共鳴

ある日、職場の先輩が所属する、吹奏楽団の演奏会へ行った。

一緒に行ける人はおらず、ひとり。
はるばる茅ヶ崎のホールへ。特に寄り道をすることなくまっすぐに会場へ向かう。



会場に着いた。

見ず知らずの土地、見ず知らずのホール。
一度も訪れたことはないはずなのに一歩足を踏み入れた瞬間だった。
私の脳裏にはあの懐かしい日々の空気が新鮮に蘇った。

ホールへ入る。

開演前の高揚感を来客者の話す声がサワサワと聞こえ、心地よい。
舞台にはこれから素晴らしい演奏をしてくれるであろうメンバーが座る座席や譜面台が置いてある。

思わず大きく深呼吸をする。
木の香り。座面の布の匂い。
あぁ今年一番、息を吸うことができた気がした。
私が一番大きく、深く息を吸う場所はホールであった。そこでは決して一 人になることはなく、いつも仲間と一緒であった。

演奏会がスタートする。トランペット、トロンボーンの華々しいファンファーレ。プロの演奏ではなく、ともに高校時代を 過ごしたOB・OGバンドだ。だからこそ、込み上げてくる熱 意、希望、高揚感をひしひしと感じた。
自分の中にある”それ”と 共鳴していくように、私の心は踊り、舞台上の演奏者と繋がっている感覚に陥った。
とても不思議だ。先輩以外の演奏者に知り合いは誰もいない。いわば赤の他人なのだが、過ごしてきた懐かしい日々が容易に想像できる。それゆえ、泣けてしまう。
高校時代、吹奏楽に向き合っていた私のことを、私は大好きだ。その時の仲間が大好きだ。大切にしたい私の故郷だ。
その懐かしい日々を大切にしている人たちがそこにいる。音楽をしている。奏でられる音全てが上手だの、綺麗だの、関係なく刹那で美し く、愛しい時間だった。ハーモニーが響き渡るたびに、込み上げてくる涙が抑えられなかった。確かに自分もそこにいた。


あの日々は決して戻ってこない。毎日楽器と音楽と仲間と向き合い、ともに一つの音楽を作り上げ、ハードな日々だったけれど、幸せだった。死ぬほど、心からやりたいと思ったことを やれたことは後にも先にもあの時しかない。
それがどんなに幸せなことなのか、その時すでにわかっていたことが唯一の救いだと思っている。毎日日記に、幸せだと書いていた。

そんなことは、遠に忘れてしまうほど、私の心は曇っていた し、滅多なことでは揺れ動かなくなってしまっていた。私の心 を大きく動かし、また動くようにしてくれたこの日に感謝した い。


「音楽に触れよ。団体演目を愛せ。その過程、パフォーマンス
全てが自身を癒し奮い立たせてくれるだろう。」

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