腕のムダ毛を3年ぶりに処理した話
私は去年の10月中旬ごろに日本に本帰国するまで、カンボジアで2年間働いていた。
カンボジアでは、というか東南アジア全域では、ムダ毛をそこまで気にしない人が多い思う。
ていうか、日本と韓国がムダ毛に厳しすぎる。
どこに行っても脱毛の広告があるし。
そんな中で私は、けっこう、いや、だいぶムダ毛が濃い方の人間だ。
ムダ毛が多いことに対して、物心がちゃんと付きはじめた小学生の頃からコンプレックスを感じていた。
それでも、その当時は母親から、まだムダ毛処理は早いからやめておきなさいと言われ、多感な中学生時代をムダ毛処理をせずに過ごした。
いや、ここで母親に逆らって処理すればいいものを、それをしなかった(できなかった)んだね、当時の私は。
それでも高校生になったらさすがにムダ毛処理せずに学校には行けない。
ということでムダ毛の処理はきちんとして学校に通っていた。
それ以降、ムダ毛処理は私にとって当たり前のことで、ムダ毛処理せずに人前にでるなんて考えられなかった。
その価値観が変わったのが、大学4年時を一年間休学して行った留学だった。
色んな国籍の人が通う語学学校。そして色んな国籍の人がいたボランティア先。意外と周りの人は、特に腕は、ムダ毛処理してない人が多かった。
そんな中で、ずっと半袖で過ごさなければいけなかったから、ちゃんとムダ毛処理をするのがバカバカしくなり、気がついたら留学中の半分は腕のムダ毛の処理をしなくなっていた。
(さすがにワキと脚のムダ毛は剃っていたけど)
その後日本に帰国したら、ムダ毛を処理しないと違和感があったから、日本にいる夏の間は、腕のムダ毛処理はしていた。
そしてやっぱり長年のムダ毛コンプレックスもあり、すぐに日本の感覚に戻って、帰国後は永久脱毛を考えて、クリニックにカウンセリングに行ったこともある。
それなのに、たまに剃るのをサボって腕毛がはえていても、やばい…となるほどではなく、あ、はえちゃってるな〜くらいの感覚になっていた。
だから、ムダ毛を全く処理しなくなる前兆はあったんだよね。
そんなキッカケになった留学から約3年後、私はカンボジアに行くことになった。
それを気に、全くムダ毛の処理をしなくなった。
腕も、脚も、全部。
毎日暑いから毎日半袖。
そんなんでムダ毛処理をしていたら、肌もボロボロになってしまう。
それもいやで、私はムダ毛を処理しないと決めた。
職場で一緒に働いているのは日本人の上司だったけれど、別にいいやと思った。
メイクは、留学中にしなくなって以来、就活のとき以外はしなくなっていたから、もう当たり前のようにノーメイク。
ノーメイクでノームダ毛処理といった、日本の社会人としてはやばそうな体裁で、カンボジアでの2年間を会社勤めしながら生きていた。
でも、カンボジアで初めて同年代くらいの日本人に会うことになったときは、さすがに躊躇した。
剃ったほうがいいかなとチラッと考えたけど、一度処理したら途中で毛が生え始めた感じになるのがイヤだったから、生えたままで会った。
その後も何回か新しく日本人に会うことになるたびにちょっと迷ったけれど、そのたびに
剃らない という選択をした。
その結果、その後は躊躇なく、そのままの自分で日本人にも会うようになった。
でもさすがにムダ毛がボーボーに生えた脚をそのまま出すことはできないので、その2年間は長ズボンしか履いていなかった。
今思えば、私の腕のムダ毛、きっとみんな気になってたと思う。
剃らないと決めた本人ですら気になるくらいにたくさん、けっこう長い毛が生えているから。
そんな私をまるごと受け入れてくれたみんなには感謝しかない。
すごく人に恵まれていたんだと思う。
あ、でも一回だけ、カンボジアにいる間に腕の毛を剃ったな。
カメラマンの友人に写真を撮ってもらうことになったときに、一眼レフで撮ると全部見えてしまうとのことだったから、そのときの私は、だったら剃ろうと決めたんだよね。
だから、タイトルの3年ぶりに、というのは細かく言えば嘘になってしまうのか。
でもその一回を除いて、本当にその後も一回も剃らないでいたんだ。
なんなら、カンボジアでの会社を辞めてから東南アジアを一人で周遊していたとき、海に入ったりしてビキニを着るタイミングがあったけれど、腕はおろか、脚の毛もそのままだった。
ビキニを着るのに脚の毛も剃らないでいるということは、さすがに今の私でも日本ではできないと思う。これはたぶん、海外だからできたこと。
そのムダ毛処理をしないというスタイルを、日本帰国後の一年間も貫いた。
まさか自分が、日本に帰ってきてもこのスタイルを貫くとは思わなかった。
もうムダ毛処理すること自体がだいぶめんどうになっていたし、お肌にも良くないし。
剃った後にすぐに毛が生えてきて、チクチクするのも本当にイヤだったし、なによりもムダ毛処理にお金と時間がかかるのがイヤだった。
だから、脱毛サロンの広告が乱立するこの日本で、私はあえてムダ毛を処理しないままでいることにした。
帰国時はもうすでに秋だったから、長袖を着る時期だったし、腕のムダ毛が気にならなかったというのもだいぶ大きい。
帰国後に知り合った人たちと温泉に入るタイミングが何回かあったんだけど、実はそのとき、脚も腕も毛の処理をしないまま入浴している。
これはけっこうすごいことだなと思う…。
みんな、たぶん気づいてたけど、なにも言わずにいてくれたな。
精神まで大人で、人の容姿にあれこれ言わない人たちに囲まれていたんだなと思う。
毛の処理してなくて…とカミングアウトしたときも一回だけあったけど、大丈夫だよ〜私もしてないし…と(言葉だけかもだけど)言ってくれた人がいたのも、ありがたかった。
そして季節は巡り、夏になって半袖を着るようになった。
すると、当たり前のように目立つ腕のムダ毛。
日本人女性で、ここまでムダ毛を野放しにしている人にまだ会ったことがない。
なんなら、そこら辺の男性より全然生えている。
日本にいると、カンボジアにいるときより、やっぱりムダ毛が気になってしまった。
みんなの前で腕を出さないといけないときに、意識的に毛があまり見えない側を見せるようにしたりしている自分がいた。
それでも、なかなか腕のムダ毛を剃る、という選択をできなかった。
またあの剃る日々に戻りたくなかった。
脱毛にお金と時間をかけるのが、なんだか負けな気もしていた。
そんな中、脚を出して海に浸かりたいとなったタイミングがあったから、すごく久しぶりに脚の毛を剃った。これで、人前でも堂々と脚を出せる気持ちになった。
やっぱり、ムダ毛を気にしている私はずっといたんだよね。
それでも腕の毛は頑なに剃らなかった。
この時期になって実家に帰るたびに、母親から、
「日本ではその腕の毛はだいぶ目立つよ。剃るか、脱色するかしなよ。」
と言われるようになった。
最初は軽くあしらっていたのだけれど、そのたびに自分の腕を見て、やっぱり気になるよな、と思ってはいた。
というか、私の母はもともとムダ毛が全然生えてなくて、私みたいにムダ毛がたくさん生えている人間の苦労なんて知りもしないのに、
私が中学生のときは処理するなといい、大人になった今は処理しろと言う。
本当に言うだけ自由な感じで、反発する気持ちもあって、余計に剃るもんかという思いが強くなった気がする。
とにかく、私はそう言われても毛を処理することはしなかった。
そのはずなのに、今年の夏が始まって5回目くらいの帰省で、また母に同じことを言われたそのタイミングで、
なぜか腕の毛を剃ろうと思って、こないだ本当に久しぶりに腕のムダ毛を処理した。
なぜかわからないけど、私の心境の変化もあって、剃りたいなという気持ちになっていた。
母以外から直接なにか言われたり、陰でなにか言われているようなこともなかったのに、なぜだろう。
久しぶりに毛のない自分の腕を見て、不甲斐ないし、悔しいけれど、毛のない自分の腕のほうが良いと思ってしまった。
腕の毛を処理してからも、最初の3日くらいは腕を出すときにためらってしまう自分がいて、その後に、あ、もう毛を剃ったからためらう必要ないんだった、とホっとしたような感情が出てくることに気がついた。
毛の処理なんてしなくて平気、と強がっていたけど、やっぱり気になってしまっていたんだな、ということを、腕の毛を処理したことによって気がついた感じ。
でもそうなると、もう腕の毛を処理せずにはいられない。
髪の毛はちっとも生えてこないし伸びないくせに、ムダ毛ばかりは元気にすぐ生えてくるから、最低でも3日に一回は剃らないといけない。
すぐにチクチクしてくる。
そして今度は、腕の毛があるうちは気にならなかった指の毛が気になってくる。
さらには、自分の外見でイヤな部分が次々と気になってきて、それを全部なおしたいという気持ちになる。
ああ、やっぱりな。
なんとなくそんな気がしていたけど、一度スイッチが入ると全部が気になりだしてしまうこの性格。
だから毛を処理するのがイヤだった、というのも理由の一つだったなと思い出す。
今の私は、また脱毛したいなと思ってるし、矯正もしたいし、整形だってしたいと思っている。
この3年間、メイクすらしてなかったのに…!
このゼロ百で考えてしまう思考のせいで自分自身散々振り回されてきた。
もうやめたい。
けれど、一度自分のコンプレックスを掘り返してしまうと、気になってしかながない。
あれも、これもと修正したくなる。
腕の毛を処理しただけだけど、こうなってしまうんだよね。本当にめんどうな人間です私は。
腕の毛がない自分のほうが好きでいられそうだということが残念。
本当は、ムダ毛も含めた自分本来の姿を丸ごと愛せるようになりたかった。
ムダ毛を処理しないで、どこまでいけるか知りたかった。
どこまでそのままの自分を受け入れられるかの、実験でもあった。
毛が生えたままの、なんの処理もメイクもしていない、ありのままの自分を残したいと、写真に残してもらうことを真剣に考えていたのに。
こんなにもあっさりとムダ毛がないことへの欲求に呑まれてしまった。
でも正直、現代の日本ではムダ毛がない方が生きやすい。
今の私は、たぶんほんのちょっと、日本の社会に迎合し、適合したんだな。
いつか、本当にそのままの自分の姿を受け入れて、愛することができるようになるのかな。
2023.09.07
はる
2023.10.14
これを書いて早1ヶ月。久しぶりに腕毛を処理して、その後もう一回剃ったあとに、もう処理することをやめてしまった私でしたとさ。