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あっぱれな91歳

義父が亡くなって三ヶ月。いろいろな状況が重なり、とうとう義母がスマホデビューを果たすことになった。これまで頑なに拒んできたものの、それが避けられないとわかると一転、「なら仕方ない」とあっさり承諾(いさぎよい)。

下の記事にも書いたが、「できることは自分でやる」という義母。ついこの間も「歳を取ったからってなんでも子どもに頼るのはおかしいと私は思うのよ」と言っていた(すばらしい!)。

さて、スマホ。

さすがにこれは「自分でできる」というわけにはいかない。満を持して、息子(私のオット)の出番である。

スマホを手配し、ホーム画面に子どもたち(オットとオットの妹)と私に電話をかけるためのアイコンのみを表示させるところまではオットがサクッとカスタマイズ。そしていよいよ、電話のかけ方、受け方のレクチャーをしにオットが実家に出向いた。

かける方と受ける方を二人でひたすら練習したらしい。想像するとちょっと微笑ましい。途中で「練習なのよ」と私にもかかってきたりして。その日のうちに何とかマスターしたようで、オットは家に帰ってきた。

私は楽観していた。これまでの義母を見ていれば、何回か練習すればあっという間にできるようになるだろうと。

ところが、その日のうちにオットが私に「ちょっとかけてみてよ」というので試しにかけてみると、出ない。そりゃあ、出ないこともある。リビングのテーブルに置きっぱなしにしているので、聞こえないこともあるだろう。でも、もう一度かけて、出たと思っても、義母の声が聞こえない。テレビの音は入るので受けているのは間違いないが義母の声がしない。。オットからもかけてみたけれど同じ状況。「どうしたかな??」と言っていたら、家電からかかってきた。何だかうまくいかないらしい。もう一度説明して、家電を切って、スマホでかけてもらったら、ちゃんと話せた。ひと安心。

ところがところが、翌日義母から着信があったので出ると(ちゃんと練習する意欲があるところが素晴らしい!!)、今度はすぐに切れてしまう。もう一度鳴る。出る。切れる。鳴る。出る。切れる。で、最後はやっぱり家電からかかってきた。どこか違うところを押してしまっているか、無意識に長押しして別の操作になってしまっているか、、。そういえば私の父も、つい力を入れて画面を押してしまい、うまくいかないことがあったような気がする。

まあそのうち慣れるだろうと悠長なことは言っていられない。だって家電がなくなるまで、その時点であと5日くらいだったのだから。連絡手段が確保できないのはさすがにまずい。その日の夕方、オットが実家を再訪。練習、練習、練習だ。うまくつながることもあるが、やはりそうでない時もあるらしい。

そこでオットは考えた。Siriに話しかける方が年寄りには意外と向いているかもと。いやぁ、その方がハードルが高いのでは、と私は思ったが、オットは絵入りのマニュアルまで作成して、夕方仕事を早めに切り上げて再び実家へ向かった。そしてまた、練習、練習、練習だ。途中で投げ出さずにがんばる義母である(えらいっ!)。

そしてなんとなんと、オットの言う通り、Siriのほうがうまくいったのだ。Siriを起動する長押しさえできれば、あとは「〇〇に電話して」と言うだけ。なるほど、、私にその発想はなかったなぁ。ただ、義母は時々「〇〇にお願いします」と話しかけてしまうようで、それだとかからない(スマホだからと言って命令はしない。丁寧なのだ)。「電話」というワードを言わないとダメだという念押しも必要だったのである。一方、電話を受けるほう(スライドさせる)は慣れてきたようで、この間もわたしたち以外からの電話に「ちゃんと出られたわよ」とちょっと嬉しそうだった。

次の課題は、私たち以外に電話をかけること。お茶のお稽古仲間に電話することもあるだろうし、外出先からタクシーを呼ぶこともあるだろう。

でも、とにかく第一関門は突破した。意外と苦戦したけれど、91歳のスマホデビュー、しかもSiriデビューはすごくないか? 出先でSiriを使って電話をかける義母の姿を想像すると微笑ましいし、誇らしい。やはり、あっぱれな91歳である。

上の記事にも書いたけれど、母と息子であるオットはお互いに「いい意味で、無関心」。だから今回のようにスマホを介した濃密なやりとりは、なかなか貴重な時間だったように思う。連絡手段を確保するために絵入りのマニュアルを作ったり、何度も実家に足を運ぶオットの様子も、私には新鮮な光景だった。こういう時間はきっと、あとからじんわりと沁みてくるものですよ。


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