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自分が「困っている」って気づけないもの
金曜担当のリョーサンです。
これまで、援助要請について何度となく書いてきました。
その重要さは、発達凸凹あるなしに関わらず重要だ!ってことは何度言っても言い足りない!って感じです。
大人になっていろんな組織に入れば、痛いほどわかります。
サークルや団体を始めたり、会社を立ち上げたり、子育てしてみればわかります。
「自分でやったほうが早い」病と「自分で抱え込んだほうが楽」病、、、そんな病にかかった人たちがどれだけいるかってことが…。
行きつくさきはバーンアウトではなかろうか?…ならば学ぶべきは大人も子供も、援助要請と協力する力なのです。
前回、援助要請には、
① 援助要請をするまでのプロセス
② 援助要請をしてからのプロセス
この二つがあるとお話ししました
今回は援助要請をするまでのプロセスについてお話しします。
援助要請に至るまでのプロセス
援助要請をするまでにたくさんのハードルがあります。
とりあえずパッと思いつくのは5つくらい。
①自分が「何かしら困っている」もしくは「今後困りそう」っていう自覚があるかどうか。
②「困っていること」を「伝えていいもの」だと思えているかどうか。
③なんとなくのモヤモヤに過ぎない困り感を言語化できるかどうか。
④言語化できるにせよ、それを伝える相手がいるかどうか。
⑤伝えよう!っていう意思決定ができるかどうか。
このプロセスの一つひとつがけっこう深ーい話、なので分けて書いていきますね。今日は、①について。
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そんな簡単な話ではないのです。環境要因、発達要因、、、たくさんのハードルが、、、。
「気持ちに気づく」って実は難しい
会社の代表としてスタッフの相談に乗ります。いわゆる1on1をしています。
そこで逆にスタッフから、言われます。
「いろんな人の相談に乗っているけど、りょーさんは大丈夫なの?なんか疲れているように見えるよ」
優しいスタッフに囲まれているなー、そんな、ありがたいお言葉をいただきます。
「俺かあ、、、俺は大丈夫だけど、、、」
反射的に、こんな感じで返すのです。その時は「大丈夫だ」と思って。
で、後で思う。
「俺、本当に大丈夫なのかーーー??」
会社の代表だからこそ、弱さを見せてはいけないって思っていないか?
解決思考、未来志向で頑張っているけど、前のめりで実は疲弊していないか?
大変なお子さん、ご家庭と関わることにやりがいも感じている、、でも本当は自分はしんどいって感じているのでは?
激務でもないのになんか体疲れているけど、これって心身の疲弊なのか?
…無自覚で疲弊しているのかもしれん!
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強がってみようとしても、わかる人にはわかりますよねー。
「いまさら頼れない…」なんてことも。
「しんどい」って気持ち、押し殺しているかもしれないんです
日々、当然のように働き、立場のある中で他者に合わせて「らしく」振る舞い、成果を出していくプロセス…。
前に進むことが当たり前だし、自負やプライドもあるし、みんなの視線もある。
だからこそ「困っている」「しんどい」なんて感情は度外視しているかもしれない。
当たり前に埋没して、奥底にある「しんどさ」を度外視してきたのかもしれない。
「プライド」「当たり前」「常識」「他者の視線」…こんなマインドに塗りつぶされて、自分の大事なこころの声を無視してしまう、、、。
だから、気づけない。
あえて僕の例を出してみましたが、クラスや家族の一員としての子供、家族やママ友グループの一員としての母親、主語を置き換えても同じようなことが起きてるのかなーっと思います。
気づけなかったことに気づいた時、僕は、未来をイメージします。
「このまま進んだとして持続性はあるか?」という問いを自分に立てるのです。
いい未来を描けなければ何かが間違っていると判断します。
選択肢は3つ、休むか、方向性を修正するか、誰かに助けを求めるか。
最後のが一番ムズイ、けども一番大事、、、。
そこに発達の課題が絡む
自分の思考や感情を俯瞰して客観的に気づくこと、これをメタ認知と言います。
自分のこころの状態に気づく力と言えばいいのかな。
この能力、個人差や年齢差も大きいです。
一般に高学年くらいからグッと成長すると言われています。
発達凸凹の子供たちは、ここの発達が遅れがち、です。
自分の中にある「なんかモヤモヤする気持ち」っていうのを気づくっていうのもメタ認知能力の一つです。
困り感の自覚も発達段階によって変わってくるってことです。
小学生くらいだと、不安やイライラがあるとして、言葉にする術もないし「なんか疲れている!」っていう感覚的なモヤモヤにすぎない場合もあるでしょう。
そういう時、行動でブツけることもある。
当たり前ですが、小さい子ほど行動で表現します。
モノにあたり、親やきょうだいにあたり、怒ったり泣いたりするわけです。
そういう行動自体が「しんどい!」「助けて!」…っていう援助要請のメッセージかもしれないのだけど、本人すらそのことに気付けていないんですね。
そして大人も不適切行動として封じ込めようとする。
ここまでまとめると、自分のネガティブな気持ちって、
「無意識に押し殺して気づけない」&「発達段階に依存する」
ということで、顕在化しにくいのです。
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クライエントの感情をカウンセラーは受け止めます。
感情は受け止められることが必要なんだなーって思います。
ではどうしたらいいか?
この話、どう結ぼうか、、、ちょっと迷ってきています。
一人ひとり違うし、個別性が高いなーって。
ただ共通しているのは「そのネガティブな感情は出し切ったほうがいい」ってことです。
大人も泣いてスッキリすることもあるし、泣いた後にようやく言葉にすることもできる、経験があるのではないでしょうか。
「泣いていたらわからないよ!」「泣いていないでしっかりしなさい!」っていう言葉は、感情を押し殺し、本当の言葉にフタをすることになってしまうのです。
一時的に泣きやんでも、心の奥底に仕舞い込んだ感情は、フツフツと残り続けます。長期的にネガティブな影響を及ぼす可能性があります。
感情に寄り添って受け止められる経験が、どの年代であれ必要、なのです。
その人が、困り感に気づき、援助要請ができる段階になった時に、「伝えていいんだ」「受け止めてくれるだろう」という他者への信頼につながっていくのです。
最後まで読んでくださりありがとうございました。