29歳。 こんなにも未熟。
今年に入ってから、何度も行き来して通っているシェアハウス兼ゲストハウスがある。
たぶん、今年に入ってからの滞在期間を合計すると、4ヶ月近くいたと思う。
シェアハウスに住むというのは、そのとき同じタイミングで居合わせている人と、暮らしを共にするということ。
1ヶ月も一緒にいれば、だんだんと遠慮がなくなっていき、友達というよりも、家族のような存在になってくる。
1日の大半を同じ空間で過ごすから、1ヶ月でもかなり濃厚な時間だ。
そうやって一緒に過ごす時間が長くなると、否が応でも一緒に過ごしている人たちの、いやだな、と感じる部分が見えてくる。
そして、自分の中のいやな自分も出てきてしまう。
決していやな自分をさらけ出したいわけではないのに。
むしろ、出したくなんてないのに。
いやなやつだな、と失望されたり、嫌われたりしたくないのに。
なんだか自分がないがしろにされているように感じたり、除け者にされているような気がして、勝手にモヤモヤして不機嫌になって。
それだけじゃ飽き足らず、自分は不機嫌ですってことを相手にぶつけずにはいられなくて、そのまま不機嫌な態度を続行してしまう。
不機嫌を自分だけで治すことができない。
ほかにも、
自分の思うようにみんなが動いてくれなくて、イライラする。
相手が楽しそうにしているのを素直に喜べない。
相手を責めるような口調で話してしまう。(実際に責める気持ちでいた)
今すぐには思いつかないけど、まだまだたくさん、わたしの悪い癖が出てしまった。
わたしの中のいやなわたしが出てしまった。
今日、Googleフォトの写真を整理していて、今から4ヶ月ほど前にシェアハウスで過ごしていたときの、ただただ楽しかったときの写真や、悲しかったり、いやな思いをし始めたときの写真を見返していた。
気分が悪いときに写真を撮ることって、殆どない。
だからか、いやな思いをしていたはずの期間の写真からも、楽しかったという感情だけが思い出された。
ああ、あのときは楽しかったよな、という気持ちだけが湧き上がってくる。
写真の中に出てくる、そのとき一緒に過ごしたメンバーの顔を見て、愛おしい気持ちになった。
このときのわたし、幸せじゃん。
と思った。
思い出たちが愛おしくて、一緒に過ごしたみんなのことが愛おしくて、
今の自分なら、もっとみんなに優しくできる気がした。
ああ、なんでわたしは今更そんなことを思っているんだろう。
なんで、そのとき、その瞬間、その人たちといるときに、こんなふうに楽しい、と感じたり、愛おしい、と感じられなかったんだろう。
そうしたら、もっと優しくなれたのに。
わたしの中に、今を感じるという感覚が欠落しているのだろうか。
意地悪なわたしで接してごめん。
本当は、みんなのこと、大切で、大好きで、愛おしいはずなのに。
わたしはこんなにも未熟だから、余裕がなくなると(そしてわたしの余裕は本当にびっくりするほどすぐになくなるのだけど)、こんな優しい気持ちはすぐにどこかへ忘れ去られてしまって、
また意地悪なわたしが、いやなやつが、顔を出す。
こうして自分の過去の言動を振り返ってみると、昔の自分からなにも変わっていないように思える。
自分の未熟さに、自分の抱える人生の課題の多さに圧倒され、
「自分は変われる。いや、変わるんだ。」
という決意や希望は、あっというまに失われる。
それは簡単に絶望にも似た気持ちに変わり、すぐに生きることが辛くなる。
本当に、わたしはこんなにも未熟で、弱い人間だ。
それでも、こんなわたしを受け入れてくれる人がいる。
それは奇跡のようにも思えるし、いやな面を見せてもなお、一緒にいてくれるみんなには本当に感謝しかない。
この、みんなのことを、思い出を、愛おしく、大切に思う気持ちを忘れたくないな。
2024.09.05