2年間のアフリカ海外移住で学んだ移住するときに大事な視点~理解できなくても同じ目線で物事をみてみる~
はじめに
こんにちは。今日は、海外移住で学んだ、現地の人たちと一緒に生きていくために必要な考え方をシェアします。
海外移住はもちろん日本国内の地方移住でもこの考え方をもてるかどうかで、移住の快適度が高まると思うので、
どこかに移住してみたけど、違いに戸惑っている人
どこかに移住したいけど踏み出せない人
の参考になれば幸いです。
ちなみに、私はこれまで国内と海外あわせて6か所に住み暮らしてきました。
詳しくは以下の記事でどうぞ。
アフリカ、マラウイの事例
そのなかの一つが、アフリカのマラウイです。
マラウイの基礎情報
このマラウイで、JICAの青年海外協力隊というボランティアプログラムで2年間派遣されて現地に住んでいました。
移住に現地語は必要か
マラウイはのんびりした人が多く、英語が公用語ですが、地方に行くとローカル言語のチェワ語、(北部はトゥンブカ語)を話す人が多く、私も簡単な日常会話くらいはチェワ語で話せるようになりました。
なぜなら日本と違い、機械化されていなかったりして普段の買い物から、値段交渉にいたるまでコミュニケーションをとる機会がかなり多いので、話さないと生きていけなかったからです。
言語は必要とされる環境がかなり大事な要素になるということを学びました。
海外移住での言語習得については、また別の記事で詳しく話したいと思います。
現地の人と仕事をするうえで大切なこと
また、私の仕事は、バイクで田舎の村々を巡回し、村の人たちと一緒に協力して活動するようなやり方だったので、より現地語を必要としていたという面もあったかもしれません。
ぶっちゃけ複雑な話は現地語ではなく英語でしかできなかったのですが、あきらかに外国人の私が、全員の前でスラスラ現地語で自己紹介すると、みんなびっくり!!そのほか、現地の挨拶の仕方をすると、戸惑いつつもみんなはにかんだ笑顔で迎えてくれます。
アフリカには先進国から多数の援助が今でもあり、こういった辺境の村にもときどき支援者の外国人が来たりしますが、みんな大体突然来てはトラックにどっさり積んだ聖書や薬などをどさっとおろして帰るくらいで、現地語のコミュニケーションとってくる外国人なんてそうそういないらしいです。
だから私の現地語を話す態度が、余計に新鮮にうつったのかもしれません。
私は、この経験から、外国に住むときにはまず現地語を覚えます。話せなくても最初の挨拶と自己紹介くらいはできるようにしています。
私はあなたたちの文化に敬意を払っています、という態度を表明することがとても重要だ、とアフリカでの経験で学んだからです。
マラウイ人に近づこうと努力した結果
特に私は2年間、草の根活動の一環としてマラウイに派遣されていたので、彼らの生活の本質的な手助けがしたいと思っていました。
そのためには彼らが何を考えているのか、感じているのか知る必要があります。
そこで、現地語をできるだけ習得し、マラウイ人の生活習慣に近づけたり、食文化にも近づいたりしながら、できるだけマラウイ人と近くなろうと努力しました。
マラウイは日本では簡単にできることでも、全く容易ではありません。
例えば◎月◎日にここで会いましょう、という約束一つとっても、
ガソリンがその日、ガソリンスタンドにあるかわからない
ガソリンがあったとしても、入れられる手持ちのお金があるかわからない
社用車が使えるかわからない
バスが来るかわからない
バスがいつ着くかわからない
バスに乗れるお金がそのときあるかわからない
道が封鎖されているかもしれない
橋が壊れているかもしれない
ざっとこのくらいは不確定要素があり、何時にここ、という約束はほぼできません。
◎日にいきます、くらいは約束できますが、それも大雨などの理由で簡単に延期されます。
初めはこれがめちゃくちゃストレスで、しかもほとんどは現地語で簡単に共有されるので、私はなにが起きているか、これから何が起きるのかほとんどわからなかったんですね。
これからどうなるのか、どうしたらいいのかわからないことが今までなかったのでものすごくしんどかったです。
でも、不思議なもので、何度もあると、「ああまたか。」と思って、こっちもあまり真剣に構えなくてもいいんだなーと思って、話半分、やる気半分くらいの肩の力の抜けた状態で受け入れられることも増えてきました。
本当の意味で「マラウイ人」にはなれない
それでも、暮らし始めて1年くらい経ったころ。
「やっぱり私はどうやってもマラウイ人にはなれないんだ。」と思いました。
どんなに慣れたと頭で考えていても、心が追い付いていなかったらしく、その無理がたたって、しばらく寝込んでしまったのです。
そのときに、多分いくら現地語が流ちょうに話せても、友人がたくさんいても、食べ物が大好きでも、好きな人ができても、この国で、マラウイ人同士で共有している感覚というか心持を、私は100%は理解できないだろうと悟りました。
同じ目線で同じ景色をみることはできる
そんななか、活動の一環で、ある村を訪れる機会がありました。
はじめて行く村で、森の中を右に左に、後ろに乗っているマラウイ人のガイドに従ってバイクで進んでいきました。言われるままに進み、本当にこんな遠くに村があるのかな?と思っていたら、とつぜん開けた場所にでて村があらわれました。
その村では、ワークショップを行う予定だったのですが、なぜか来るはずの人がまだ到着しておらず、ついでにワークショップで使えるはずの場所がなにかの手違いでカギがかかっていて使えず、同僚のマラウイ人はカギを開けるために誰かをたずねて行ってしまいました。
残された私は、今日はじめて会ったその村のマラウイ人のマダムたちと、大きな木の木陰に座って、誰かがもどってくるのを待つしかありません。
村のマダムたちは英語を話さないので、簡単なチェワ語しか話せない私とは、挨拶したり、一通り話終わると、そのまま自然と沈黙がながれました。
どこなのか全くわからない小さな村の、気持ちいい風が通り抜ける大きな木の下で、何を話すでもなく、隣に並んで座って、遠くにひろがる赤茶けた大地をみてぼーーっとしている時間。
ああ、そうか。
たとえ、マラウイ人にはなれなくても。100%分かり合えなくても。
人は同じ場所に座って、同じ目線で、一緒に物事をみることができる。
あのとき、隣にいたマダムが何を考えていたのかわかりません。
でも、私たちは確かにあのとき一緒に、同じものをみる経験をした。
何を考えているのか、お互いにわからなくても、理解ができなくてもいい。むしろ、ほとんどのことなんて理解できません。
でも、ただ、同じ時間を共有することはできる。
その経験が私に、「理解できなくても、その人と同じ景色をみてみることが大事」だという気づきを与えてくれました。
よく知られていることわざを引用すると
「他人の靴をはいてみる」
ということですね。
自分にとっては理解しがたい、よくわからないことでもいったん受け入れてみる。想像してみる。
そうすると世界は自分にぐっと近づいてくる気がします。
海外移住、地方移住はその場所に「お邪魔する」こと
海外移住は、違う国に住むこと。
そこには何世代前からずっと住んでいるその国の人がいて、その国のあたりまえがあります。
時にはその当たり前は、自分にとってはなじみがないものかもしれません。
でも、いったん受け取ってみる。
それはこちらがその国にお邪魔しているから。
その違いを受け入れるかどうかは、そのあと考えたらいいと思います。
たとえ受け入れられなくても、それが新たな気づきや経験になって自分に還元されるので大丈夫です。
同じ日本の国内でも、地方によって慣習や文化の違いがあります。
言語も日本語が通じない場所はないけど、ローカルの人たちが当たり前につかっている方言は聞きなれないものも多いかもしれません。
特に都会からいくと、人々の距離感の違いに戸惑う人もいるかもしれません。
そんな時には上記のようにいったんその違いを受け入れてみて、その景色がどんなものか自分の中で試してみることで、うまく消化できるものもあるかもしれません。