『ウクライナ・ダイアリー 不屈の民の記録』
新聞社を退社してウクライナ人の妻とキーウで暮らし始めてまもなく、全面侵攻が始まった。少し前からその情報を聞いていた著者は、妻やお義母さんに西部のリヴィウに退避しようと説得を重ねるも、二人ともがんとして受け入れず、妻との「関係は険悪になっていた」という。
その度々の口論の最後の方で、妻はこう言い放った。
「あなたムカつくのよ。ウクライナ人をまったく信じてないでしょう。はなから私たちが負けると決めつけている」。
この本はジャーナリストが戦場で見聞きしたものを記したという類のものではなく、当事者としてその場にいる人が、ウクライナ人の家族を持つ日本人が、ジャーナリストという仕事を介して書いたものだ。
先ほどの妻の言葉には正直、驚いた。
軍人の言葉ではなく、ただの、普通の、ウクライナ市民の言葉である。
確かに、欧米諸国もキーウが数日で陥落してしまうと考えていた。私もだ。だからウクライナ軍がロシア軍を押し戻しているというニュースを見て、「えー、そうなんだ、すごい」と思った。
なぜ普通の市民がそうした考えに至るのか。
本書を読み進めてウクライナの歴史を知ると、その気持ちの一端を少し理解することができた。
ウクライナには、常に弾圧されてきた歴史がある。
周辺国からの侵略、独立、侵略が繰り返されてきた。
いま妥協して領土の一部を奪われたままにしたら、もう取り戻せない。現にクリミア半島は占領されたままだ。
絶対に勝たなきゃいけない、そうでなければ抑圧は続き、自由はなくなり、罪のない市民が殺され続け、国がなくなる、と。
過去にはホロドモールという人為的な大飢饉があったことも初めて知った。ウクライナ語で「飢えによる殺害」という意味。スターリンが集団農場化政策に従おうとしないウクライナ人から食料を奪い、数百万人を餓死に追い込んだ。ソ連時代は恐ろしくて市民はこの話を口に出さなかったけれど、家族の間で代々語り継がれていて、人々の記憶に刻み込まれているという。
食料の話でいうと、ウクライナ人といえば「パン」なのだそう。日本人にとっての米のような存在らしい。
1か月間ロシアの占領下にあった町で暮らしていたおばあちゃんに「何が辛かったか」と聞いたら「パンがなかったことだ」「パンが食べたかったー!」と。
また、ブチャの惨劇は私も報道で知っていたが、ロシア軍から解放されたすぐ後にブチャに戻ってパンを焼いている人もいる。
侵攻前後のゼレンスキー大統領の変化もすごくはっきりしていたらしい。
それまでは、「元コメディアンで、発言の軽いポピュリスト(大衆迎合主義者)」というイメージを持っていたし、反汚職改革も迷走していたのでその指導力には懐疑的だったという。それだけに侵攻後の、スイッチが入った後の変貌ぶりには目を見張ったと。
私はもちろん今すぐにでも戦争は終わってほしい。戦争は絶対にしてはいけない、と思う。じゃあ領土の一部を奪われたままでいいのか、と問われると、領土の一部を奪われることの先にあることを想像すれば、領土より命の方が大切だから仕方がない、と断言することもできない。もしここで諦めたら、さらに侵略が繰り返される可能性は高いだろう。
「当事者」ではない私があれこれ口にすることはできないけれど、それでも、「ロシアの侵略により、ウクライナ人の約8割が家族や友人の死や負傷と向き合っている」という調査があると聞けば、1日も早く平穏な普通の暮らしを取り戻してほしいと願うばかりである。
ウクライナ人は「これからどうなる」という話をあまりしないという。「ことが起きた時に最善を尽くすだけ」と。今はクリミア半島を含むウクライナ領土を完全に取り戻す、この一点に尽きるのかもしれない。
ところで、冒頭の写真の本。
私は今まで、本を読む時には帯を外して、読み終わったら帯を捨ててしまっていましたが、BS テレ東の「あの本、読みました?」で編集者たちの帯に対する並々ならぬ思いを知って、これからは捨てないことにしました(今まで、ごめんなさい!!)