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いい時間とは、どうしたら生まれるのか
ぼくは先日、生活のたのしみ展にいってきた。
ほぼ日社が主催しているイベントだ。
この生活のたのしみ展が、本当にいい時間だった。
ほぼ日社は糸井重里さんが代表をされている会社で、ぼくは糸井さんを勝手ながら(心のなかで)追いかけている。
ほぼ日社のホームページをのぞいてみると、このように書いてある。
株式会社ほぼ日は、人々が集う「場」をつくり、「いい時間」を提供するコンテンツ* を企画、編集、制作、販売する会社です。
* ほぼ日では、読みものにかぎらず、モノのかたちの商品、イベントなども、形にこだわらずすべてがコンテンツであると考えています。
いい時間を提供する会社。
ぼくは、ほぼ日社のコンテンツを通して、たしかにいい時間を過ごせた。いい時間とは一体なんなのだろうか。
今日はそのことについて書いてみたいとおもう。
--✂️--
いい時間について、ぼくはこれまで深く考えることはなかったようにおもう。いい時間と楽しかった、嬉しかった、などの気持ちは少し違う気がする。
いい時間ときくと、時間がゆったりしていて、心の奥のほうがじわじわと暖かくなるような感覚をおぼえる。噛みしめるように、「いい時間だったなぁ」と。
ぼくが思ういい時間のなかには、「安心」と「安全」があるようにおもう。
生活のたのしみ展にいったとき、ぼくは安心と安全だった。生活のたのしみ展という場所を安全だと認識していたし、その場にいる人たちにたいして安心していた。
これが、いい時間に繋がったような気がするのだ。
生活のたのしみ展には、ぼくのだいすきな「ねむれないくま」がいた。
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ねむくまや、会場全体の写真を想い出にのこそうと、ぼくは写真を撮った。ぼくはその写真たちを、アルバムの冊子で大切に保管するかのような気持ちでスマホのなかにいれている。
SNSにのせるために撮ったり、映えを意識して撮ったりと、そういう気持ちはうまれなかった。SNSにのせる行為はするのだが、最初からそれ目当てでいったわけではなく、仮に映えスポットがなかったとしても、ぼくはなにも感じなかったとおもう。
安心と安全は、こういうところからも感じとれるものなのかもしれない。生活のたのしみ展は、スマホのなかの世界ではなく、間違いなく現実世界のなかで存在していたのだ。
--✂️--
昨年、ブックフェスにいったときも同じように安心と安全を感じた。その時もぼくは、やっぱりいい時間を過ごしていた。
いい時間というのは、安心と安全からくるものなのかもしれない。ほぼ日社のコンテンツに触れるたびに、ぼくはいい時間を過ごしている。
生活のたのしみ展、本当にたのしかったなぁ。
ぼくも、またがんばろうとおもえた。
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