどんな内容のもの?」
「戦前の花柳界……芸者さんたちの話なんだけど」
 言ってみてから、気がついた。着物を着てこうして並んでいるわたしたちは、『芝桜』の正子と蔦代のようではないか。もちろん、シンプルな着物だから芸者には程遠いし、自分に都合のよすぎる想像だ。
「へえ、面白そう。読んでみたいわ。貸してくれない?」内容についてかいつまんで伝えると、おすずは早速に興味を持ってくれた。
「いいよ。代わりに、『嵐が丘』を貸してもらえない?」
 おすずのさっきの目の輝きを目の当たりにしたら、聞いた傍から気になっていた。おすずも快く頷く。
 壁掛けの時計にちらりと目をやって、時間を確かめた。まだゆっくりしていられるくらい、時間はある。どこか行ってみたいところはないかと思い巡らしていると、「ねえ、この格好のまま、教室へ戻らない?」とおすずが悪戯っぽい笑みとともに囁いた。つまり、見せびらかしに行こう、という魂胆なのだ。
 わたしはちょっとためらった。おすずほどの器量よしじゃないのだから、人に見せつけて、感想をもらいたいとは思わない。それに、戻ったらそこには絵羽くんもいるはずだ。わたし一人だったらまだしも、おすずと比較されてしまうのは堪らない。
 だけど、躊躇する心がありながらも、「うん、いいよ」と頷いた。反対する上手い理由が考えつかなかったからだ。すっくと立ち上がり、また二人で歩き出した。今のわたしはどういう風に映るだろう。絵羽くんに見てほしいような、でもやっぱり見られたくないような――複雑な感情を抱えている。
 児童文学研究会が文化祭のために借りた教室は、法学部棟の一階にある。子ども連れだとベビーカーに乗せて来る場合もあるので、正門から近く、入るまでに坂や階段のないそこを選んだのだった。法学部棟は、普段わたしたちが使っている文学部棟よりも格段に綺麗で、ただそこに羨ましさはあまりない。住めば都ではないけれど、慣れ親しんでいる場所が一番かわいくなるもの。
 法学部棟に戻ると、教室内はやや落ち着いている時間帯だった。もう文化祭最終日、それも残り数時間でお開きとなるため、冊子はだいぶはけていた。いつも各パートチーフが刷る数を苦慮するそうだが、ちゃんといい感じで売れている。よかった。
 顔を覗かせると、それに気づいた何人かのサークル員たちが廊下まで飛んできた。着物姿になって帰ってきたわたしたちを、なんやかやと褒めそやしてくれる。わたしはかなり得意になった。
「おお、着物だ。似合うな」
 背後で耳慣れた声がする。そっとブリキ人形のようなぎこちなさで振り返ると、絵羽くんが眩しいものでも見るみたいに目を細めていて、その視線の先にはおすずがいた。次いで、絵羽くんはわたしに気づく。「三枝さんも着てる。かわいいね」
 おすずより後に言われてしまったけれど、絵羽くんにかわいい、って言ってもらえたら、もうそれだけで十分だった。見せびらかしに来て正解だった。照れたように笑い、俯く。
 どんなに愛おしい時間も永遠には続かない。だけど、思い出すことはできる。わたしは今でもこの瞬間を思って、甘酸っぱい感情に浸されてしまうのだ。どんなにか一途なのだろう。

いいなと思ったら応援しよう!