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自己紹介~はじめまして~
名前 :内田晴奈 | HARUNA UCHIDA
出身 : 神奈川県出身、東京都在住
年齢 : 33歳
家族 : 夫、息子(2歳、4歳)
性格 :好奇心旺盛、自由が好き
趣味 :歌、旅行、英語、海外ドラマ鑑賞
経歴 :
神奈川県の英語に力を入れている公立高校へ進学
◆高校2年次にアメリカのアーカンサス州へ1年間の交換留学
中央大学 経済学部 国際経済学科へ進学
◆大学3年次にアメリカのカリフォルニア州へ1年間の交換留学
大学4年の夏に帰国し、就活難民になる。
外資CAを目指しスクールに入学するも、面接で腕の長さが足りず門前払いされ挫折。
未就職のまま大学を卒業、第二新卒になった私は、社会に要らない存在?
新卒ブランドを失い、英語を使えるという理由で横浜の某ホテルでアルバイトをスタート。ホテルの職場では、人に恵まれるも、閉鎖的な労働環境に息苦しさ感じ、同僚は夢をもってこの仕事に就いているのに、私は自分のキャリアを『なんとなく』で決めてしまった。。と思い、第二新卒として就活をスタートする。
第二新卒で無事に内定、祖父の事故死
第二新卒で、下請け広告制作会社の営業部に内定。アシスタント営業職として勤務をスタートする。度重なる終電勤務や、夜通しの勤務、土日返上勤務、クライアント接待と、楽しい反面、体力・精神的に疲れてくる。その矢先、祖父が交通事故で車の下敷きになり急死する。
祖父の急死に精神的に落ち込み、同時に何のために働くのか?家族との時間をほとんど持てず、祖父と同じ敷地に住んでいたのに、久しく顔を合わせていない中での急死。キャリアや働き方を考え直し、当時20代前半でしたが、女性のライフステージの変化を見据え、今の働き方は長期的にはできない、と判断し退職を決意する。
またキャリア迷子になってしまった。私の可能性はどこに??
その後、自分の可能性や本当にやりたい事を探して、一般事務→英文事務→営業と職を転々とする。派遣社員、契約社員としての勤務だったこともあり、自分がやりたい事と、正社員じゃないと任せてもらえないこと、自分の在り方について終始悩んでいた。私は私。やる気はあるのに、雇用形態で判断されることも多々、居場所がなかった。
営業職に就いたとき、これで最後の転職にしよう!と決めていたのに、妊娠・出産を経験し、初めての子育てと仕事の両立の大変さでキャリアを中断することに。
これまで自分なりに挑戦して、資格も取って、上司やクライアントに気に入られるように、、、と頑張って来たのに、女性はなぜライフステージの変化でキャリアを中断しないといけないんだ。。と、決めたのは自分なのに本当に落ち込んだ。(育休明けの女性をサポートする体制の無い会社にも憤りを覚えた。同じチームに子育てをしている仲間は誰もいなかったし、上司も独身。子育ては経験した人にしか大変さが分からないと本気で感じた。)
ICOREでの学びと、過去の棚卸(他人軸だった過去)
現在、2024年春からICOREという女性向けのキャリアスクールに入り、自己理解~マーケティングを学んでいる。コーチングやグループワークを通して、過去の自分が、いかに他人軸や社会的な評価を気にして生きてきたか。という事を実感した。
幼少期から大学までの他人軸ヒストリー
幼少期から厳しい両親や、祖父母の古い価値観の中で、経済的には何不自由なく暮らせていたものの、両親の度重なる喧嘩やコミュニケーション不足、母のイライラやヒステリー、愚痴を目の当たりにして、いつからか他人の顔色を伺うことや、周りが喜んでくれるか?いい子でいないと。先生に気に入られたら親が喜ぶ。など、自分の本当の気持ちよりも他人の気持ちを優先していたことが多かったように思う。
小学生時代も、他人の悪口を言っている子に同調し、自分が嫌われたくない、相手の機嫌を損ねたくないという気持ちから、八方美人と呼ばれた。
中学校でも、自分の意に反し、周りに進められた部活に入り、クラブチームにまで入会。誰を喜ばせようとしていたのか?当時は嫌だ嫌だと思いながら、部活とクラブチームに時間をつぎ込んでいた。周りからは、優しいよね。と、ただの都合のいい子呼ばわり。優しいことと、流されることは今思えば完全に違う。
高校は兄の彼女にあこがれた高校に推薦で入学。(いい子だったから学校推薦とれた) 部活は自分の意志でやりたい部活に入り、少しずつ自分軸に寄れてきた時期。でも授業に真面目に参加しよう、内申点を取れば、先生に気に入られれば、大学受験に有利だから。。と、高校でもいい子癖が抜けず。
大学は、〇〇が学びたい。という理由よりも、たまたま推薦が取れて、大学名に親が喜ぶMARCHに入れば、、と、完全に間違った選択。受験という苦しい勉強戦争に挑みたくなかったのも事実。でも大学に入ることが目的になっていた。大学生活は、人に恵まれ、楽しい4年間を過ごしたものの、いつまでも無駄に真面目が抜けず、自分の興味や好奇心よりも、良い成績のため、ゆくゆくは良い就職先のため、、という気持ちで過ごしていた。
子供が輝ける未来へ
これまでずっと他人や社会の評価を気にして生きてきた私は、結果的に社会人になっても、自分が何をやりたいか分からず、自分が母になったタイミングで、子供にそんな背中は見せたくない!子供には自分軸で生きて欲しいと強く願っている。
振り返って思うこと
Life is Short. という言葉の通り、人生は短いからこそ、過去はもう全無視してここからの人生を生きて行こうと思う。
いい子ちゃんで八方美人になっていた私は、そういう環境に置かれていたから、そうならざるを得なかったと思う。自分でも無意識にそうなっていた。
それに自分が挑戦してきたおかげで、良い人たちとの出会いもたくさんあった。いい経験もたくさんあった。
この社会の問題点は、先生や親や目上の人に自分の意見をぶつけたり、反論が許されない、出る杭が打たれる、右ならえの教育。。
そして、私が第二新卒や20代前半で本気で悩んでいた時に、職を紹介してくれた派遣会社やエージェントの人たちも、決して悪気があったわけではなく、目の前の仕事をしていただけ。でも、大人が若者に道を示してあげないで、誰が手を差し伸べるのかな?とも思う。結局は子供は大人を見ている。でも嫌だと思いながらも家族を養うためにサラリーマンをやっている大人たちも、きっとこの社会の犠牲者なのだと思う。