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光(十四)

 休み時間がもう少しで終わりそうだったから、自分の教室に戻った。美波か緋菜がいないかと探すと、美波が自分の席に座っていた。そっと近寄り、ビデオカメラを構えたまま、肩を叩く。
「わ、さくらか。どうしたの、それ」
 目を見開いているけれど、ちゃっかりピースしている。個人的な撮影だと思っているのだろう――いや、まあかなり個人的なものなのだけど。
「アイドル部が創部してから一年。そこで、スペシャルインタビューやっちゃいます、みたいな」
「おー、それはいいアイデアね。次はわたしの番、ってわけね」
「最初の質問。あなたはどうしてスクールアイドルになろうと思ったんですか?」
 美波の沈黙は長かった。どう答えようか迷っているようだった。
「――わたし、そもそもの動機は、好きな人に振り向いてもらいたくて始めたの。わたしにだって、かわいいところがあるのを見せたくて」
 まったく予想していない返答だった。わたしはカメラを外し、自分の目で彼女の表情を確かめた。
 美波は苦笑いを浮かべて、「そうなのよ」と呟く。
「ほんとうに? というか、今の撮ってしまって平気? あとで、メンバー全員で見ることになってるけど」
「うん、もう卒業だし。誰かは言うつもりはないけど。――さくらにも」
 わたしはまたカメラを構えた。
 美波が続ける。
「でも、それだけじゃ、こんなに長く続けられなかった。活動に参加していくうちに、アイドルってほんとに楽しいなって感じられた。動機はなんであれ、わたしはスクールアイドルになる運命だったのだと思う」
「――うん。では、活動で特に印象に残っていることは?」
「そうね……。二学期の最後にやったライブかしら。九人で曲を披露して、ここまで来たんだって、感無量だった」
「最後に、ファンのみなさんに一言」
「あら――。高校生活最後の一年で最高の思い出が作れました。卒業しても、みなさんの記憶に残っていてくれたら嬉しいです」
 さすが。録画を中断した。
 改めて、美波をじっと見つめる。あまりに突然の告白で、どんな言葉をかければいいのか分からない。
 美波はうっすらと笑みを浮かべているだけ。「ほら、緋菜のところにもいってきたら? 休み時間、終わっちゃうわよ」

 うん、と小さく頷く。ほんとうに、詳しく語るつもりはないのだろう。

 女子校で生活をしていると、恋愛というものが分からなくなる。付き合っている人も周囲にはいるのかもしれないが、そもそもあんまり話題に上らない。その分、趣味に没頭する傾向にある。わたしたちもそう。
 誰かに恋したことはない。その感情こそ興味深い。
 なんて思いを巡らせながら、緋菜に歩み寄っていく。緋菜は一人、本を読み耽っていた。
「緋菜」
 急に視界に割り込むと、彼女はびっくりして、続けて咳をした。かわいらしい。
「な、何? ……それは、ビデオカメラ?」
「そっ。今、アイドル部のメンバー全員にインタビューして回っていて。あ、別に外に流出させないよ。わたしが個人的に持っていたいだけ」
「う、うん」
「というわけで、質問いきますよー。高遠緋菜さん、あなたがスクールアイドルになった理由を教えてください」
「理由――。わたしは、アイドルが大好きで、憧れていました。でも、好きだからこそ、私には無理だなって諦めてました。そうしたら、みんなが誘ってくれて。ほんとうに、貴重なチャンスをもえたなって、そう思います」
 俯きがちに訥々と語る彼女は、いい絵になる。
「活動で特に印象に残っていることは?」
「そうだなー。わたしの初舞台は、とても緊張して、よく憶えてる。まさか、いきなりセンターを任されるなんて、夢にも思わなかった」
 あのステージだけだ。紅亜ちゃんがセンターポジションに立たなかったのは。緋菜をセンターに据えるよう提案したのは、紅亜ちゃんだった。
「最後に、ファンのみなさんに一言」
「ファンなんてそんな……。でも、わたしはこの活動で、少しだけ自分に自信が持てるようになりました。卒業は寂しいけれど、大切な思い出とかけがえのない仲間たちを胸に、大学でもがんばります」
 緋菜も志望校への進学を決めている。わたしたちは活動と受験勉強の両立に苦労した二人だ。それもまた、いい思い出。
 お礼を言って、撮影を終えた。あとは二年生たちと、それから彩葉。放課後集まったときに撮らせてもらおう。

 屋上で今までに撮れたものを見返していた。隣で覗き込んでいる美帆ちゃんと千歳ちゃんが歓声を上げる。
「千歳、ちゃんとしたこと話してる」
「美帆も、ファンへの一言、ばっちし決まってるね」
 照れ臭いような笑顔を作る。こうしてカメラを向けると、本人たちの内側にある言葉を引き出せる。――美波も。
「…………」
「…………」
 美波のところで、二人は水を打ったように静かになった。冷やかしの言葉もない。ただ、衝撃を受けている。
 わたしもフォローする必要はないと思った。下手に探らない方がいい。
 当の美波はフェンスに背を預け、クールな表情で空を眺めていた。
「何それ、何それ」
 紅亜ちゃんが興味を示したけど、わたしはガードした。
「まだ見ちゃだめ。紅亜たちにも、これからインタビューするから」
 ほかの人のコメントを聞いてからでは、素直な答えを引き出せない。
「じゃあ、紅亜ちゃんから。奥で撮らせてもらうよ」
「おお、おもしろそう。ほんとうのアイドルみたい」
 彼女はスキップしながら付いてきた。みんなから少し距離を取り、改めてカメラに映す。
「ではでは、山崎紅亜さん。よろしくお願いします」
「お願いしまーす」
 にっこり笑顔。
「まず、スクールアイドルを始めようと思ったきっかけはなんですか?」
「はい。わたしは、一年前まで部活に入っていなくて、家のお手伝いに明け暮れてました。それが嫌だったわけじゃないけど、でも、こころのどこかで、このままでいいのかな、っていう思いはありました。
 そんなときに、舞子に誘われたんです。アイドルのイベントに行ってみないか、って。なんとはなしに行ったら、すごくて、圧倒されちゃったんです。わたしがやりたいのは、これじゃないかなと、直感的に思ったんです。それで始めました」
「今までの活動で、特に印象に残っていることは?」
「うーん。やっぱり、三人での初ライブかな。ほんとに下手くそだったかもしれないけど、全力でやれて、そうしたら入部希望者が来て。あのライブは、わたしたちの始まりです」
 それがきっかけで、千歳ちゃんと美帆ちゃんは突き動かされた。誰かが誰かを動かしていく、その連鎖の過程。
 紅亜ちゃんじゃなかったら、きっとこんな風に活動は広がらなかった。ほかの人ではだめなのだ。そんな気がする。
「最後に、ファンのみなさんに一言」
「春からもがんばります!」
 顔をぐっと近づけて、そう言い切った。超アップになってしまったけれど、彼女らしいから、このままでいいか。
「ありがとう、紅亜ちゃん。次は、美桜ちゃんを呼んできてくれる?」
 あ、質問内容を話さないでね、と念を押す。はーい、と駆けながら片手を上げて応じた。
 すぐに美桜ちゃんが現れた。カメラ越しにじっと捉えていると、少し恥ずかしそうにした。
「ありのままの自分で答えてねー」
「インタビューなんて、ほんとうのアイドルみたいですね」
 美桜ちゃんでもそういうことを思うのか。
「そうだよ。スクールアイドルなんだから、ちゃんと正直な思いを打ち明けてほしいな」
「はい、分かりました」
 すっと、表情に真剣みが帯びる。体育会系だったためか、スイッチが入ったときの顔が凛々しい。
「どうしてスクールアイドルになったのでしょうか?」
「舞子に連れられ、本物のアイドルを見たときに、少なからぬときめきを覚えたからです。初めは、引っ込み思案のわたしには無理だ、って思っていました。それでも――もう逃げたくなかった。紅亜と舞子が一緒なら、不思議とがんばれる気がしたんです」
 三人の友情は、傍で見ていても羨ましいものに映る。
「活動で特に印象に残っていることは?」
「そうですね。最初のライブ――は、紅亜が挙げていそうなので、夏祭りでのライブを。学校で慣れてきた中で、外に出てパフォーマンスするなんて、もちろん緊張しましたけれど、着実に階段を上っていると感じました」
「最後に、ファンのみなさんに一言」
 それまでは迷いなく回答していたのに、急に沈黙してしまった。こういうのは苦手なのだろう。
「えっと……前向きにがんばります」
 まあ、こんなものだろう。お礼をし、舞子ちゃんを呼んでもらう。
 舞子ちゃんが来るまで、ほかのメンバーの練習風景を撮っていた。みんな、きらきらしている。この楽しい時間も、そう遠くない未来、幕が下ろされる。終わりがあるから、物事に熱中している最中は心満たされる。終わりがあるということは、始まりがあった。それぞれの始まりが、やがて一つになる。
 舞子ちゃんがパタパタと駆け寄ってくる。
「お待たせしました」
「ううん、ありがとう。じゃあ、いくつか質問をさせてください」
 舞子ちゃんはこっくりと頷く。
「お名前は?」
「美崎舞子です」
「スクールアイドルを始められたきっかけはなんですか?」
「ずっとアイドルに憧れていて、でも、好きだからこそ、彼女たちと自分の違いをよく知っていました。そんな頃に、紅亜に誘われたんです。紅亜がいなかったら、きっとわたしの夢は叶わなかったです」
「特に思い出深い活動はありますか?」
「えー、なんだろう。どの活動も思い出深いんですけど、わたしは合宿かな。まだ人数が九人いなくて、緋菜さんも入ったばかりだったけど、たくさん走って、たくさん踊って、たくさん喋って。忘れられない青春の一ページだと思います」

「最後に、ファンのみなさんに一言」
「わたしのことが嫌いでも、アイドル部のことは嫌いにならないでください――なんて。春からも、多くの人に笑顔を届けにいきます。よろしくお願いします」

 三学期に入ってから彩葉ちゃんは忙しいらしく、たまに姿を見かけない日があった。今日も待っていたのだけど、結局現れなかった。
 彩葉ちゃんにインタビューできたのは、翌日の朝休みだった。
「ふふっ」
 カメラを持つわたしを認めて、口元に手を当てて微笑んだ。その仕草が堂に入っている。
「新垣彩葉、高校一年生。彼女はいかなるときでも、アイドルであることを忘れない」
「ドキュメンタリー風なんですか? インタビューされたって、千歳や美帆に聞きましたけど」
 声を低くしたわたしを遮る。
「練習しているところとか、学校生活の様子も撮ってるよ。それでは、質問入りますか。彩葉ちゃんが最後だよ」
「はい、臨むところです」
 笑顔を作る。彼女が笑うと、あどけない印象を覚える。
「あなたがスクールアイドルを始めたのはどうしてですか?」
「わたしがアイドルになることを待ち望んでいる人がたくさんいたから――これって、みんな、真面目に答えてるのかな。えっと、わたしは挫折を味わって、でも、また自分の可能性に賭けてみたかったんです」
「今までの活動で、特に印象に残っていることを教えてください」
「印象に残っていること、ですか。増田さんの主催したイベントは、ほかのアイドルグループと一緒にやれて、とても刺激的でした」
「最後に、ファンのみなさんに一言」
「わたしはまだ入部して間もなくて、これからもっと多くの人のハートを掴みにいきたいです。――それと、伝えなければならないことが。さっき言った増田さんに誘われて、彼のグループに所属することになりました」
 わたしはカメラを構え続けながら、大きく目を見開いた。

「でも、安心してください」わたしの心中を察したように、声が柔らかくなる。「アイドル部の活動も続けます。むしろ、そっち優先です。忙しくなるかもしれないけど、いつでも笑顔で乗り切ります」
 最後は悪戯っぽい笑みを見せた。
 わたしがカメラを外すと、「そうなんですよ」と彩葉ちゃんが呟いた。
「それ、みんなには言ったの?」
 彩葉ちゃんは首を横に振る。「まだです。でも、近いうちに必ず」
 彼女の決意は本物のようだ。目が物語っている。アイドル部から初の「兼任」メンバーが誕生か。
 さっと、カメラを奪われる。
「わたしが最後じゃないですよ。さくらさん、まだインタビューされてないですよね」
 自分のことなんて考慮の枠外だった。わたしは、いつも遠くからみんなを見ていた。
「インタビューしてくれるの?」
「いいですよ。みんなの答えを見聞きしてきたんですから、いいこと言ってください」
 苦笑する。カメラの使い方を教え、彼女と向き合った。レンズにわたしらしき影が映っている。こんな感じになるのか。
「まず、内海さくらさん。あなたがスクールアイドルになったきっかけはなんでしょうか?」
 きっかけ。
「友達の美波に誘われたからです。前から、アイドルに憧れというか、強い興味を抱いてました」
「次に、活動の中で印象深いことは?」
 今までの、活動。
「未来の話になってしまうけれど、高校生活最後のライブは、一生の宝物になると思います。いえ、してみせます」
「それでは、ファンのみなさんに一言」
 みんなに。
「出会いや偶然がわたしをアイドルにしてくれました。――わたしをアイドルにしてくれて、ありがとう」
 言い終わってから彩葉ちゃんの表情を覗き込むと、彼女は目を細めていた。

「いいのが撮れました」

 淡いスポットライトを浴びる。何度も味わってきた緊張感と高揚感。もっと、感じていたかった。だけど、最後だって思えば、自分のすべてを出し切れるはず。
「聴いてください。乃木坂46の『何度目の青空か?』」
 さっきまで卒業式が行われていた講堂。再び、生徒たちが集まっている。綺麗に整列することはなく、思い思いの場所でライブを見つめている。彼女たちが目に焼き付けるような、記憶にいつまでも残るような、パフォーマンスを。

  何度目の青空か 数えてはいないだろう

  陽は沈みまた昇る 当たり前の毎日 何か忘れてる

  何度目の青空か 青春を見逃すな

  夢中に生きていても 時には見上げてみよう (晴れた空を)

  今の自分を無駄にするな

 実感を込めて歌う。
 与えられた時間は二曲分。一曲目が終わり、ラスト。
「一年間、ありがとうございました。四月からは新体制でまたがんばります。――最後なので、改めて自己紹介を」
 紅亜は息を吸い込んでから、「山崎紅亜」と名乗る。
 そこからは、順番に。
「西永美桜」
「美崎舞子」
「奈良千歳」
「小関美帆」
「高城美波」

「内海さくら」
「高遠緋菜」
「新垣彩葉」
 せーの、で合わせ、曲名を告げた。
「『桜、みんなで食べた』」
 HKT48のお別れソング。

  桜、みんなで食べた 満開の花びら

  春風に吹かれた 一枚キャッチして……

  桜、みんなで食べた 掌の花びら

  サヨナラつぶやいて 

  思い出と一緒に ゆっくり飲み込んだら

  涙テイスト

 ラストライブの直前、校庭に出たら、桜が見事に咲き誇っていた。卒業式に日に、タイミングよく咲いてくれた。九人で、風に舞う花びらを追いかける。
 誰が始めたのか憶えていないけど、メンバーが手を鳥のくちばしの形にして、ついばむようにつついてきた。わたしばかり狙われる。くすぐったかった。
 そうして、気づく。歌に合わせて、「さくら」をみんなで食べているのだ。わたしたちらしいけれど、最後まで何をやっているのかしら。おかしくって、笑ってしまう。
 講堂の窓からも桜は見えていた。花びらが散ってしまった頃、わたしはもうこの学校にいない。悲しくてしょうがないけど、すべて飲み込むしかない。
 練習通りに、最後の最後まで踊りきる。動きを止めてから、誰にも聞こえないように「さよなら」と呟いた。
 舞台袖に設置しておいたビデオカメラが、泣き顔で抱き合うわたしたちを捉えていた。

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