信頼を欲するほど信頼が遠のく理由
神様は意地が悪い。
信頼が欲しい!と欲すれば欲するほど信頼されない。
なぜだろう…
信頼とは感覚だ。感覚とは曖昧だ。
そう。信頼する人というのは人によって違う。
信頼とは感覚であり、人によって異なるものだ。
その前提を理解しないままに信頼されたいと思うリーダーは多い。
だから、
信頼されるために自分の武勇伝を語る。
信頼されるために自分の功績をみせる。
信頼されるために自分の事を喋り倒す。
メンバーは信頼を得たい理由までを見抜いている。
自覚的にか無自覚的にかは置いておいて、メンバーはリーダーがどんな想いでチームをリードしているかをつぶさに観察している。
何を言っているかじゃなく、言葉を放つ「様」から発せられるパワーを体全体で受け取っている。
発している「様」から感じ取った言葉の裏側にある「想い」を感じ取っている。
例えば…
「みんなが成長できる組織にしたい!」
という思いを語る、
Aさんは、「みんなが成長して利益が上がる」ことが目的
Bさんは、「利益を上げてみんなが成長して人生を謳歌してもらう」ことが目的
想像してみてほしい。
AさんとBさん、同じことを言っていて、同じメッセージとして受け取るだろうか?どんな違いがあるだろうか。
Aさんは利益の話がよく出るだろう。
Bさんは喜びや楽しさなどの感情の言葉がよく出るだろう。
当然それを語る表情だって変わるはずだ。
Aさんは自分の目的のために信頼を求める。
Bさんはみんなのために仕事をしていたら結果的に信頼されるのだ。
意識してか無意識か、いずれにしてもメンバーは敏感に察知している。
そういう人に信頼をプレゼントしようとは思わないだろう。
信頼を得るには信頼を求めないこと。
信頼や承認は結果的に得られるものであって目的とするものじゃない。
それを目的に動くということは自分のために動いている証拠だ。
あなたの夢はどこにあるのか。
何を成し遂げたいのか。
それは誰のためなのか。
それが自分ではなく他者のためであり、本気であるならば、
信頼は向こうからやってくるものなんじゃないだろうか。
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