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浄化の涙

2024年10月29日の出来事。

旅人たちが集って暮らしていたとあるコミュニティで起こったこと。

その日はフランスからワーホリで来ていたA(とここでは呼ぶことにする)が、みんなのために夕ご飯にパスタを作ってくれた。

日が沈み、暗くなった中で焚火を囲んでみんなで食べる夕ご飯は別格だ。
パスタがみんなの手にいきわたったところで、食べ始める。おいしい。

わたしはもう少し粉チーズをパスタにかけたいな、と思い、少し離れたところにある粉チーズを取ろうと立ち上がって、歩き始めてすぐ、足元にあった木の丸太に足をつまずかせ、盛大に転んでしまった。
(暗くて足元が全然見えてなかったんだ。)


悲劇が起こる前に撮ったパスタの写真。


転んだとき、手にパスタの入った皿を持っていたため、皿の上のパスタを半分くらい地面にぶちまけてしまった。パスタの上の具は、すべて地面に落下した。

こんなにも盛大に転んだのは子供の時以来、というくらい思いっきり転んだことに動転し、ぶつけて擦りむいた足が痛い、と認識するよりも先に、まだほとんど手を付けていなかったパスタをこぼしてしまったことにショックを受けた。
それでも、すぐ気を取り直したように、取り繕って立ち上がる。

ちょっとすごい転び方だったから、はたから見たら面白かっただろう。
面白がって笑っている人もいるな、と片隅で感じつつ、大丈夫なふりをして、まだフライパンの上に残っていたパスタをひとりで追加しようとしていたら、Aが助けに来てくれた。

このとき笑っていた人を非難する気持ちは全くない。可笑しくて笑ってしまう気持ちもわかるから。


僕のパスタが好きじゃなかったからこぼしたの?って冗談交じりで、さっきの出来事を笑いにかえようとしながら。

残念ながらパスタの具はもう残っていなったけれど、わたしの皿にパスタを追加して、サラダも乗っけてくれた。


わたしは全然大丈夫、全然平気、と思っていたけれど、Aにそうして優しくしてもらっているうちに、胸の内側から嗚咽と涙が込み上げてくるのがわかった。

それでもなんとかその衝動を抑え込みながら、Aにありがとう、と伝えて自分の席に戻ると、隣にいた友人が「大丈夫?痛くなかった?」と優しく声をかけてくれて、また別の友人が、何に躓いたの?と聞いてくれ、躓いた原因になった丸太をよけてくれた。

そうした優しさを受けて、自分の中の泣き出してしまいそうな衝動が抑えきれなくなり、その場にはいられなくなって、焚火の輪を抜け出して、ひとり海辺に向かった。


ひとりになれたその時から、涙と嗚咽がとまらなかった。
初めは、パスタをこぼしてしまったことがショックなのと、転んだことに対して周りに優しくされたことのダブルパンチで泣けてきたのだと思っていたけれど、違った。


身体が勝手に反応して、自分ではコントロールできない、そんな強い衝動に襲われて、その衝動のままに、海に向かって泣き叫んだ。

ただ涙が出てくるだけじゃなかった。胸の内側から、絞り出すように声が出てくる。
”慟哭(どうこく)”という表現がぴったりくる泣き方。

小学生以降、こんな風に泣いた記憶がなかった。
このエネルギーがどこから来るのか、はじめはわからなかった。
ただただ、抗いがたいエネルギーの中に自分がいた。

そうして衝動の中に身を置いていたら、自分の身体がタイムスリップしたかのように、幼少期の出来事を思い出していることに気が付いた。

今回盛大に転んだことにより、身体が自動的に幼少期に盛大に転んだ時の記憶を思い出していた。


転んで、痛くて、悲しくて、心細くて、今にも泣き出しそうな、いや、もうすでに泣いている、まだ3歳かそこらのわたしがそこにいた。

泣いて、母にだっこをせがむけれど、その腕のなかにはまだ赤ん坊の弟が抱かれていて、母はすぐにはわたしを抱き上げてくれない。

本当は、すぐにでも抱き上げてほしかった。大丈夫?痛かったね、と優しくいたわってほしかった。
そんな記憶がわたしの中によみがえる。

ここで、2024年の4月に受けたゲシュタルト療法を思い出した。
ゲシュタルト療法を通じて、わたしは過去の未完了の感情を完了させる、という体験をしていた。

この時、まさに過去の未完了の感情が表出して、そのエネルギーで自分が泣いていることがわかったわたしは、ゲシュタルト療法でやったことをひとりでやってみることにした。

頭ではちょっと冷静なわたしもいて、こんなことを考えていたけれど、身体は相変わらず素直に泣きたい衝動に従っていたのが不思議だ。

現実世界ではわたしは29歳の立派な大人だけれど、自分が幼少期に戻ったように振る舞い、そのときの自分がどうしたかったか、どうしてほしかったか、というのを思いっきり(わたしの記憶の中の)母にぶつけた。

「わたしをだっこして!」「弟をどかしてわたしをだっこしてよ!!」「大丈夫?ってきいてよ!!」などなど、ひとりで泣き叫びながら、声を出す。

このときのわたしをもし誰かが見ていたら、ドン引きしただろうな、と思う。
そして、わたしがこのようなことを現実の世界で実際に母に向かってすることはないだろう。
想像上でしかできないことだけれど、これが十分機能してくれることも、ゲシュタルト療法を通じて学んでいた。

それを、(想像上の)母がきちんと振り向いて、自分の要望に応えてくれた、と感じられるまで繰り返す。



そしてわたしは、その衝動のエネルギーがなくなりきった、と感じられるまで、声を振り絞りながら泣き続けた。

一時間近く経っただろうか。満足するまで泣いたわたしは、
”泣き止んだ後の涙の乾燥をほほの上に感じながら、母の膝の上に乗って、満足気でうれしそうにご飯を食べる3歳の自分の姿”
を想像しながら、皿の上に残ったすっかり冷え切った山盛りのパスタを平らげた。


このときに感じたのは、子供はみんなどうしようもなく母親(もしくは父親もしくは保護者)が大好きで、大好きでたまらなくて、その腕に抱かれるだけで心から安心し、喜びに満ちていたんだ、ということ。

母に抱かれるだけで、喜びのあまり笑い出してしまうくらい、それが幸福で満たされ、うれしいことだった、ということ。

そしてそれを拒否されることは、心に深い傷を負わせる、ということ。


こうして、過去の未完了だった感情を味わい切ったわたしは、みんなの団らんしているところへ戻ることができた。



あれはきっと、浄化の涙。
過去のわたしの心の傷を癒す、浄化が起こったのだと思った。

これでまた一つ、母とわたしの間の隔たりが減った気がした。
そして、わたしは自分の力で自分を癒すことができる、ということが分かった日でもあった。

身体は思った以上に賢いし、自分で自分を癒すチャンスを与えてくれる。


と、ここまで書きながら、その時のことを思い出して涙を流していたのだけれど、きっとまだ残り香があるんだろうと思う。
何事も完璧を求めすぎず、自分の身体と心と魂が求めるものに素直に、軽やかにいきていきたい。


この出来事を忘れたくなかったから、ここに残します。

2025.01.24
はる


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