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名前のない関係性
名前をつけたくない、名前のつけられない、名前のない関係性がこの世にはある。
だけどその関係性に、名前がほしい。名前をつけたいと思う瞬間がやってくる。
それは、この関係性がこの先の未来も続く、と信じられなくなったとき
このままではこの関係性が壊れるのではないか、と怖くなったとき
この関係性をもう一歩先に進めたい、と思ったとき
相手とのつながりをつなぎとめておきたい、と思ったとき
この人と一緒に別の世界を見てみたい、と思ったとき
この関係性ってなに?
少しでも自分たちの関係性に対して疑問を持ったり、不安になったら、その先も名前のない関係を続けるのは難しいだろう。
このままではいられない。
今までの関係性が変わりそうなとき、そして変えたいとき、わたしたちは名前のない関係性に不安をいだき、確証を得て安心するために、名前をつけたがる。
『友達、親友、恋人、家族、仲間、ライバル、妻、夫、友達以上恋人未満、セフレ、ソフレ、パートナー、、、』
世の中にはたくさんのカテゴライズされた”名前”がある。
そして一度名前をつけてカテゴライズしたとたん、その枠に自分たちを押し込めて考えてしまう。
自分の中にあるその名前につけられた定義の枠に、自分も相手も押し込める。
その枠からはみ出た行動をしないようにする。相手がその枠からはみ出た行動をすると混乱する。
あなたにとっての友達(恋人、仲間、家族、、、etc.)ってなに!?
同じ名前に見えても、そのカテゴライズされた名前に対して、個人個人で違う定義を持っている。
それが混乱につながるのだ。
名前をつけることで関係性をはっきりさせて安心しようとしたのに、その混乱によって、得られたはずの安心もかき乱される。
名前をつけても、自分が相手につけた名前と、相手が自分につけた名前が違うと、がっかりしたり、悲しくなったり、気まずい気持ちになったりする。
名前がつくと急に陳腐に聞こえる関係性もある。
わたしたちの関係性って、そんな軽いもんだっけ?そんな陳腐なもんだっけ?
理解しやすいってだけの理由で、世間の決めた簡単でわかり易い言葉で名前をつけたくない。
世間一般の考えに基づいたカテゴライズなんかいらない。
そんなもので、わたしたちの関係性をカテゴライズされたくない。したくない。
そう思う。
いや、そう思いたかった。
だけど本当は、わたしはもう諦めてしまった。名前のない関係性なんて、ただのきれいごとだった。あれはただの幻想で、現実から目を背けるために名前をつけなかっただけだ。
この関係性が、今この世にある名前には決して当てはまらない、当てはめることができない、わたしたちだけの特別なものだと思いたかった。
だけどそれは、文字通りただのきれいごとのように感じられる。
だからわたしは半ば投げやりに、そのとき名前をつけなかったその関係性を枠に押し込め、カテゴライズして、名前をつけた。
本当はつけたくなかった名前だったけれど。
そうすることで今の自分が納得いくのだったら、それを甘んじて受け入れよう。
(それでも今なお、きれいごとのまま、この関係性に名前をつけないままに、思い出としてしまっておきたい、という気持ちもある。)
…ああ、本当は、名前なんか、きっとつけないほうがいい。
名前をつけないまま、お互いが居心地のいい関係性を一生続けられたらいいのに。
そう思う傍らで、わたしは今、将来"家族"になれるような"恋人(パートナー)"がほしいと願う。
相手をつなぎとめるための鎖のように、名前のある関係性がほしいと願う。
それがわたしを安心させてくれるから。
カテゴライズは混乱と共に、やっぱり安心も与えてくれるのだ。
そう考えると、名前のつかない関係性は、そこに信頼と安心があるから成り立つ、とても貴重な関係なのかもしれない。
矛盾しているようだけど、名前をつけない関係だからこそ得られる安心感、というものもある。
関係性に名前をつけることで出てくる"責任"みたいなものから自由で、今の自分たちは何からも縛られていない、という解放感。
自分たちで好きなように居心地がいい関係でいるだけだから、誰からも、自分からさえも、カテゴライズなんてさせないし、しない、という気持ち。
そしてきっとそれは、名前をつけてしまったら、本当は見たくない関係性の輪郭があまりにもはっきりと見えてしまうようになるから、それを見ないためのある種の”逃げ”のようなものでもあったのかもしれない。
そうして考えていくと、一瞬のまやかしのような名前をつけられない(つけたくない)関係性と、永く続いていくような名前のない(つけられない)関係性は、全くの別物なのかもしれない、と思えてくる。
今のわたしにはまだわからないけれど、いつか永く続いていくような、そんな名前のない関係性を経験する日がくるのだろうか。
もしそれが真の安心と信頼から成り立っている、嘘偽りもずるさもない「名前のない関係性」なのだとしたら、それはとても素敵な関係のように思える。
2025.02.01
はる
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